かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上本門寺と狩野家のこと

2012-05-08 | 池上本門寺
板橋区立美術館
 館蔵品展 「奥絵師・木挽町狩野家」 ~お殿さまに仕えた絵師たちの250年~
池上本門寺 霊宝殿
 「本門寺の狩野派 展」
奇しくも同時期開催であった二つの狩野展が、5月6日に終了しました。

ふり返ってみて、パンレット、カタログに載っている狩野家の由来だけでは、いまひとつ気がすまないし、すっきりしない。
画匠・狩野(古法眼)元信が法華信者であったことは、ただ個人の信仰ということでなく、もともと狩野家が法華宗(日蓮宗)の大壇越であったことを再確認しないことには、話が先にすすまない、とも思いました。

その昔、鎌倉末から南北朝の時代、上総国伊北庄(千葉・夷隅郡)に豪族・狩野修理亮が住んでいた。伊北庄は日輪上人(両山三祖)が教田を開拓したところであるが、のち日山上人(両山四世)が狩野家を教化した。
狩野家は山内上杉の家老・長尾家の支配を受けていた豪族である。比企・池上とこの地は「両山の台所」と呼ばれるほどの密接な関係になった。日寿上人(両山七世)、日調上人(両山八世)は、狩野修理亮の孫である。京都・本法寺、鎌倉・妙隆寺の山号・叡昌山は、狩野修理亮の法号・叡昌からきている。


参考図書 『池上本門寺史管見』