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かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

長岡まつり 大花火大会 観覧

2010-08-12 | 新潟 長岡
ぶらぶら歩いたり、早足になったりしながら会場をめざす。
この日はやたらと暑くて、汗がふきだし止らない。体力消耗だ。
歩くこと20分、25分くらいか、ようやく長生橋のたもとに着いてホッとした。

無料観覧席。いい場所はビニールシ-トでの縄張りがわり。


夕暮れ。真正面は西だ。


上空に小さく見えるヘリ。







花火大会のスタート。ドーンという音で一発目。


花火開く。直後ズドーンと空気が振動。そして大歓声。












大感激。そしてアッというまの2時間でした。
名残惜しみつつ、最終の新幹線に間にあうようJR長岡駅へ向かった。
この機会をつくってくれた姪っ子に感謝、です。


デジカメ撮影、途中から動画ばかり。
気にしながらも、一回毎にどれも500MB、600MBの容量を使用。
よく撮れてて、一人見るにはいいけれど、皆に見せるには? なんとかならない?
(カメラ初心者で、ただただ写しまくり。もっと、デジカメとパソコンの知識が・・・)

ちなみに使用カメラの紹介。
いろいろ、故あって・・・
RICOH CX3
このコンパクト・デジカメの液晶画面を見た誰もが"きれいだなあ"といいます。
あとは撮影者の技術向上あるのみ、だ。



長岡まつり 大花火大会

2010-08-11 | 新潟 長岡


あこがれの長岡まつり・大花火大会。
もう何十年と見ていない、と先だって言った。
あこがれは、遠くにいて思うもの。懐かしむもの、と思っていた。
それが、突然!! 遠くではなく、すぐそばになった。
しばらく会っていない姪っ子(そう、 『バッパー香港娘を東京ガイド!?』の同行者兼ボランティア通訳)からメール。2日・3日、空いてる?。空いてるよ(なんの誘いだ。山か?)。長岡の花火大会、見たいんだけど、一緒に行かない?。
猛暑のなかのゴルフで身体が疲れてる。一度は断わった。
けれど2度目のメールの内容で、心変わり(中味は省くが、行動・考え方に感化された)。
O.Kメールの返送。
そのあともスッタモンダしたけれど、3日の昼、上越新幹線「MAXとき」で長岡に向かった。


と、いうことで準備不足をものともせず長岡に着いた。


普段は、こんなに人はいない。


駅前広場では、太鼓を打ち鳴らしての歓迎・お出迎え。


ぶっつけなので様子がわからず。まずは花火会場のMAP。次に食べ物、飲み物を仕入れる。
さあ、いざ信濃川河川敷の花火大会会場へ。


長岡 緑の悠久山公園と長岡市郷土史料館

2010-07-31 | 新潟 長岡
前回、3月末に訪れたときは、悠久山公園は雪のなかだった。今の時期、公園全体が濃い緑に覆いつくされている。きれいな空気に満ちていて、健康にはよさそうだ。

悠久山公園 高台のお城は、長岡市郷土史料館






長岡市郷土史料館
新潟県長岡市御山町80-2 悠久山公園内




郷土史料館入口に、長岡城下町絵図




展示コーナーでの主な人たち
〇 河井継之助 1827(文政10)-1868(慶応4)
〇 小林虎三郎 1828(文政11)-1877(明治10)
〇 三島億二郎 1825(文政 8)-1892(明治25)
〇 山本五十六 1884(明治17)-1943(昭和18)

個人的な関心でいえば、だんとつに『武士の娘』の著者 杉本鉞(えつ)さん。
そして鉞さんを育てた長岡藩筆頭家老・稲垣平助家。それと長岡の風土。
頭のなかで、いまだに整理されていないものの、家・家族・親子・自立について、
とても考えさせられる。






〇 杉本鉞子 1872(明治5)-1950(昭和25)
〇 稲垣平助 1836(天保7)-1885(明治18) (茂光・重光・平)

郷土史料館の係りのかたへ
杉本鉞子さんの資料解説の小冊子をいただき、ありがとうございました。
いつか稲垣平助家のことは、自分なりに思ったこと、考えたことを紹介していきたいです。


天守閣 4階の展望台より




遠方に、弥彦山 (やや、ズーム・アップ)


