さくらおばさんの ひとりごと

日々の想いを綴ります。

沖縄県民大会

2007-09-30 | 平和
 
   県民へのアピール

  砲弾の豪雨の中へ放り出され
  自決せよと強いられ
  死んでいった沖縄人(うちなーんちゅ)の魂は
  怒りをもって再びこの島の上を
  さまよっている

  いまだ砲弾が埋まる沖縄の野山に
  拾われない死者の骨が散らばる
  泥にまみれて死んだ魂を
  正義の戦争のために殉じたと
  偽りをいうなかれ

  歴史の真実をそのまま
  次の世代へ伝えることが
  日本を正しく歩ましめる
  歪(ゆが)められた教科書は
  再び戦争と破壊へと向かう

  沖縄戦の死者の怒りの声が
  聞こえないか
  大和(やまと)の政治家・文科省には届かないか
  届かなければ 聞こえなければ
  生きている私たちが声を一つにして
  押し上げ 訴えよう

                 (『琉球新報』号外より)




 教科書から「集団自決強制」を削除されたことに対し、昨9月29日、抗議の沖縄県民大会が開かれました。

 参加者11万人!



 「死体の山を越え、誰が敵で誰が味方か分からなくなる怖さ、大事な人を目の前で失う悲しさ」
 「『敵につかまるくらいなら死を選べ』という教育や指示を受け、手りゅう弾が配布され、極限状態に置かれた住民たちはどう感じたでしょう。手りゅう弾を配った日本軍は明らかに『自決』を強制している」
               (津嘉山拡大さん・読谷高校3年生)

 「将来高校で日本史を教える教師になりたい」
 「このまま検定意見が通れば、歴史を教える立場になった時、教科書の記述どおり事実でないことを教えないといけません」
               (照屋奈津美さん・読谷高校3年生)

                  (しんぶん「赤旗」より)



 いま私は、この高校生代表の、まっすぐな、真摯な心にうたれています。
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秋の名優たち

2007-09-25 | 草花・木
 きょうは、写真集です。


 夏の代表のようだったセミたちの声も、ツクツクボーシが静かに鳴くだけになり、かわって秋の名優たちの登場です。


 演劇を観に行く前、小一時間の撮影散歩。



 あーら、ねこチャン。
 
 ニャア。

 いぃい?撮っても。

 ニャア。

    パシャ!

              

 ありがと。

 ニャア。

 日向ぼっこのノラちゃんです。


          ハギ
              

          ススキ
              

          ドングリ
              

          ヒガンバナ・紅白
              

 これ、なんだかわかりますか?
              

 こんな花なのです。
              

 毎日、スーパーへの行き帰りに、「これ、なんだろうね」と夫と不思議がっていました。実を触ると硬い。

 きょうはたまたま、この花壇の手入れをしている最中の女性に聞くことができました。

 ナス科の植物で、「フォックスフェース」(狐の顔)というのだそうです。

              
 
 ね?



 さて、きょうの主役は「中秋の名月」でしょう。

              

 でも、十五夜(十五日の月)はあさって27日なのですね。




              きょうのおまけの一枚 ─ 看板

              

 10月1日から「会社」になるんだとか。 
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アレン・ネルソン 『そのとき、赤ん坊が私の手の中に』

2007-09-23 | 

 「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」(代表・安齋育郎 立命館大学国際平和ミュージアム館長)発行のブックレットNo.3です。

             

 目黒のOさんが、No.4『勇気の源はなんですか』(伊藤千尋)、No.5『9・11マスターキーから何が見える?』(9・11事件真相究明国際会議in東京から)、No.6『今度の騙(だま)しは手ごわいぞ』(安齋育郎)とともに送ってくださいました。

