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ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

喪中葉書

2008年11月06日 08時31分14秒 | 思ったこと
 ボチボチ喪中葉書が届く時期だ。それが届いても誰が亡くなったのかを見ず、単に誰から届いたのだけしか気にしてなかったりする。それは通り一遍な文面だからってことがありそうだ。そんなワンパターン文面をいざ自分で書こうとするとこんなのは慇懃無礼じゃないのかなぁとか、臨時休業の張り紙みたいだなどと気が萎える。

 過去に来たのを参考にしようと見比べてると、喪中につき年頭のご挨拶を失礼させていただきますで始まってないのが1通だけあった。これは良いかなと思って読んでみると喪に服してますなんていう文があった。う~ん、喪に服してるって文字にして書くほどの生活の変化、つまり外から見て分るような変化は無いもんなぁと気が引ける。一般的にはお盆など1~2度法事があったり、お祭りに参加しないなんてのはあるけどその程度でしょ。

 喪中葉書を、例えば前略で始めて草々で締めくくるような書き方って変かな。口うるさい親戚に何だこれはとか相変わらず常識の無い奴だなんて言われちゃうほど変かな。だけど拝啓で始まると何となく奇妙かなぁと感じるからやっぱり相応しくない書き方なのかな。

 まぁ兎に角この葉書は急いで出さないといけないので慌しい。本当は年賀葉書が発売される前にと思ってたがちょっと出遅れた。だからといって早々と出すと貰った方は忘れられちゃいそうだ。俺としては年が明けたらおめでとうでいいじゃんかと思うのだけどねぇ。

沢庵攻撃

2008年11月05日 08時33分48秒 | 思ったこと
 東京に住んでた子供の頃、食べ物は皆買っていた。唯一例外は味噌。これは山梨の婆さんが作ってた。その後山梨に行くと他にも色々作ってた。うどん、蕎麦、蒟蒻などなど。蕎麦以外の原料は自家製だった。小麦とか大豆とか今では麦畑なんて滅多に見ないけど昔はけっこうあって麦踏なんてのもした事がある。で、この蒟蒻が最も市販のと味が違ってた。

 今でも蒟蒻は買って食べるけど、やはり刺し身蒟蒻でも食べられる自家製が良い。ただ婆さんが居なくなってからは蒟蒻玉からではなく市販の粉で作るので味はちょっと淡白な感じで今一つ。出来れば蒟蒻玉から作ったのを食べたい。

 田舎に住んでると周囲の農家から野菜を沢山貰うなんて話があるが、そんな事はない。ま、徳を積んでないってことかもしれないな。それでも近所の婆さんに通りがかりに収穫したばかりのキャベツや大根を貰ったりすることがある。でもその人達は農家ではなくて近くに小さな畑を借りていて、そこで取れたものだ。直ぐにお礼をすることはないけど何時かそのうちにと思ってた。

 ようやくそれが実現した。家を出るとたまたま2人が一緒に歩いてた。こりゃ好都合と小走りで追いかけて作りたての蒟蒻を渡した。翌日、その婆さんが家に来た。沢庵作ったから食べてくれや、と。そしてそのまた翌日、今度は別の婆さんがビニール袋を下げてやってきた。沢庵沢山作って近所中に配ってるところだ、ここでも食べてくれや、と。2人は何時も一緒にいるくらい仲が良いので普通に同じ日に蒟蒻を渡したけど、う~ん、今度は日をずらすか。

今までやった事のない失敗をした時

2008年11月05日 08時33分39秒 | 思ったこと
 先月、山梨の家の庭に車が突っ込んだ。と言っても道より低い庭にタイヤ1つ入って生垣が少し損傷した程度。まぁ大した事ではない。それでも自力では脱出出来ないので近所の人が出て来て車を引っ張り上げたらしいからちょっとした出来事だ。突っ込んだ主は近所の人で御歳90歳のドライバー。

 うちの隣家に車で行った帰りだった。だけどドライバー宅からの距離は200mもない。しかも道幅が狭くて急な坂がある。帰り道、その坂を無事登りきって少し走って平らな場所へ来ての出来事。しかも左側のタイヤを落とすのなら分るけど右側だからちょっとねぇって感じ。プチ逆走だ。「 俺は50年間運転してるけどこんなのは初めてだ 」 と言ってたそうだけど、この言い訳が気になる。

 もし躓いたり転んだりしたら歳のせいかも、と思うことにしてる。どんな事情があるにせよ少なくとも周りは絶対そう思うはず。そんな時、こんな所に××があったからとか、石がゴロゴロしてる山道歩いてるんだからなんていい訳をしても情けない。少なくとも10代半ばから30代くらいまでにそんな経験は皆無だからだ。勿論その後だって全く無い、多分。仮に年齢のせいでなくてもそういう風に思っていれば自然と用心するので躓いたり転ぶ可能性は減るはずだ。

 中年になって初めて躓いたり転んだりした理由は反射神経の衰えというよりまずは筋力低下だろう。山道の下り坂で滑っても踏ん張りが効けば尻餅をつくことは少ないからだ。筋力が衰えたらどうなるのか分らないが、登山の帰り道、場合によってはその翌日や翌々日がプチ老人体験になる。幸いまだ躓いたことはない、と暗に俺は大丈夫と思ってるところはヤバイ?