長岡市街地 JR長岡駅方面


参考 越後長岡藩‐Wikipedia


8月1日(日)・2日(月)・3日(火)の3日間は 「長岡まつり」 だ。
そのうち2日・3日は大花火大会。日本の三大花火大会の一つといわれている。
「正三尺玉」の大花火。何十年も見ていない。見たいなあ。
昔の市内の夏の夕暮れ。たくさんのコウモリが、群れをなして巣に帰っていく光景と、
「ナイアガラ」をはじめて見たときの驚きを作文にしたことがある。忘れられない思い出だ。
さすがにコウモリの群れ、今は、いないだろうな。
すこし訂正。夕方、群れをなして帰っていくのはカラスで、夕闇に虫を啄ばんでいたのが
コウモリの群れだったかな。よくわからなくなった。

 

長岡 悠久山公園と蒼柴神社

2010-07-28 | 新潟 長岡

悠久山 蒼柴神社(あおしじんじゃ)
 ご祭神
  天照皇大神
  白山大神
  出雲事代主神
  牧野忠辰命
 蒼柴神社の創始
  長岡藩4代藩主牧野忠寿(ただかず) 3代藩主忠辰(ただとき)公(神号 蒼柴明神)と
  事代主命を城内に社を建てて祀る。
  天明元年(1781) 9代藩主牧野忠精(ただきよ)、現在地に蒼柴神社を建立。
  権現造りの社殿は当時のまま。

 新潟県長岡市悠久町707(悠久山公園内)
  


悠久山公園






参道沿いに「長岡藩大参事 小林病翁の碑」('米百俵'の小林虎三郎)




相撲場の土俵(休業中?)


高明門




蒼柴神社 社殿


牧野家歴代墓碑






  長岡藩主牧野家について
 長岡藩主牧野家は、三河牧野の地(愛知県豊川市内)に興り、のち牛久保城(同市内)に居城した。永禄九年(一五六六)徳川家康に服属し、天正一八年(一五九〇)家康の関東入りに従って上州大胡(群馬県勢多郡大胡町)に移り、その後越後長峰を経て、元和四年(一六一八)長岡城主として七万四千石を領した。
 そして明治元年の戊辰戦争後、同ニ年第十三代忠毅公の版籍奉還に至るまで変ることはなかった。(以下 略す)
                                       社団法人 長岡青年会議所



  長岡藩主牧野家御霊廟について
 牧野家歴代の江戸における墓所は三代将軍家光公により地を賜り、済海寺(東京都港区三田)を菩提寺としておりました。
 このたび寺の事情により墓地整理が進められ、墓碑十七基はゆかりのある蒼柴神社(御祭神三代忠辰公 悠久山遷座九代忠精公)の境内地に墓碑のみをお移しし、霊廟として安置いたしました。
  悠久史跡保存会において (注 案内文のまま)
 この間、多くの関係者、市民有志の協賛と奉仕を得て竣工するに至りました。
                                       社団法人 長岡青年会議所

[三田 済海寺]については、以前に記事にしました。参考にどうぞ。




〇 牧野忠辰(まきの・ただとき) 越後長岡藩・第3代藩主
 1665(寛文5)-1722(享保7)
 1674(延宝2)-1721(享保6) 藩主期
   「諸子法制」発布。補佐・牧野忠清。
   1711(正徳元)、1719(享保4) 朝鮮通信使の接待役。
   墓所 池上本門寺(1996(平成7)、蒼柴神社境内に墓石移転)
〇 牧野忠精(まきの・ただきよ) 越後長岡藩・第9代藩主 老中(寛政の遺老の一人)
 1760(宝暦10)-1831(天保2)
 1766(明和 3)-1831(天保2) 藩主期


参考 HP 長岡・観光 『蒼柴神社』
    牧野忠辰‐Wikipedia
    牧野忠精‐Wikipedia



再び長岡へ

2010-07-27 | 新潟 長岡



長岡 越後滝谷の集落  中央に見える屋根は真宗滝谷山・了明寺


今一度、悠久山公園の散策と長岡市郷土史料館の訪問。それと長岡藩・牧野家の蒼柴神社(あおしじんじゃ)を参拝したい。