さくらおばさんの ひとりごと

日々の想いを綴ります。

「ともしびフェスタ 2008」 青い地球~今を生きる~

2008-08-31 | 音楽
 晴れた~~!
             

             

             


 このところ、連日「大雨洪水警報」でしたからねえ。


 さあ、出掛けよう、北とぴあ へ!  



        ともしびフェスタ 2008 青い地球~今を生きる~

プログラム

 第一部 豊かな風土・日本に生きる
  最上川舟歌
  斉太郎節~遠島甚句
  まりと殿様
  芭蕉布
  島人ねぬ宝
  マザー
 第二部 中南米「もうひとつの9.11」&荒木栄「闘いの中から」
  みんな一緒に
  耕す者への祈り
  花まつり
  不屈の民
  平原の魂
  三池の主婦の子守歌
  この勝利 ひびけとどろけ
  もやせ闘魂
  仲間のうた
  告別
 第三部 「青い地球」 合唱&みんなで歌おう
  歩くうた
  フィンランディア
  収穫の歌
  カリンカ
  思い出のグリーングラス
  峠の我が家
  アメイジンググレイス
  私の希望(ねがい)


 私が胸がつまったのは、「みんな一緒に」「耕す者への祈り」「不屈の民」でした。

 合唱のうたごえとともに、ステージの背後に、若いビクトル・ハラの写真や当時の映像が映し出され、その生きる姿勢を思い起こしたとき。


 ビクトル・ハラ(Victor Jara 1932年諸説あり~1973年)
 チリのシンガー・ソングライター。
 1973年9月11日、軍事クーデターによってアジェンデ大統領は殺されました。その日、ビクトル・ハラは軍に逮捕され、14日チリ・スタジアムに連行された後、虐殺されました。民族的伝統を大事にし、歌を通して社会の変革を目指した運動の中で、『耕す者への祈り』、『平和に生きる権利』などを発表しました。
                      (プログラムより)


 一人ひとりの人間を大切にする世界をつくるためのたたかいで、どれだけ多くの人が犠牲になったことでしょう。

 私たちはその上に立っています。

 
 第三部では「カリンカ」「思い出のグリーングラス」「峠の我が家」「私の希望(ねがい)」を、会場のみーんなで歌って、元気を胸いっぱいにもらいました。


 音楽って、いいなあ。

 歌って、いいなあ。

 さあ、歌を歌いに、「ともしび」へ行こう!



       うたごえ喫茶「ともしび」

            http://www.tomoshibi.co.jp/
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東京芸術座 『兵士タナカ』

2008-08-27 | 演劇
 会場に入ると、舞台正面に、顔の上半分を白く塗った(仮面?)兵士の姿をした人形(と思いました!)が直立不動の姿勢で立っていました。

 銃剣て、大きいのですね!
 地面から兵士の目の辺りまであります。

 あのようなものを向けられたら、きっとものすごく怖いだろうなぁ、と思っていると、じっとしている兵士がなんとなく小さく揺れています。

 ん?舞台の上は風があるのかな?
 いや、ちがう。
 あんなに上手に人形を作れるわけがない。
 これは俳優さんがじーっと立っているのだ、多分そうだ。

 そうだったのです。
 開場から開演まで30分間も!

 開演時、上手側の兵士が「ご案内」をしました。

 などということをバラしても、もういいですね。
 今日は楽日でしたから。


 原作はゲオルク・カイザー(1878-1945)。

 私は初め、外国のどこかのことを日本に置き換えたものなのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。

  「ナチス・ドイツの盟友である日本の絶対主義的天皇制国家を批判の対象とし、当時の日本軍国主義の本質を見事に描き出すことで、同時にドイツの独裁者とファシズムを激しく批判したのだ。」(チラシより)
 そして、「1940年亡命先のスイスの劇場で初演されたが、日本公使館の抗議により上演中止に追い込まれた」のだそうです。


 軍人となって初めて帰省したときの、貧しいはずの両親の大盤振る舞いと、たまたま上った妓楼で偶然再会した、芸妓になっていた妹と、軍人として「成長」し晴れがましい生活をしてきた自分との関係が、兵士タナカにわかってきます。

 「天皇陛下に願い出れば死刑を免れることもできる」という裁判長の言葉に対し、これまでは言われたことに素直に従ってきたタナカでしたが「天皇陛下が謝るべきだ」と言い放つ。

 実は今日、この場面でアクシデントがあったのですが、それはまったく傷になりませんでした。

 それより、このような作品に懸命に取りくんだWさんたち、若い俳優さんにとって、この芝居の内容や台詞の重さはいかばかりだったろうかと思い、大きな感動となったのです。

 この作品に出てくれて ありがとう!

 またの上演を期待しています。



          東京芸術座

            http://www.tokyogeijutsuza.co.jp/
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T子さんの絵手紙

2008-08-24 | 草花・木
 涼しい日がつづいています。

 このまま秋にはならないでしょうね。
 それはちょっと寂しすぎます。


 友人のT子さんは、ときどき絵手紙を送ってくれます。

 最初はティーポットでした。

 私が元気をなくしていた昨年の私の誕生日には、T子さんの家の、下のほうがちょっと欠けた掛け時計。

 「すてきな時を刻んで下さい」というメッセージ付きです。

 今年の誕生日は 桜草 でした。

 
 暑い盛りの今年7月下旬には、この花でした。

          

    「この花の名は 「言わぬが花」 です」

 なんか、いわくありそうな名前だなあ、と思っていたら、後日の電話でわかりました。

    本名 : ヘクソカズラ

     参考   http://www48.tok2.com/home/mizubasyou/95hekusokazura.htm

 T子さんによると、「さわらぬ神に たたりなし」だそうです。

 私は、写真は撮りましたが、触ってみる勇気は出ませんでした。

 T子さんのメッセージには

 「桜のように待たれるわけもなく、バラのように花束にならず」

 「蔓の延び方と強さがすごい」

 「見方によっては、ルビーをダイヤが取り巻いているような!」

と、この花を称え、励ましています。


 やさしい人です。

 
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8・15

2008-08-17 | 平和
 きょうは、なんとまあ涼しいのでしょう。

 朝起きた時から空気がひんやりしていて、ソックスを履かないとなんとなく足元が頼りない感じでした。

 セミの声もおとなしい。

 それにしてもひと晩のうちにこんなに変わってしまうなんて。
 もちろん、すぐまた暑い日々に戻るのでしょうが。


 おとといの8・15は、63年前と同じ、よく晴れて暑い一日でした。

 私にとって8・15は、空襲に怯える毎日が終わった、まさに「終戦の日」。

 日本に侵略されたアジアの国の人々にとっては「解放の日」。

 このような時代をつくった、侵略戦争を進めた人々にとっては「敗戦の日」でしょう。

 そして、小林多喜二さんたち、侵略戦争に反対して、命をかけたたたかいをやめなかった人たちにとっては、何の日と称したらいいのでしょう。「歓びの日」「自由の日」?

 多喜二さんは、虐殺されましたので、この日を生きて迎えることができませんでしたが。


 たくさんの、たくさんの人々の犠牲の上にある 9条 です。

 そして、未来の姿を指し示す 9条 です。
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上甲米太郎展

2008-08-11 | 催し物
 全国的に、突然のスコールのような雨と、何も手につかなくなるような大音響と光を伴う雷(花火もかなわない、とT子さんが言っていました)に襲われ、痛ましい事故が起きて犠牲者も出ている、この夏の異様な空模様です。