 きょうご紹介するのは、元アメリカ海兵隊員アレン・ネルソンさんの『そのとき、赤ん坊が私の手の中に──みんな、聞いてくれ これが軍隊だ!』です。

 100回を越えるという各地でのネルソンさんの講演をまとめたものです。

 見出しをいくつかピックアップします。


  わがアメリカこそ「国際テロ」の帝王です

  少女が尋ねた「ネルソンさん 人を殺したの?」

  戦場で殺し合いをするのは 貧しい庶民同士です

  軍隊の訓練と任務は「殺し」です

  本国では「射撃訓練」 沖縄では「殺人訓練」

  戦争にルールなんかありません

  殺した死体の場面と悪臭が「悪夢の正体」

  私の手の中に「新しい生命」が生まれ落ちた

  いまも沖縄基地の状況は戦場そのもの

  地球上のすべての国に「9条」がほしい


 海兵隊では、来る日も来る日も殺すことの訓練。「戦争の手引書」を読んでいかに殺すかを学ぶ。


 「お前たちの仕事はなんだ?」

 「KILL!」

 「そんな声で聞こえるか!」

 「KILL!」

 「まだ聞こえんぞ!」

 「KILL!KILL!・・・」そして「ウォー」というライオンのうなり声のような声を発する。


 ネルソンさんは十三ヶ月間、ベトナム戦争に参加し、多くの人を殺しました。


 ジャングルでの撃ちあいが終ると、あと片づけをする。

 死体を集めて、数を数える。
 「何人取り逃がしたか」を調べるために。


 ネルソンさんは、ある日の戦闘で逃げ回り、とある防空壕に飛び込んだところ、一人のベトナム女性がたった一人で出産する場面に遭遇し、その瞬間、差し出した手に赤ちゃんが生まれ落ちる、という体験をします。

 ネルソンさんにとって、決定的な意味を持つ出会いでした。


 「ベトナムの人も同じ人間だ・・・」


 アメリカに帰ったネルソンさんはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、ホームレス生活のなかでであった高校の同窓生に声をかけられて、その女性が教えているクラスの子どもたちの前で、初めてベトナムでの体験を話しました。

 「ネルソンさん、人を殺したの?」という問いかけに、目を瞑って、やっとの思いで「イエス・・」と答えたところ、子どもたちは、ネルソンさんのもとに駆け寄り、しっかりと抱きしめ、友人の先生も、ネルソンさんも、みんなで泣いたそうです。

 このことがきっかけになり、精神科医のもとで15年間PTSDの治療をつづけ、40歳を過ぎて語り部としての活動に入りました。


 
 仮名もふってあり、とても読みやすい本です。

 「すべての若者と 女性のみなさんへ」ということです。


        憲法9条・メッセージ・プロジェクト

            http://www.k3.dion.ne.jp/~k-9mp/main.htm




 きょうは秋分の日・お彼岸の中日です。

 ヒガンバナの写真を。

             
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第五福竜丸展示館へ どうぞ

2007-09-17 | 催し物

   今から53年前
   子どもたちは
   毎日のラジオや新聞で報じられる
   水爆実験により被災した
   第五福竜丸乗組員の容態を気遣い
   家族や友人たちと語り合っては
   お見舞や激励の手紙を書きました。
   無線長・久保山愛吉さんの訃報に接して
   クラス中で作文を書いた学校もあります。
   兄弟姉妹でお小遣いを出し合って
   お花をそなえてくださいと書き添えた
   お悔やみの手紙も届けられました。
   久保山愛吉さんと
   その家族に届けられた
   3000通の手紙から
   あの頃の子どもたちの目に映った
   ビキニ事件と
   手紙に託された心をたどります。
                (チラシより)


      手紙   子どもたちが見たビキニ事件
    
   2007年9月23日(日)~12月23日(日)
     午前9時30分~午後4時
    月曜休館(月曜祝日のときは開館し火曜休館)
    入場無料

   都立第五福竜丸展示館
    (江東区・夢の島公園内)

    主催・財団法人第五福竜丸平和協会



 チラシには、当時の小学2年生・ひろこさんの手紙が載っています。
 久保山さんが小康を得ていたときのもののようです。


    くるしむおぢさんへ

で始まり、便箋3枚に心をこめて書き綴り、

    おじさんしなないでください

と結んでいます。




 ベン・シャーンの絵に、アーサー・ビナードさんが文を書いた絵本「ここが家だ」は、当ブログ 2006.11.9 でご紹介しましたが、あの時、大事なことを書きそびれていました。


