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長野県安曇野市のマンホール蓋(その4)旧南安曇郡豊科町

2019-03-26 05:46:43 | マンホール蓋

旧豊科町は、大正4年4月1日 に豊科村が町制施行して豊科町が誕生しました。その後、昭和30年1月15日に南穂高村、高家村及び東筑摩郡上川手村の一部と合併し新たな豊科町となります。そして、17年10月1日に穂高町、堀金村、三郷村、明科町と合併し安曇野市が誕生した事により旧豊科町は消滅しました。

旧豊科町は、長野県の中西部に位置し、面積は39.11平方キロメートル、松本市、穂高町、堀金村、三郷村明科町と接していました。人口は、平成17年9月1日時点で2.7万人強でした。

町章は、豊科町の「トヨ」を図案化したもののようです。(昭和6年2月1日制定)

私は旧豊科町に、2019年春のJR青春18切符を利用し3月12日から1泊で松本方面に旅行した際と、平成29年7月にマンホールカードを頂くために安曇野終末処理場(愛称:アクアピア安曇野)に立寄った時と二度訪問しています。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初は、北アルプスの山並みと犀川に訪れるハクチョウをデザインしたカラーデザインマンホール蓋です。

駅前の大通りの歩道に設置されていました。

こちらは、枠付きのノンカラー蓋です。

こちらは、親子蓋です。
小雨が降っていた為に水が少し浮いてきているのできれいに撮る事が出来ませんでした。

一般的に見られる規格模様と呼ばれるマンホール蓋は見つける事が出来ませんでした。

以下は、ハンドホール蓋になります。
こちらは、上記と同じデザインの蓋です。
 

以下は、上水道関係の蓋になりますが、旧豊科町を表す表示が付いている蓋は見付かりませんでした。
こちらは、消火栓の蓋です。

唯一、防火貯水槽の蓋で旧豊科町の町章が付いているものを見付ける事が出来ました。

以上で、旧豊科町のマンホール蓋の整理を終了します。




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