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『魔法少女まどか☆マギカ』と『風の谷のナウシカ』その結末に宿るもの

2011年06月08日 | 思考の遊び(準備)


ちょっと考え事をしていて思いついたんですが『魔法少女まどか☆マギカ』(監督・新房昭之、脚本・虚淵玄)と『風の谷のナウシカ』(原作・宮崎駿)の主人公、まどかとナウシカが、“結末に選んだもの”って似ている所があるな?…と考えたので、その事を書き留めておきます。
…といっても、実は先にツイッターでつぶやいていて、それをhimugashiさんにまとめてもらったりしています。(´・ω・`)海燕さんとの話題が絡んで、ちょっと『面白い』交差をしたやりとりになっていますね。(↓)

▼Togetter:「世界に一つだけの花」問題などについて

認知の規模は『ナウシカ』の方がずっと大きい…………のかな?(´・ω・`)アニメ映画『風の谷のナウシカ』はともかくとして、原作『ナウシカ』の認知度ってどのくらいのものなんでしょうね?存在は知っているけど、読んだことは…とか、詰めて行くと、案外そんなに大きくないのかもかもしれませんね?余談ですが。…いや(汗)まあちょっと都合で、両作品の内容や具体的な結末の説明とかは端折って書いて行きますって話なんですけどね(汗)

■変わらぬ世界の在り方

まず、前提的に言うと、まどかも、ナウシカも、その結末を見守るファンたちから大団円を期待されていたというか……「全てを救う結末」を期待されていたんじゃないかと思うんですよね。「?いや、そんなもの期待しちゃいなかったよ?」という人もいるでしょうが、僕が周りを眺めた感じにおいては概ねそんなだったと思います。
ただし、まどかは「救われない悲劇が繰り返されたからこその大逆転」、ナウシカは「救世主として顕れたからこその救世譚」を期待されていたと、そこは細かくは差異があります。

…で、その結末において両作品は「不思議なカタルシス」があって、相応の満足を与えてくれるのですが(人によっては即座に不満足が現れる人もいたでしょうが、これも両作品とも概ね好評だったように思います)、よくよく考えてみると……あれ?この世界そんなに救われていない?と気づくというか。

まどかはインキュベーターの構築した魔法少女システムのうち「魔女になるフェーズ」を別の理(ことわり)に再構成してその機能を破壊します。ナウシカは、戦乱と大海嘯の元凶である“墓所”を破壊します。
そこにカタルシスは確かにあるんだけど……あれ?魔法少女になった女の子たちは、結局助からないの?とか、まどかに対しては思うわけですよね。ナウシカに至っては墓所を破壊したはいいけど、その為に人類オワタ!\(^o^)/…な状態なワケですよ?w(※ここでナウシカは旧来ヒーローのように「俺は未来を!人類を信じる!」とか言ってくれません。「それはこの星がきめること」というだけです。「関知しない」って言っているんですよね)

彼女らは何を決意したのか?については(↓)の記事で僕の解釈を述べているのでそこを読んでもらえたらと思いますが、ここでは、まあ何か似ていますよね……に止めます。

『魔法少女まどか☆マギカ』~決意と祈りの物語

王の物語~神殺しの物語~「風の谷のナウシカ」 (その1)


■世界を変える選択

まあ、実を言うとこの話、「似てますよね?」→「ふ~ん」(´・ω・`)で、終わりというか特に結論ないんですけどね。ただ、僕は、まどかの契約も、ナウシカの選択も、とても好きで。感動して。首を縦にぶんぶん振ってしまう程、肯定しているのですが、これが納得できない人にもどうにも納得できない事のようなんですよね。そこらへん、何か上手く、“納得”へ誘導する方法はないかなあ?と考えていますが、これがけっこう難しい。また、両作品の結末の景観が似るというのは、納得も不納得も根がかなり近いものではないかと思っています。