 1954年3月1日、ビキニ環礁で漁をしていた第五福竜丸と23人の乗組員は、アメリカの国防総省がおこなった水爆実験による「死の灰」を浴びました。

 漁をしていたのは、米軍が定めた危険区域外の公海でしたが、「水平線にかかった雲の向こう側から太陽が昇る時のような明るい現象が3分くらい続」くのを目撃した久保山さんは、アメリカの軍時機密に遭遇したことを察知して、もし無線でこのことを知らせ、その無線を傍受されたら、自分たちが攻撃目標にされる恐れがあると考え、港には一切知らせず、二週間かけて焼津に戻ったのです。


 私はこのことを、この絵本を読むまで知りませんでした。友人の何人かもそう言っています。



 先日、9月11日(そう、9・11です。)、ビナードさんの講演会に行きました。
 (ムジカ音楽・教育・文化研究所主催)

 ビナードさんは第五福竜丸のことを初めて知った時、乗組員がどうして無事に日本に帰れたのか不思議に思ったそうです。

 もし第五福竜丸のことをアメリカが知ったら、機密を守るためにペンタゴンは船を撃沈するはずだからです。

 死の灰を浴び、放射能に侵されながらも、久保山さんの冷静な判断と行動によって、全員、焼津に戻ることができました。

 そして、この軍事機密は世界中に知られることとなります。

 もし撃沈されていたら、何事もなかったことにされていたでしょう。

 原水爆禁止の運動や、核廃絶の運動はどうなっていたか・・・。



 第五福竜丸展示館へ、ぜひお出かけください。



       都立第五福竜丸展示館

          http://d5f.org/




 
    
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「日本の青空」 感想集

2007-09-12 | 映画・ドラマ

 きょうは午後から、「安倍首相 辞任表明」でテレビは大騒ぎでした。

 各党の代表質問の直前にこんなことをするなんて、安倍首相は無責任です。


 夕方、ちょっと重い荷物を発送するために、宅配便の方に来てもらいました。

 伝票を書いたり、印鑑を押したりして、さて外へ運び出そうとした時、夫が見ているテレビ番組「リアルタイム」の声がきこえてきました。
 安倍さんのことです。

 と、宅配便の男性が思いがけないことを言いました。

 「安倍さんはやっぱり、おじいさんと同じことをするんですかね」

 思わず 「え?」 です。

 「岸首相は60年安保を通して辞めましたよね」

 「はい」

 「安倍さんもテロ特措法を通して辞めるんじゃないんですか」

 「通しますか」

 「衆議院は向こうのほうが多いですから。やっぱり、おじいさんと同じなんですね」


 ちょっとびっくりしました。



             

 高尾山の写真。
 ケーブルカーの駅です。



 茨城のNさんが、「日本の青空」上映会NEWS No.3 を送ってくださいました。

 上映会で寄せられたアンケートが掲載されています。

 Nさんの快諾を得ましたので、ここにご紹介します。


○高橋和也、加藤剛、藤谷美紀のひかえ目の演技が、映画を叙事的によくしてい
た。(30 代男5) ○何度見ても(といっても2回目ですが)新たな感動を味わ
える映画です。(40 代男9) ○わかりやすい内容でした。男女平等、戦争をし
ない憲法。この憲法を守ることに、私ができることがあるならば・・・・切願し
ます。(40 代女13) ○素晴らしかったです。一人の人間のもつ無限の可能性に
打たれました。自分にも勇気をもらいました。(50 代女16) ○鈴木安蔵さんの勇気に感動いたしました。(50 代女17) ○日本国憲法について読んでみたいと思いました。(50 代女23) ○国の本(もと)となる憲法への理想・理念を掲げて草案を作り、国民主権の国にするという情熱を燃やし続けてきた人々の存在を、映像を通して再認識できました。希望という一本の草はそう簡単には流され得ず。この映画を観たという記憶は流れに逆らい抗う力ともなり得る筈。(50 代女28) ○現憲法がGHQ主体で作られたものでなく、当時の憲法研究会案が下敷きとなったことに強い印象を受けました。「GHQの押し付け憲法」との論拠は、あまり意味をなさないと思いますね!!(60 代男51) ○①自由民権運動、大正デモクラシーの
スポットを入れる。②ホイットニー以下、憲法改正にたずさわったGHQのスタッフは法律家だったことを字幕で知らせる。③松本蒸治国務大臣の経歴を字幕で知らせる。(60代男66) ○憲法研究会が、日本は武力を持たないことの意思表示として憲法草案9条を空白にしておいたところ、当時の幣原首相等が起草して戦争放棄や戦力を保持しない条項、9条1項、2項を加えたことを初めて知りました。日本側(松本・白州)とGHQ側との間で行われた憲法草案検討交渉会のなかで、日本婦人の地位向上を願ってベアテ自らが起草した条項を、涙ながらに説明し、訴えたシーンには感動しました。(60 代男67) ○日本女性の平等を強く願って草案にしてくれた、日本で10年間育ったアメリカ人女性には涙が出た。(60 代女76) ○憲法を学んだ者として「押しつけ憲法」の呼び方には終始反対してきた。押しつけといえば、自衛隊など押しつけの最たるものである。鈴木安蔵を取り上げて映画化したことは、まことに時宜にかなったことと喜びにたえない。(70 代男89) ○リアルに描けていてよい。右からの「押しつけ憲法」論に十分反論できたと思う(70 代男92) ○少し理屈っぽいが『米国に押し付けられた』論に対して、目を開くだろう。治安維持法による弾圧は、この映画ではまだ少し理解できぬかと思う。若い人には補足する資料が必要。年配の婦人多く、大変いいこと。アンケート記入も熱心で、この手がかりは貴重なものです。(80 代男101) 註( )内の数字=回答に付した番号

<上映前トーク 鈴木伶子さんの話をきいて>
上品な語りで、お声もステキでした。(50 代男)○す~っと心に入るお話でた。ありがとうございます。(50 代女23)○もっと話していただきたかった。(50 代女24) ○冷静な口調ながら、緊迫感の当時を認識させるお話でした。(50 代女28)○御自分の経験に基づいた話で大変良かった。(50 代女35)○心が洗われるようないいお話でした。上品な語りで、お声もステキでした。(50 代男36)○大変印象深く拝聴いたしました。(60 代男51) ○民主主義とは何かがわかりました。(60 代女75)

過去を忘れる者は現在に盲目となり、未来も見えなくなる。過去と現在をつなぐ架け橋として、この映画に学び、普及に努力する必要を痛感する。 星野安三郎 (東京学芸大・立正大名誉教授)

日本国憲法は、先の大戦で命を失った全てのアジアの人々と日本人の血と肉でつくられたものです。それは、彼らの死が犬死にならないために生きている日本人ができるたったひとつのことでした。私たちは広島、長崎で、南方で、シベリアで、沖縄で、ここ日立で失われた多くの人々を二度殺すようなことは、とてもできません。(40代女 日立市民アンケートより)



 こういう動きの一つひとつも、政治を動かしているのですよね。
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日野原重明 『14歳のあなたに』

2007-09-07 | 平和
 台風9号が首都圏を通りました。

 わが家の近くは、木の枝がボキバキと折れて散乱していましたが、これはいつもの強風の時と同じで、ほかには何事もなかったようです。まずまずホッとしています。

 皆さまのところではいかがでしたでしょうか。
 お見舞い申し上げます。


 
 「どうも、私たちが写っている写真が、写真展に出品されているらしいんですよ」と、Tさんからお電話をいただいたのは4~5日前でしたでしょうか。

 一緒に見に行きませんか、とお誘いくださったのですが私は行かれず、一人で(かどうか?)行かれたTさんが、その写真をハガキ大にしたものを送ってくださいました。

 このブログ 2007.5.3 「5月3日 憲法記念日」の時のものでした。
 場所は日比谷公園。

 Tさんの右に二人の女性、左に一人の女性。
 ハツラツとしたジージとバーバがしっかりと写っています。
 (うーん、なかなかいいモデルたち!)

