★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇バレンボイム・ピアノ&指揮のモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」/第27番

2022-10-13 09:41:00 | 協奏曲(ピアノ)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」K.537
        ピアノ協奏曲第27番K.595

ピアノ&指揮:ダニエル・バレンボイム

管弦楽:イギリス室内管弦楽団

録音:1974年5月23~24日(第26番)/1967年1月3日~4日(第27番)

LP:東芝EMI EAC‐85058

 このLPレコードでピアノ演奏と指揮を兼務(いわゆる弾き振り)しているダニエル・バレンボイムは、もともとピアニストの出身なのであるが、1966年から指揮者デビューを果たし、現在では指揮者をメインに演奏活動を行っている。このLPレコードは、バレンボイムがまだピアニストを中心に演奏活動をしていた頃の録音であり、このコンビによるモーツァルトのピアノ協奏曲全曲録音の中の1枚で、バレンボイムがピアノと指揮の両方を行っている。2曲とも演奏内容は、いかにもバレンボイムらしく、馥郁とした優美な香りに満ちたピアノ演奏であると同時に、がっしりとした構成力と力強さとを兼ね備えた、正に歴史に残る名演奏といっても過言でないであろう。特にモーツァルトの第26番「戴冠式」と第27番のピアノ協奏曲は、シリーズの最後を飾る2曲のであることもあり、実に聴き応えある録音に仕上がっている。第26番「戴冠式」は、1788年2月に書かれた。レオポルト2世のフランクフルトにおける戴冠式の折に、モーツァルトが同地まで出かけて演奏会を催し、その際にこのピアの協奏曲を演奏したことにより「戴冠式」と呼ばれるようになった。一方、第27番は、モーツァルトの死の年である1791年1月5日に書かれた。この頃モーツァルトは貧困のどん底にあったわけだが、この曲はそんなことを少しも感じさせない、至高の極みに立った、モーツァルトの最後の境地を映し出す名曲となっている。このLPレコードのライナーノートで石井 宏氏は「第20番以降の8曲は、人類の遺産と呼べるほど優れた作品群である」と書いているが、このことを文字通り裏付けるような名演奏をこのLPレコードで聴くことができる。ダニエル・バレンボイム(1942年生れ)は、アルゼンチン出身のピアニスト・指揮者(現在の国籍はイスラエル)。1950年まだ7歳のときにブエノスアイレスでピアニストとしてデビュー。21歳でベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を公開演奏している。ピアニストとしての名声を確固たるものとした後、1966年からイギリス室内管弦楽団とモーツァルトの交響曲録音を開始し指揮者デビューを果たす。1975年から1989年までパリ管弦楽団音楽監督に就任。1991年よりゲオルク・ショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継ぐ。さらにミラノ・スカラ座音楽監督を経て、1992年からベルリン国立歌劇場の音楽総監督を務めている。ミラノ・スカラ座音楽監督、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者を歴任。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のブラームス:クラリネット五重奏曲

2022-10-10 09:44:30 | 室内楽曲


ブラームス:クラリネット五重奏曲

クラッリネット:レオポルド・ウラッハ

弦楽四重奏:ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団

発売:1964年

LP:キングレコード(Westminster) MH5152

 ブラームス:クラリネット五重奏曲は、ブラームス晩年の室内楽の傑作である。クラリネットと弦楽四重奏が相互に語り掛けるように演奏を繰り広げていくのだが、その醸しだす雰囲気は、ブラームスがこれまで歩んできた人生について、いろいろと思いを馳せながら、静かに回顧するかのような様相を帯びたもので、実に奥深い内容に心の底から共感することができる。この曲の創作の切っ掛けとなったのは、当時、クラリネットの名手であったリヒャルト・ミュールフェルト(1856年―1907年)との出会いであったという。ブラームスは、ミュールフェルトのクラリネット演奏を聴き、たちまちその虜となり、その結果、このクラリネット五重奏曲を含む、全部で4曲のクラリネットの室内楽曲を書き上げることになったのだ。クラリネット五重奏曲は、1891年の夏に、ブラームスが好んで避暑にでかけたイシュルにおいて、着手から2週間程度で完成されたという。全部で4つの楽章からできているが、創作面では歳を感じさせない独創性に富んでおり、その内容は、悲愴味をもった諦観ともいえるブラームス晩年の心境を反映したものとなっている。このLPレコードでクラリネットを演奏しているのは、ミュールフェルトの生まれ変わりみたいなレオポルド・ウラッハである。そのクラリネットの音色は、丸みのある暖かみに満ちたもので、その陰影のある演奏スタイルは、一度聴くと、たちどころにその強烈な魅力から離れられなくなるほどだ。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、名手ウラッハと演奏するには、これ以上の相性は考えられない。そんな名手達がブラームスの深遠な室内楽を録音したこのLPレコードは、現在でもその存在価値は、いささかも色褪せていない。レオポルト・ウラッハ(1902年ー1956年)は、オーストリア、ウィーン出身のクラリネット奏者。1917年からウィーン音楽院で学び、1923年に優等で卒業。1928年からウィーン国立歌劇場およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団管楽器アンサンブルの主宰を務めた。一方、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、ウィーン・フィルの4人の弦の奏者で組織され、ウィーン・コンツェルトハウス協会の下に活躍。4人ともウィーンの音楽アカデミーの出身で、1934年にこの四重奏団を結成し、ウィーン的な情緒をたたえた品格の高い演奏をするのが特徴。1962年を最後として、ほぼ30年に及ぶ活動を終えることになる。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇カール・リステンパルト指揮ザール放送室内管弦楽団のモーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」

