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初恋のトキメキを覚えていますか?

2010-08-20 | 小さな旅の思い出
  【百日紅の花と大黒屋~馬籠宿にて】
先日、久しぶりに馬籠宿に行って来ました。
馬籠とは、中山道の69宿のうち43番目の宿場町として栄えた所です。
妻籠とともに古い町並みが保存されています。

この馬籠は文豪『島崎藤村』の故郷であり、本陣であった生家には
藤村記念館が建っています。






【大黒屋】

街道時代には造り酒屋だった店も
今は民芸店とお洒落な茶房になっています。



【大黒屋】

藤村記念館の中庭からは、藤村の詩『初恋』の
モデルとなったおゆふさんの生家
『大黒屋』の屋根が見えます。
 
『初恋』~若菜集より~




 まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情けに酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ


明治5年にここで生まれた藤村は、明治14年
遊学のため上京します。
(遊学!…なんて
優雅な言葉でしょう!}

明治学院大学卒業後、教師をしていた彼は
明治30年に第一詩集『若菜集』を刊行します。
『初恋』はその『若菜集』に載せられたものです。



                              

この情景は、当時8,9歳だった藤村の想い出を詩に認めたものとされています。

この時代の女の子は10歳くらいになると、それまでおかっぱだった髪を
桃割れに結うのがしきたりでした。
ずっと隣に住んでいた幼馴染の女の子が、ある日突然髪型が変わり
少女になった驚きと、美しい花の付いた髪飾りでもある
花櫛を挿した姿に大人の女性を見出し恋心を感じたのではないでしょうか。

そんな男の子の気持ちに気付きながらも、優しく接してくれた彼女への
感謝の気持ちも感じられます。

そんな勝手な解釈をしてみました。
 
             
【記念館の入り口に並べられた藤村の作品たち】

その後間もなく上京した藤村にとって、故郷の甘く美しい想い出として
ずっと心の中に留まり続けたことでしょう。

この詩が刊行されるまでの17年もの間、心の中で温め続けていた想いなのでしょう。

                              



【島崎藤村の勉強部屋のある離れ】

明治28年に生家は焼失し、この祖父母のための離れだけが残ったのだそうです。
帰省した藤村は、ここであの『夜明け前』の構想も練っていたとされています。



ここからは、『夜明け前』にも登場するお寺や山々を眺めることが出来ます。


【裏庭の文学碑と立て札】

誰でもが太陽であり得る。
わたし達の急務は、ただただ目の前の太陽を
おひかけることではなくて
自分等の内に高く太陽を掲げることだ。
随筆集『春を待ちつつ』所収太陽の言葉より


敷地内の彼方此方にある立て札や文学碑には、藤村の小説のモデルになった風景と共に
作品の一部分がかかれています。



                              




【萩の花と石畳】



【街道として栄えた頃の衣装を来た人たち】

 


                              

ところで、初恋の想い出とは誰でもそっと胸に秘めておきたいものです。
それが誰であったかが、こんなに有名になってしまったおゆふさんの
心中はいかばかりであったかを知ってみたくなりました。

誇らしい思いだったのでしょうか、それとも恋多き藤村に
呆れていたかもしれません。

今では知る由もありませんが
このおゆうさんの嫁ぎ先のすぐ近所に住んでいた義母は
彼女にとても可愛がられていたそうです。
私が結婚したばかりの頃、その母である今は亡き義祖母は
藤村先生や、おゆうさんの話をよく聞かせてくれました。

もっとたくさんの話を聞いておけばよかったと
今になって後悔しています。

こんなことを思いながら歩いた馬籠で
郷土の生んだ偉大な文豪『島崎藤村』という人が
今更ながら、急に身近な人に思えてきたのでした。




いつの頃に植えられたのか
中庭の林檎の木に薄紅の秋の実が実っていました。

最後までお付き合いありがとうございました!