 ところが、この辺りはちっとも雨が降りません。

 うまくいきませんね。

 もし、地球温暖化の影響であるなら、とにかく今やっている世界中の戦争を即やめてほしい。




          
      http://www.40net.jp/~kourai/2event/kourai%20204.html


 上甲米太郎(じょうこう よねたろう)さんという方をご存知でしょうか。


 今、教育の管理化・競争論理の中で教育現場が荒れています。
 上甲は植民地時代の朝鮮で朝鮮人が行く公立普通学校の教師になりました。朝鮮語を使い子どもたちと熱心に教育に取り組みました。しかし、あまりにも貧しい朝鮮人の暮らしに日々接し、社会問題に関心を持つようになりました。
 1930年に創刊された新しいプロレタリア教育を提唱する「新興教育」の読者になり、読者会を組織し朝鮮の独立を支持しました。朝鮮総督府はその言動を警戒し、上甲は教え子と共に特別高等警察によって治安維持法違反で逮捕されました。西大門刑務所出所後は土木労働などをしますが、特高警察の指示で、北海道に強制連行される朝鮮人労働者の通訳・労務係りにされました。後に三井三池炭鉱に移動し、敗戦を迎えます。その後は三池炭鉱をレッドパージされ、大牟田市で自由労働者として朝鮮人集住地区に住みました。
 今回は朝鮮での教員時代と戦後の生き方を中心に展示しました。朝鮮人の子どもと共に歩んだ上甲の生き方と日記から、現在の教育や朝鮮との関係を考えていきたいと思います。
                  (チラシより)


   高麗博物館 企画展
    朝鮮の子どもたちと生きた教師       
      上甲米太郎(じょうこう よねたろう)

 展示期間:2008年8月5日(火)~10月26日(日)予定
        12:00~17:00 月・火曜日は休館
 入館料 :400円(中・高生 半額)
 場所  :高麗博物館
       東京都新宿区大久保1-12-1 第2韓国広場ビル7階
            電話:03-5272-3510
        http://www.40net.jp/~kourai/MAP1.JPG


 9月6日(土)には、娘さんの上甲まち子さん(青年劇場俳優)の講演会があります。


  講演会:「朝鮮人の子どもたちと共に歩んだ父・上甲米太郎の思い出」

    講師 :上甲まち子
    日時 :9月6日(土)14時~16時
    場所 :高麗博物館
    参加費:1,000円
    予約 :不要


 展示は、父が残した教師時代の40冊に及ぶ日記がもとになっています。
 16歳で洗礼を受けたキリスト者としての父、兵士としての父、恋をする父、そして子どもたちをこよなく愛し、その幸せを願い苦悩する父。
 実に鮮やかに、写真の数々とともに展示されていて、感激しました。
                    (まち子さんからのお手紙より)
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“冷しシャンプー はじめました”

2008-08-06 | 暮らし
 先日、いつもの美容院へ行きました。

 わが家のあたりと違い、都心は ぼあー むしー じりー と、電車から降りたとたんわが身にせまる空気が、目に見えない凶器のようで、歩くことをたじろがせます。

 とくに、輻射熱のすごさときたら!(余計なことですが、輻射の輻って、クルマヘンなんですね。)

 目指す美容院は、駅の階段を下りてすぐ目の前のビルの2階なのですが、それでも一瞬、足が止まりました。

 ふうふう言いながら階段を上り、お店の中に入ってすぐ目に付いたのが、待合席に飾られた“冷しシャンプー はじめました”の案内カード。

 えー!冷しシャンプーなんてあるのー?!

 もちろん、やっていただきましたー。

 ぬるま湯でぬらした髪にシャンプー剤をつけて洗っているうちに、え?わあ、涼しいー!

 ちょっとぬるめのお湯ですすぐと、え?いまお湯使ってるの?なんだか日なた水で行水してるみたいよー。

 おばさんはもう、初体験にびっくりです。

 カットしている間も涼しさは続き、ドライヤーを当てても暑くなりません。

 冷しシャンプー、略して レイシャン 。暑い時期だけ、とのことでした。

       美容院 ACRESS

              http://www12.ocn.ne.jp/~acress/


 

 わが家から駅までの道は、いまや、セミ街道です。

 こんなヌケガラがありました。

          
          


 この後もう1箇所行くところがあり、帰りは夜になりました。

 そうしたらなんと!
 ヒグラシが鳴いていました。何年ぶりのことでしょうか・・・。
              
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