さくらおばさんの ひとりごと

日々の想いを綴ります。

憲法を 生かして活かして

2007-07-31 | 暮らし

             きょうの一枚 ─ 何という名前の木なのか?


 とうとう7月中の梅雨明けはありませんでしたね。

 
 このところいくぶん涼しかったおかげで、疲労気味、熱中症気味だった私の体も、だいぶ回復してきました。

 
 参院選は、民主党の一人勝ちでしたね。

 民主党に投票した方の中には、複雑な思いで一票を投じた方も多かったのではないでしょうか。

 私たちは、自立した日本に向かって試練を重ねていくことになるのだと思います。


 未来を信じて、人間を信じて、憲法を生かして活かして。



 明日から暑い日がつづくようです。

 どうぞ、休養と水分をお忘れなく。
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思いやり

2007-07-26 | 平和
 2007年7月20日付の「赤旗」に

  「慰安婦」決議案
  日本の参院選後に採決
  米下院 自民苦戦に“配慮”

とありました。

 この決議案の提案者のマイク・ホンダ議員によりますと、30日に採決される見通しだそうです。
 (注意して見ていなかったのですが、たしか、きょう現在まだ採決されていませんよね。)

 アメリカの議会って、思いやりがあるのですねぇ。

 米軍に対する日本の「思いやり予算」のお返しでしょうか。



 Tさんが送ってくださった「国民学校一年生の会」ニュースNo.31に、「河野談話」が掲載されていました。
 ありがとうございます。

 全文を転載させていただきます。


 資料

慰安婦関係調査結果発表に関する河野洋平内閣官房長官談話
平成五年八月四日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年十二月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。



 きょうの「赤旗」には

  共産党のホームページ
  公示後、アクセス急増

とあります。

 政権党への不満や怒りがふくらむ中で、共産党への関心も大きくなっているのだと思います。

 マスコミは「二大政党」を多く報じています。

 一人ひとりがきちんと判断できる材料を、マスコミは公平に、公正に提供してほしいと思います。

 国の進路を誤らせないために。

 国民の命と平和を守るために。
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初ヌケガラ

2007-07-22 | 動物
ケータイからの投稿です。今朝、meiさんのブログで、井の頭公園でミンミン蝉がないていた、という記事を読みましたが、我が家の近くでも。梅雨明けが近いかな?



 ここからは、いつも通り、パソコンでの作業。

 なんと!写真が横向きですね。

 直したものを改めて掲載します。

     


 けれど、はじめの写真を、どうやったら削除できるのか・・・?
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世界は一つ みんな同じ命

2007-07-19 | 平和

 ビラ配りの行き帰りに、小さな公園を通ります。

 そこに藤棚があるのですが──。

 

 今年2度目の花が咲いています。
 その奥には実が生っています。

 