2022-10-06 09:39:29 | 管弦楽曲


モーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」

指揮:カール・リステンパルト

管弦楽:ザール放送室内管弦楽団

ヴァイオリン:ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル

発売:1979年

LP:RCV(コスタラ出版社) E‐1043

 モーツァルトは、セレナードを13曲、ディベルティメントを17曲を作曲している。セレナードやディベルティメントとは、どのような音楽を指すのであろうか。これらの音楽は、もともと18世紀の王侯貴族が結婚式などの祝祭用や娯楽に用いたものであった。一般的に軽く、明るく、楽章の数は、普通ソナタや交響曲と比べ多く、配列は急―緩の対照で、独奏楽器との協奏的な楽章やメヌエット的な楽章が含まれている。要するにバロックな組曲的要素と古典派的な音楽の要素を併せ持った折衷的音楽と言えるもの。そして、ディベルティメントが室内での食事や社交の音楽であるのに対し、セレナードは、屋外での演奏を前提としたもの。モーツァルトがザルツブルク時代に、大司教や宮廷に仕える音楽家であったことや、町の貴族や市民たちとも親しく交際していたことなどから、この種の社交的な音楽を数多く書いていたことは、当然なこことして頷ける。このハフナーセレナードは、モーツァルトの故郷ザルツブルグの貴族でモーツァルトが親しくしていたハフナー家のために作曲した、全部で8つの楽章からなる曲。セレナード第10、11、12番のような管楽器用のセレナードではなく、第9番「ポストホルン」と同じくオーケストラ用の曲である。第2楽章から第4楽章までは、独奏ヴァイオリンが活躍し、ヴァイオリン協奏曲の性格を持つ。楽器編成は、フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、コントラバス、そしてチェロ。このLPレコードは、ドイツの指揮者カール・リステンパルト(1900年―1967年)が、長年コンビを組んだザール放送室内管弦楽団を指揮した録音。実に端正で緻密にモーツァルトのセレナードの世界を再現しており、聴き終えて実に爽やかな気分に浸れる演奏内容となっている。カール・リステンパルトは、ドイツ、キールの出身。1924年から1928年までシュテルン音楽院で学び、その後ウィーン音楽院に留学。ベルリンに戻ってからは、ベルリン・オラトリオ合唱団の指揮者となる。1932年からベルリン室内管弦楽団を結成して演奏活動を行ったが、ナチスに協力しなかったため、室内管弦楽団の解散を余儀なくされた。第二次世界大戦終結後は、アメリカ軍占領地区放送局(RIAS)のために室内管弦楽団を作り、活発な演奏活動を展開。1953年にザールブリュッケンに移ってからは、ザール放送室内管弦楽団を創設し、多くの録音を残した。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇サンソン・フランソワのプロコフィエフ:ピアノソナタ第7番「戦争ソナタ」/スクリアビン:ピアノソナタ第3番

2022-10-03 09:42:28 | 器楽曲(ピアノ)


プロコフィエフ:ピアノソナタ第7番「戦争ソナタ」
スクリアビン:ピアノソナタ第3番

ピアノ:サンソン・フランソワ

LP:東芝EMI EAC‐70094

 プロコフィエフ(1891年―1953年)は、学生時代からロシアを代表する世界的作曲家としてその名を知られていたが、その後起こったロシア革命のため祖国を後にし、日本経由で欧米に亡命した。さらにその後は革命後の旧ソ連に戻り、表面的には当時の政府の意向を取り入れて作曲活動を続けた。逆に旧ソ連政府も既に世界的な大作曲家として知られていたプロコフィエフに対しては、他の芸術家にしたような露骨な圧力を掛けなかったようである。そんな中、ドイツ軍のソ連侵攻が始まり、これを基に作曲されたのがピアノソナタ第7番「戦争ソナタ」である。当時、プロコフィエフは、それまでの作曲様式をかなぐり捨てて、20世紀の新しい音楽を創作していたが、この「戦争ソナタ」にも、そんな意欲的な作風が聴いて取れる。この第7番は、第6番、第8番とともに1939年に着手された。祖国が危機に逼迫していた時に書かれたものではあるが、個性的な特徴が消化された作品に仕上がっており、プロコフィエフを代表する作品の一つとなった。この曲はリヒテルによって初演され、当時、熱狂的な成功を収めている。一方、スクリアビン(1872年―1915年)は、プロコフィエフの一世代前のロシアの作曲家で、ショパンへの傾倒を見せると同時に神秘主義哲学への憧憬もあり、その作風は極めて独特な感性を持っている。全部で10曲のピアノソナタを作曲したが、このLPレコードでは初期の傑作である第3番が収録されている。特徴ある旋律やリズム、それにハーモニーがきめ細やかなに表現される。このLPレコードでのピアノ演奏は、フランスの名ピアニストであったサンソン・フランソワ(1924年―1970年)。このLPレコードにおいて、フランソワならではの感性がこの2曲のピアノソナタに色濃く反映され、歴史的名盤となっている。サンソン・フランソワは、第二次世界大戦後のフランスにおける代表的なピアニストの一人で、ショパンやドビュッシー、ラヴェルなどの演奏を得意とした。フランス人の両親の間にドイツで生まれるが、1934年、一家でニースに戻った時、アルフレッド・コルトーに見出されて、1936年にエコールノルマル音楽院に入学、1938年、パリ音楽院に入学後は、マルグリット・ロン、イヴォンヌ・ルフェビュールに師事。1940年に同音楽院を首席で卒業した。1943年第1回「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝。1947年にアメリカデビューを飾り、その後も世界各地で演奏活動を行う。3回の来日歴がある。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする