かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

長岡 悠久山公園と蒼柴神社

2010-07-28 | 新潟 長岡

悠久山 蒼柴神社(あおしじんじゃ)
 ご祭神
  天照皇大神
  白山大神
  出雲事代主神
  牧野忠辰命
 蒼柴神社の創始
  長岡藩4代藩主牧野忠寿(ただかず) 3代藩主忠辰(ただとき)公(神号 蒼柴明神)と
  事代主命を城内に社を建てて祀る。
  天明元年(1781) 9代藩主牧野忠精(ただきよ)、現在地に蒼柴神社を建立。
  権現造りの社殿は当時のまま。

 新潟県長岡市悠久町707(悠久山公園内)
  


悠久山公園






参道沿いに「長岡藩大参事 小林病翁の碑」('米百俵'の小林虎三郎)




相撲場の土俵(休業中?)


高明門




蒼柴神社 社殿


牧野家歴代墓碑






  長岡藩主牧野家について
 長岡藩主牧野家は、三河牧野の地(愛知県豊川市内)に興り、のち牛久保城(同市内)に居城した。永禄九年(一五六六)徳川家康に服属し、天正一八年(一五九〇)家康の関東入りに従って上州大胡(群馬県勢多郡大胡町)に移り、その後越後長峰を経て、元和四年(一六一八)長岡城主として七万四千石を領した。
 そして明治元年の戊辰戦争後、同ニ年第十三代忠毅公の版籍奉還に至るまで変ることはなかった。(以下 略す)
                                       社団法人 長岡青年会議所



  長岡藩主牧野家御霊廟について
 牧野家歴代の江戸における墓所は三代将軍家光公により地を賜り、済海寺(東京都港区三田)を菩提寺としておりました。
 このたび寺の事情により墓地整理が進められ、墓碑十七基はゆかりのある蒼柴神社(御祭神三代忠辰公 悠久山遷座九代忠精公)の境内地に墓碑のみをお移しし、霊廟として安置いたしました。
  悠久史跡保存会において (注 案内文のまま)
 この間、多くの関係者、市民有志の協賛と奉仕を得て竣工するに至りました。
                                       社団法人 長岡青年会議所

[三田 済海寺]については、以前に記事にしました。参考にどうぞ。




〇 牧野忠辰(まきの・ただとき) 越後長岡藩・第3代藩主
 1665(寛文5)-1722(享保7)
 1674(延宝2)-1721(享保6) 藩主期
   「諸子法制」発布。補佐・牧野忠清。
   1711(正徳元)、1719(享保4) 朝鮮通信使の接待役。
   墓所 池上本門寺(1996(平成7)、蒼柴神社境内に墓石移転)
〇 牧野忠精(まきの・ただきよ) 越後長岡藩・第9代藩主 老中(寛政の遺老の一人)
 1760(宝暦10)-1831(天保2)
 1766(明和 3)-1831(天保2) 藩主期


参考 HP 長岡・観光 『蒼柴神社』
    牧野忠辰‐Wikipedia
    牧野忠精‐Wikipedia



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