納得できないロジックの最たるものは、多分、「お前の思想、お前の趣味を人類に押し付けるな!」というものでしょう。これは、その通りというか……おそらく彼女たちはこの謗りは免れ得ないでしょう(汗)
まどかは、魔法少女になった子たちの契約する意志を尊重して、ただその願いが魔女として災厄に変じてしまう不幸を消しましたけど、対象とされた少女たちの中には「そんな事どうでもいいから、わたしの生命を助けてよ!契約を解除してよ!」と思った子もいたでしょう。
ナウシカも墓所を破壊しても、その後の戦乱は回避されない。争いも飢餓もなくならないと思われます。「なら、せめて、永劫の未来であっても人類は再生するという夢を見させてくれよ!そもそも、お前に新人類を打ち滅ぼす権利なんかあるのか!」という人もいたと思います。

これらの主張は僕は充分な理があると思います。勿論、彼女たちは一定以上の極限状況に臨んでいて、その選択は限られていた…とは言える。また「全てを無矛盾に救う事」を主人公に仮託するのは、過度の要求の面があると思う。しかし、まったく他の選択を考慮する予知はなかったかと言うと、そうは思わないし、過度の仮託に答えてこその『物語』であり『英雄譚』じゃないかとも言えると思います。

にも関わらず僕が彼女らを支持するのは、ものの考え方が似ているから……なんでしょうかね?僕はやはり「自分の生命人生と引き換えにして得ようとした望み」は尊重して欲しいし、それ程の選択を「気の迷いだったからキャンセルして」って……、そういう事が気の迷いがどうかも分からない自分でありたくないと思う。
ナウシカの選択は……僕は多分、人類再生計画を了として、墓所のどっかに転がってると思いますが(汗)それだけに、ナウシカの「未来を質にして今の災厄を肯定しない」という喝破は「小気味良し!」と言わざるを得ないw…というか、生命の在り様を貴ぶならばこちらでしょう。

まあ、趣味が合うって事ですかねえ…。僕はたまたま(彼女たちと)趣味が合った。趣味が合わない人もいるよね。そこの価値は相対的なものだよね……って、なんだろう?そこを、そう納得したくない自分がいますw
生命は遍く凡て生きて死ぬ。という在り様を気を入れて眺めていると、自然と“こっち”になるんじゃないの?と思っている所が僕にはあります。…とは言っても、この話はここまでにしておきますが。特に結論を急く話でもないですしね。

あと、ちょっと付け加えると、たとえばナウシカが墓所の話を聞いて、それを持ち帰って皆で相談して、投票で墓所(人類再生計画)をどうするか決める…なんて選択もあるかもしれませんが、僕はそれは物凄く嫌ですwなんだろう?民主主義嫌いなんですかね?w
まあ僕は僕の意見を反映して欲しいから現世の民主主義は肯定しますけどね。『物語』ではそれは特に見たいものではないです。皆で決めるなんていうのは「皆が納得する選択」であり「間違ってない選択」だけど、「正しい選択」とは特に関係はない。最良解がある問題なら~全て理屈で辿りつける解答なら~集団に頼るのもいいですけど、人間が本当に困るのはそういう問題ではないでしょう。

僕が、物語の主人公の類型の中に『王』という型を見出し追っているのは、こういった「正しい選択」の話を追っているからなんですよね。まあ、ここらへんの話はこの先もず~っと語って行くと思いますので、今日はここまでにします。(というか、けっこう最初に上げたトゥゲッターのコメントの方が言いたい事はまとまっている気もします)

……あ、あと。キュゥべえと、墓所を並べて置いてみて思ったんですが、キュウゥべえって言わば“動く祭壇”なんだ。先日の記事で、キュゥべえと、安心院さんを“戦っても勝てない敵”と位置付けて語っていましたが、それってつまり『祭壇』なんだ。…というか以前、安心院さん(の居る場所)を『祭壇』扱いした記事も書いていましたっけ。

脱英雄譚2.0?とか思いつきでタイトルして適当に書き走らせてみる。

今週の一番『めだかボックス』善吉が来た場所を『祭壇』と捉える観方

…ん~。最近、なんか色々リンクしてくるなあ…何か来るかな?(´・ω・`)


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