さくらおばさんの ひとりごと

日々の想いを綴ります。

Sさんからのメール

2009-08-30 | 暮らし
  私は戦争はキライです。私は戦争で肉親を奪われただけでなく、憲法でも保証されている学問の自由・勉学の機会も奪われました。新聞配達のアルバイトをしながら中学に通い、工場などで働きながら定時制高校を卒業しました。学校には一日も休むことなく通学しました。その間、倒産・解雇にも遭い、職場を六回も変わりました。
 卒業後42年間働いた、中央郵便局を定年退職し、長年の念願だった大学生になれました。高校には、成績証明書がありませんでしたが、卒業証明書だけで入学が許可された時には、定時制を卒業していて良かったと思いました。
 通信生にとって8月は大事な夏期スク-リングです。学生は圧倒的に若者です。中には子連れの女性もおり、その姿には感動します。 今年は選挙と重なり、 忙しい日々となっています。都議選に続いて、注目の東京10区の開票立ち会い人となっています。歴史の変化をいち早く感じられるかも知れません。楽しみです。


                      



 Sさんは、複数の病気と共存しながらの毎日です。

 Sさん、ありがとう!
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わーお!

2009-08-24 | 暮らし
 きょう、夕方4時ごろ、洗濯物をとりこみながら東の空を見たら、わーお!

          

 積乱雲が輝いている!

 もくもくと成長している!

 20~30分ほどして、あれ、暗くなった。
 頭上は暗い雲に覆われてしまった。

 でも、その周りは明るいし・・と思っていたら、突然のどっしゃ降り。


 夏もそろそろ終わりなのかな・・・。




 きのう、お昼の12時から午後1時ごろまで、新宿のホコ天で宣伝行動をしました。

 私が現場に着いた時には、もう青年たちが始めていました。

             


 なんと私は、トークリレーの司会と、そのあとの練り歩きで、ハンドマイクアナウンサーを務める羽目になりました!

 それだけでも わーお!ですが、きょうの首都圏版に、小さいですが写真が掲載されたのです。

 わーお!な日でした。
 
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原 点

2009-08-15 | 平和
          

           東京大空襲・戦災資料センター
                      09.8.1




 1945年8月15日
 茨城県結城郡岡田村国民学校の校庭
 壇上で校長先生が 日の丸 を両手で広げて泣いている。

 青い空と降りそそぐ陽光の下で
 わけがわからないままうずくまっていた 二年生の私。

 日本が負けて
 戦争が終わったのだということを知ったのは
 もう空襲はないのだということを実感したのは
 いつだったか。

 もう戦争はしないと決めた国になったのを知ったのは
 いつだったか。
 じんわりとした安心感と よろこび。

 あの戦争が侵略戦争で、 
 そこに到る暗黒の時代があり、
 戦争反対を言うことは命をかけることであるのに
 それでも止めなかったのは
 政党では共産党だけだったと知ったのは 1972年。


 以来、私の中では共産党への信頼が深まり、
 3月10日の東京大空襲は
 私にとっての原点となった。
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広島平和宣言  長崎平和宣言

2009-08-15 | 平和
          

           河野新制作 「戦火の下で」
              東京大空襲・戦災資料センター
                        09.8.1





 「新しく生まれる言葉の裏には消える言葉がある」

 新しく生まれた言葉──酒井容疑者
 消えた言葉──広島、長崎

 上記は、8月10日に行われた『ロスジェネ』シンポジウムでの、小森陽一さんの言葉です。

 中築間卓蔵さんが言う 目くらまし ですね。

 


                平 和 宣 言
人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから64年、どんな言葉を使っても言い尽せない被爆者の苦しみは今でも続いています。64年前の放射線が未(いま)だに身体を蝕(むしば)み、64年前の記憶が昨日のことのように蘇(よみがえ)り続けるからです。
 
幸いなことに、被爆体験の重みは法的にも支えられています。原爆の人体への影響が未(いま)だに解明されていない事実を謙虚に受け止めた勇気ある司法判断がその好例です。日本国政府は、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、「こんな思いを他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。
 
