記憶・記録
2011-07-24 | 本
きょうは久しぶりで少し汗をかきました。
やはりこの急な涼しさ、肌寒さは体によくありませんね。
私の場合は、台風という低気圧のせいだったかもしれません。
ちょっとつらかったです。
おととい、きのう、と二人の音楽家の文章を読みました。
お二人とも「記憶」に関わる文章です。
偶然ではないでしょう。
震災と原発事故、そして戦争と原爆の8月。
「忘れてはいけない」と多くの人が自分に言いきかせていることでしょう。
「進歩とは、およそ変化からなるものとはほど遠く、よき記憶力によるものである」と言ったのは誰だったろうか・・・。 ・・・・・ 「記憶」という人間の力に大きく深い意味が内蔵されていることはたしかだと僕は考える。人間以外の動物には「現在」しかないのだ。過去を記憶する動物は人間だけなのである(犬も猫も飼い主くらいは記憶するけれど・・・)。
人間として在るならば、風化するはずの記憶を進歩へ転じさせなければならない。まもなく、被爆から66年目の日がやってくる・・・。
(池辺晋一郎・作曲家「空を見てますか」より「記憶の価値」 うたごえ新聞8/1)
天災や人災に対し、人間はなかなか記憶を保持できません。物忘れの名人こそ人間というものです。
それに対し、芸術は史実を風化させない役割を担っています。芸術は自然と人間の関わりや人間の心理を浮き彫りにし、人類の幸福とは、未来とは何かを提示してゆきます。私の行動の原動力はここにあります。
(松野迅・ヴァイオリニスト「温かい数々の想いの束」 しんぶん赤旗7/22)
前回ご紹介した、写真集「3・11メルトダウン」のジャーナリストの皆さんも、この事実を風化させることを止めたいという必死の想いがあるのではないでしょうか。
写真はそのための大きな力になると思います。
記憶と記録。
瓦礫に埋めつくされた町や村(そこではほんのちょっと前まで人間の営みが展開されていたのです)。
不気味な福島原発の姿。
呆然とする人々の目、
不安と怯えを抱えている目、
主をなくした家畜やペットの目、
行政や東電へ必死の想いで抗議する人々の目・・・。
カバー写真:捨てられた原乳。福島県飯舘村 3月29日 森住卓撮影。
国森康広
小林正典
権 徹
佐藤文則
豊田直巳
野田雅也
古居みずえ
桃井和馬
森住 卓
山本宗輔
綿井健陽
以上11名の写真と座談。