     
     4人に1人が、
     5歳まで生きられない
     国がある。

     700キロもの
     道を歩かねば、
     医療施設に
     たどり着けない
     地域もある。

     そして今なお、
     治療すれば
     治るはずの感染症で、
     毎年200万人が
     亡くなっている。

     そこに、
     援助の必要な人が
     いる限り。
     私たちは
     あらゆる地域へと
     医療を届けていく。


 上記は、「国境なき医師団日本」のニュースレター「リアクト」2007年vol.2の目次に掲載されている言葉です。

 このような国・地域が、たくさんあるのでしょう。
 いいえ、もしかしたらこのような国・地域のほうが多いのかもしれません。

 人間の世界は、まだまだこれからなのだと思います。

 戦争をしている場合ではないのです。

 戦争の準備をしている場合でもありません。

 同じ時に、地球上に生き合わせている私たち、もっとやるべきことがあるはずです。




 NGO団体・新日本婦人の会(略称・しんふじん)の「新婦人しんぶん」7月19日号「気象台」に、アレン・ネルソンさんの記事がありました。

 記事の中ほどから終わりまでをご紹介します。


 貧しさから逃れるために海兵隊に入隊。次第に殺人マシーンと化し、ベトナム出発前夜は腕試しができるとワクワクしていた。ジャングルの中で敵であるベトナム女性の出産に偶然遭遇。命の輝きに触れ自分のしていることにがくぜんとする。
 除隊後、18年間も戦争の後遺症に苦しんだ。あるとき、子どもたちに戦場での体験を語る。その無垢(むく)なまなざしに堪えられず「私は人を殺した」とつぶやく。「私たちは何も知らなかった。話してくれてありがとう。つらかったでしょう」。子どもたちは彼を抱きしめ、ともに泣いてくれた。
 「軍隊は戦争をするための道具。米軍は決して日本を守らない。日本政府が怖いのは北朝鮮ではない。国民の声。あなたたちが声を上げれば基地はなくなる」。世界の平和が今回の選挙にかかっている。


 ネルソンさんの話を聴いた子どもたちの言葉と行動にも、打たれます。



 世界は一つ。みんな同じ命。




     国境なき医師団日本
          http://www.msf.or.jp/


     新日本婦人の会
          http://www.shinfujin.gr.jp/
     
コメント (4)
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参議院選挙

2007-07-13 | 平和
              きょうの一枚 ─ 木の名前がわかりません。


 参議院選挙が始まりました。

 私はいつも思います。

 安心して暮らしたい。

 生きている毎日の、どの部分でも、安心 がほしい。

 62年前、いちばん大きな不安だった戦争が終わり、大きな安心を得ました。

 その安心を支えるものが日本国憲法でした。

 もう、戦争はしない。と。


 Oさんからメールをいただきました。
 掲載してもいい、とのことですので、その一部をご紹介します。



 2007年7月10日の新聞『赤旗』の文化欄にある写真が私の目を釘付けにした。それは新藤監督の映画「陸(オカ)に上(アガ)った軍艦」の記事中にあった一枚である。
 その写真はベニヤ板で作った大きなアメリカ軍重戦車の模型を何人かの兵隊たちが引っ張っているものであった。懐かしい姿である。昭和20年の夏18歳の兵隊であった私の体験が蘇ってきた。
 あの模型戦車を引っ張っていたのは補充兵として動員されてきた30歳を過ぎた兵隊たちであった。私の父親に近い年齢の新しい兵隊に号令をかける18歳の私。きわめて複雑な思いにかられながら、私は彼らが引いてくる模型戦車の下に爆弾を背負って飛び込む訓練をしていたのである。
 この訓練は広島に原爆が落とされた直後から始まったように記憶している。あるいはもっと前からだったかも知れない。
 一人がすっぽりと入れる竪穴(蛸壷と呼んでいた)を掘り、その中に入って頭を草や木の枝で隠して敵戦車の上陸を待つという戦術だった。この戦術は本土決戦に備えてのもので水際作戦(敵の上陸を阻止)の一つで「対戦車肉攻」と呼ばれていた。いわば歩兵の特攻隊だった。



 戦争に反対して命を奪われた人たちもいます。

 たくさんの、たくさんの人々の犠牲の上に、いまの憲法があります。


 私は、この憲法を大切に生かす政党を選びます。
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映画 『日本の青空』

2007-07-08 | 映画・ドラマ
            きょうの二枚の1 ─ 夾竹桃
            もう咲き終わってしまいました。

            

            きょうの二枚の2 ─ 緑のカエデもきれい。


 映画『日本の青空』を観ました。

 「日本国憲法を導いた憲法研究会「憲法草案要綱」──日本国憲法の間接的起草者・鈴木安蔵氏──」(映画パンフレットにある金子勝さん─立正大学教授─の言葉)を映画にしたものです。