運転免許返上したのに車を運転する人

2008年11月04日 08時15分18秒 | 思ったこと
 山仲間に聞いた話なんだけど、町内の放送で年寄りが行方不明なんていうのがよく耳に入るそうだ。行方不明の理由はキノコ採りではなく徘徊。最近そういうの多いんだよって言ってたけど、親が老人ホームに入ったのでそういう話に注意が向くようになったってことだろう。

 ある時、年寄りが家から数10kmも離れた場所で見つかった。なんでそんな場所に行けたかというと車を運転してったからなんだけど、実はその人は運転免許を返上した人だった。でも無免許運転という意識はない。何故なら既にボケちゃった人なので本人の記憶としては運転免許を持っているって事だった。だから爺さんが運転免許を返上したからといって運転はもうしないもんだと安心は出来ないという盲点があった。



 75歳以上の人はもみじマークを付けないと来年の6月から4000円も金を取られるそうだ。高級車にこのマークを付けて乗ってると悪い人の標的になるなんて話もあるそうだ。このもみじマークが何故初心者マークではいけないのか分らない。というか色々な物を作る事による余計なコストは誰かの懐に入るんだろうとしか思えない。

中からも変る秋葉原

2008年11月04日 08時15分12秒 | 思ったこと

 パソコンが出た頃から秋葉原は大きく変り始め、今はもう昔の、といっても30年ほど前のことだけど、その面影を残す部分は段々少なくなった。写真は山手線のガード下にある一角。秋葉原駅より神田寄りで、下の地図で赤く囲んだ辺りである。

 この写真のように見た目の雰囲気は昔から変らなくても一歩入ると仰天することがある。向かって左側の看板の下を入って行くと、インド人らしき人物がインド音楽のCDを売ってたりする。電気の部品などを売ってるものだと思ってたら大違い。ちょっと後ずさりしたくなるような、かなり妖しい佇まいを醸し出していた。

 そのあまりにも面妖な雰囲気とは裏腹にCD買ってみようかな、なんて気分が後になって沸いてきた。インドの音楽、といってもシタールとかそんなのを使った神秘的なものでなくて妙にハイテンションなのがあるんだけど、あれを田舎の家で聞くとどんなんだろう、と。



再:佐久広瀬駅@小海線

2008年11月04日 08時15分03秒 | 思ったこと

 川上村の親戚に用事があった帰り、141号を通らず大蔵峠を越えて小海線の佐久広瀬駅の近くに出て来た。駅の待合室は写真下に見える白い建物。周りに家が無いから一体誰が使うんだという感じだけど集落はちゃんと少し離れた場所にある。この何だか訳の分らない雰囲気が好きでつい写真を紹介したくなる。

 駅は近くにあった方が便利だ。なのに街と離れた不便な場所にある駅が山梨県には幾つかある。前にもこんな話を書いた気がするが検索しても見つからないので初出の話としよう。東京に近い方から、上野原、猿橋、そして勝沼もそうらしい。

 理由は様々だけど一つは蒸気機関車の煙を嫌ったというのがある。しかしこの駅は何故集落から離れているんだろう。蒸気機関車の煙といっても当時のダイヤを思うと大した事は無さそうだ。線路を集落の方に曲げるのが面倒だったから?



 この辺りの今頃の山は黄色い。関東周辺と違って杉林ではなく唐松林や広葉樹の林が多いからだ。この唐松は針葉樹なのに葉の色が黄色く変り、そして落ちる。


唐松林の中の道@大蔵峠付近



小海川平(こうみかわだいら)の辺り
流れてるのは千曲川で山の向こう側が源流のある川上村

傷痍軍人に似た人

2008年11月03日 08時53分03秒 | 思ったこと
 子供の頃、昭和30年代の前半の頃、傷痍軍人が街によく居た。それはどんな人かというと、戦争で手や足を無くした人で、着てる物は皆同じで白っぽい服と軍隊で被る布製の帽子。その人達が街中の路上やや神社の境内で座り込んで募金を募ってた。だけど中には手や足を失った振りをした人も居たようだ。ヨメに言わせるとあんなのは全部嘘だと思ってたって言うから以外と厳しい目なんだなぁ、と思った。

 そんな人がこの平成の時代に秋葉原に居た。チラっとしか見てないので正確には覚えてないが、なんでも交通事故にあって生活出来ないとかなんとか、そんな身の上なので援助云々だと書いてあった。話が本当ならば太平洋戦争でなくて交通戦争の犠牲者ってことだ。だけど生活保護とかそういうのはどうなんだろう、金持ちが悪戯で世間を試してるのかなどとそんな事しか思いつかない。

 仮に本当に困ってる人だとして、最近聞く定額減税の恩恵を受けることは出来るんだろうか。またホームレスなんて人だとどうなんだろう。あの人達でも住民票は何処かにあるわけだ。でもそこに家族どころか誰も住んでなければ空振りか。

 この定率減税、超大金持ちにも行き渡るという。それは変だろという意見に対して処理を単純にして早くするためだという反論がある。まぁそれもなるほどだけど、年収××万円以上の人は後で返して貰いますよってやれば処理は早いだろうな。境界線より少し上の人がもし使っちゃったとしてもそれはそれで経済効果になるわけだ。それよりも老取ってボケたり障碍者になっても安心だよって政策をやってくれればケチな俺だって 「 宵越しの金なんて持たねぇぜ 」 って調子で経済効果に貢献するのになぁ。