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大学教授キョトンC日々アラカルト便り!!
秋葉原通り魔連続殺傷事件。。。
昨日は、研究室にいたが、昼過ぎショッキングなニュースが飛び込んできた。とてもショックだ。
まだ記憶に新しい荒川沖の事件といい、動機が分からないことだらけだ。
加藤容疑者は静岡の裾野市のマンションに一人暮らし。地元の自動車部品工場に派遣社員として働いている。
何故、アキバなのか?目立ちたいからなのか。
日々の生活の一コマとして、たまたま秋葉原に来て、件の交差点にいた数々の人々。
その中で、無差別に刺され、命を奪われた7名の方々。本当に無念だったと思います。謹んでご冥福をお祈りいたします。
深刻な傷を負われた10名の方々。一日も早い回復を願っております。
20代半ばの男性達の<無差別に人を殺したいという欲求>とは、何か。
20代半ばの男性達のほとんどは、ごく一般的な感覚と欲求に基づいて行動しているので、このような集団として括られることに抵抗があるだろう。
しかし、最近の無差別な凶悪事件の数々は若い男性が起こしている。もちろん、過去に起きた新宿西口バス放火事件や通り魔殺人事件の一部は中年の男性が起こしているので、全て若者ではないが。
容疑者の動機や無差別殺人事件の背景をめぐって、識者が色々説明するが、なかなか再発防止や予防につながるような説得力のある解釈は存在しないようだ。
コメントを要求される識者にも同情する。過去の事件の解釈はできても、今起きている<想定外の凶悪事件>について分析しろと言われても困るであろう。
無差別殺人の容疑者を生み出した社会が悪いのだと言うまとめ方でテレビ番組を終わる例もあるが、これではねえ?
一人ひとりの容疑者には、家族や知り合いなどがまわりにいるはずだ。小さなシグナルを発しているうちに、受け止めていかなければならない。
もっとも、一切の人間関係を絶っていたり、小さなシグナルを発しないケースには、対処の手立てはない。
深刻な病み社会であることを実感する。
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若者が挫折感を余り感じなくてすむような、復活可能社会を作っていかなければ。
世の中は事件も事故も自然災害さえも、被害が大きくなった責任が誰に、またどこにあるかを追究することばかりに目を向けてばかりのような気がします。
「明日はわが身」、と受け止めることの大切さもニュースはもっと伝えてもいいのではないかと思うのですが…。
何か起きたとき、「国が、有識者が何かをしてくれる」、「自分たちとは関係ないところで起きているコト」、と考える人たちが減らない限り、こういう事件の予防も難しいのではないかしら、と思いました。
(筋が違うかしら??)
明日はわが身、今日は我が身と捉える感性がとても重要ですね。
東京だけでなく、愛知県もよくニュースになります。
極度の不安はまずいのですが、適切な<まわりの気配に注意する>ことは不可欠だと思います。
時々、癒し系の記事を拝見しています。コメント書けずに申し訳ないっす。