 現在の若い女性が、日本国憲法の原点を探っていく形をとりながら、物語がすすんでいきます。

 映画を観て行くうちに、私は気がつきました。

 私は日本国憲法誕生の時から、この憲法と人生を共にしてしてきているのに、間接的にこれを起草した鈴木安蔵さんをもっと過去の人のように思っていたのです。

 安蔵さんが亡くなったのは1983年、つい最近です。

 もっと安蔵さんのことを知っていて当然でした。

 学校の授業で習ったでしょうか。

 まったくうかつでした。

 歴史の授業というと、とかく年号の暗記になります。だから私は嫌いでした。

 このパンフレットにも年表があります。
 その一部をご紹介します。


1945年
  8月15日 ポツダム宣言受諾
  9月   GHQ日本占領
 10月25日 日本政府が憲法問題調査会(松本委員会)を設置
 11月 5日 民間の「憲法研究会」が発足。(安蔵、高野ら)
 12月26日 憲法研究会が「憲法草案要綱」をGHQと政府に提出。28日、新聞各紙の一面で草案の内容が報じられる。
1946年
  1月11日 GHQラウレス中佐が「憲法研究会」案を高く評価する「所見」を民生局局長と連名で総司令部に提出。GHQ憲法草案に反映されることに。
  2月 4日~12日 GHQが憲法草案の作成作業。
  2月13日 政府の憲法草案(8日提出)をGHQが拒否。
  3月 4日 政府、GHQ案に基づく日本案をGHQに提出。協議・修正し、6日に政府の「憲法改正草案要綱」として発表。
 11月 3日 「日本国憲法」公布
1947年
  5月 3日 「日本国憲法」施行


       原作・脚本  池田太郎

       監督     大澤 豊  



          『日本の青空』
            http://www.cinema-indies.co.jp/aozora/index.html


          上映日程
            http://www.cinema-indies.co.jp/aozora/preview2.html
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山本宗補 写真展 『また、あした  日本列島 老いの風景』

2007-07-01 | 美術・写真
 以前から気になっていた山本宗補(やまもとむねすけ)さんの写真展に、きのう、チャンスがあって行ってきました。

 「以前から」というのは、同名の写真集が出版されているのを知っていたからです。

 写真は全てモノクロです。

 それが、とてもいい。

 モノクロにこだわるわけではありませんが、モノクロはカラーよりも凝縮感があるように思えるのです。

 伝えたいことがぼやけていない、と言えばいいでしょうか。


 被写体となっているのは、70歳前後から100歳までの方とか。
 山本さんご自身のお母さん、お義父さんも含まれています。

 山本さん45歳の時からの作品。

 うーん、すごい。

 お年寄りに対する愛情と尊敬が、ぐんぐん伝わってきます。

 お年寄りの笑顔に邪気がありません。


 展示は、

  Ⅰ 大往生の島
  Ⅱ 個を生きる
  Ⅲ 老いの肖像
  Ⅳ 記憶を語る
  Ⅴ 一人では生きられない
  Ⅵ 家で逝きたい
  Ⅶ 旅立ち

に分けられています。

 
 写っている方々のほとんどは、私よりも年齢が高く、多くの方々が私よりもナマの戦争の体験をしています。

 「Ⅳ 記憶を語る」には「ひめゆり学徒」といわれる方々の顔もあります。

 東京大空襲で焼け出された後、ハンセン病療養所で過ごした金さんは、唇で点字を読んでいます。


 私の思い入れもあるかも知れませんが、このコーナーでは山本さんの訴えがきこえてくるようでした。


 帰り際、ブックカフェで写真集を購入していたら、思いがけず山本さんに言葉をかけられました。

 山本宗補さん、53歳。

 声のはっきりした、素敵な方でした。



 写真展は、残念ながらきょうで終了。
 また間に合うように書けませんでした。すみません。


     写真集 『また、あした  日本列島 老いの風景』

        発行所  株式会社 アートン
             http://www.artone.co.jp
コメント (4)
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