 「国民学校一年生たち」というようなタイトルでした。ちょっと珍しい写真ですよね。
 とはTさんのことば。

 この 写栄クラブ 第1回写真展 は9月5日に終了しました。




            


 Tさんが、この写真と一緒に「未来の選択・憲法はいま」(東京学習会議発行)というパンフレットを送ってくださいました。

 “15分で学べる憲法パンフ”です。

 このパンフに、日野原重明さん(聖路加国際病院理事長・名誉院長)が序文(メッセージ)を寄せていらっしゃいます。
 
 とても胸をうたれました。
 全文を転載させていただきます。お許しください。


       95歳からのメッセージ

          14歳のあなたに    日野原重明

 私は1年前の、私が95歳のときに、『十歳のきみへ』(冨山房インターナショナル)という本を出版しました。10歳とは、小学校4年のクラスです。
 10歳になると、子どもはかなりしっかりした判断力を持つことを私は10歳の子どもの『命の授業』で知りました。そして、その子どもたちが60歳の大人になったころ、平和な世界が具現されることを願って、私は子どもたちの成長に期待したいのです。
 ところで、4年後に憲法改正の良否の国民投票がすでに計画されています。今14歳の子どもたちは、あと4年すると投票権が与えられる可能性が強いのです。

 今14歳の君たちが世界に平和をもたらせる運動の最先端に立つことのできる可能性の見通しのある現在、私は、14歳の君たちが、最初の投票権を与えられたとき、戦争を止められる運動の最前線に立って平和を叫び、武器をもたない日本と世界になってほしいのです。
 日本は、武器については丸裸になり、世界に平和国家の姿を示してほしいのです。このメッセージこそは、今14歳である、君たちに決意してもらいたい私の希望です。


     東京学習会議
       でんわ  03-5842-5646
       FAX   03-5842-5647
       メール  gakusyuu@taurus.livedoor.com

     勤労者通信大学
       http://www.jah.ne.jp/~gakusyu/kinro.html
 
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新藤兼人さん

2007-09-02 | 平和
 『原爆の子』『第五福竜丸』『午後の遺言状』など、たくさんの映画を監督している新藤兼人さんは、現在95歳。

 いま『陸(オカ)に上(アガ)った軍艦』が上映中ですが、すでに次の作品『花は散れども』の準備が進んでいるそうです。

 以下は、「マガジン9条」から私が勝手にピックアップした新藤さんのお話です。
 ぜひ本文をお読みください。
 (http://www.magazine9.jp/interv/shindo/shindo.php



 僕が、戦争になぜ反対かと言うと、それは“個”を破壊し、“家庭”を破壊するからです。

 人間はどうやって死ぬかということは、人間の持っているひとつのテーマでしょう?誰もが考えますよ。

 (国家による戦争で)死んだ男の家族たちは、みんな何らかの形で破壊されていったでしょう。大黒柱を失って、愛する人を失って、二度と立ち上がれない人なんかもいたかもしれない。それを、名誉の戦死、だとか言っちゃいけないね。名誉でもなんでもないんだ。みんな絶望的に死んでいったんだから。

 国家として交戦権と軍隊を放棄したということは、ひじょうに立派なことでね。なかなかそんな発言はできるもんじゃないですよ。それを国家としてできたということは、戦争をやったことによる、わずかな宝ですね。だから戦後はこれをしっかりと守っていかなければならない。そして、憲法9条がなぜ生まれたかをよく見つめるということは、戦争をきちんと考えることなんですね。

 大事なことは、個が集まって国家を形成している。つまり政治も、みんなの個を守る、個の平和を守るという立場で行われなくちゃいけない。


          『陸に上った軍艦』 サイト

            http://www.oka-gun.com/intro/index.html


          上映館

            http://www.oka-gun.com/theater/index.html


 なんとかして観たいと思っています。




          

          高尾山の写真 ─ ケーブルカーから その3
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