今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。
 
それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。
 
全世界からの加盟都市が3,000を超えた平和市長会議では、「2020ビジョン」を具体化した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年のNPT再検討会議で採択して貰(もら)うため全力疾走しています。採択後の筋書は、核実験を強行した北朝鮮等、全(すべ)ての国における核兵器取得・配備の即時停止、核保有国・疑惑国等の首脳の被爆地訪問、国連軍縮特別総会の早期開催、2015年までの核兵器禁止条約締結を目指す交渉開始、そして、2020年までの全(すべ)ての核兵器廃絶を想定しています。明日から長崎市で開かれる平和市長会議の総会で、さらに詳細な計画を策定します。
 
2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果したことにはならないからです。
 
核兵器廃絶を視野に入れ積極的な活動を始めたグローバル・ゼロや核不拡散・核軍縮に関する国際委員会等、世界的影響力を持つ人々にも、2020年を目指す輪に加わって頂きたいと願っています。
 
対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。
 
被爆64周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身(こんしん)の力を振り絞ることをここに誓います。
 
最後に、英語で世界に呼び掛けます。
 
We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.
 
2009年(平成21年)8月6日
                    広島市長 秋 葉 忠 利

(注)英語部分の訳は次のとおりです。
私たちには力があります。私たちには責任があります。そして、私たちはオバマジョリティーです。
力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。





                平成21年長崎平和宣言
 今、私たち人間の前にはふたつの道があります。
 ひとつは、「核兵器のない世界」への道であり、もうひとつは、64年前の広島と長崎の破壊をくりかえす滅亡の道です。
 今年4月、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言しました。ロシアと戦略兵器削減条約(START)の交渉を再開し、空も、海も、地下も、宇宙空間でも、核実験をすべて禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准を進め、核兵器に必要な高濃縮ウランやプルトニウムの生産を禁止する条約の締結に努めるなど、具体的な道筋を示したのです。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動がひろがりました。
 核超大国アメリカが、核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間でした。

 しかし、翌5月には、国連安全保障理事会の決議に違反して、北朝鮮が2回目の核実験を強行しました。世界が核抑止力に頼り、核兵器が存在するかぎり、こうした危険な国家やテロリストが現れる可能性はなくなりません。北朝鮮の核兵器を国際社会は断固として廃棄させるとともに、核保有5カ国は、自らの核兵器の削減も進めるべきです。アメリカとロシアはもちろん、イギリス、フランス、中国も、核不拡散条約(NPT)の核軍縮の責務を誠実に果たすべきです。
 さらに徹底して廃絶を進めるために、昨年、潘基文国連事務総長が積極的な協議を訴えた「核兵器禁止条約」(NWC)への取り組みを求めます。インドやパキスタン、北朝鮮はもちろん、核兵器を保有するといわれるイスラエルや、核開発疑惑のイランにも参加を求め、核兵器を完全に廃棄させるのです。
 日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければなりません。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現の方策に着手すべきです。

 オバマ大統領、メドベージェフ・ロシア大統領、ブラウン・イギリス首相、サルコジ・フランス大統領、胡錦濤・中国国家主席、さらに、シン・インド首相、ザルダリ・パキスタン大統領、金正日・北朝鮮総書記、ネタニヤフ・イスラエル首相、アフマディネジャド・イラン大統領、そしてすべての世界の指導者に呼びかけます。
 被爆地・長崎へ来てください。
 原爆資料館を訪れ、今も多くの遺骨が埋もれている被爆の跡地に立ってみてください。1945年8月9日11時2分の長崎。強力な放射線と、数千度もの熱線と、猛烈な爆風で破壊され、凄まじい炎に焼き尽くされた廃墟の静寂。7万4千人の死者の沈黙の叫び。7万5千人もの負傷者の呻き。犠牲者の無念の思いに、だれもが心ふるえるでしょう。
 かろうじて生き残った被爆者にも、みなさんは出会うはずです。高齢となった今も、放射線の後障害に苦しみながら、自らの経験を語り伝えようとする彼らの声を聞くでしょう。被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動する若い世代の熱意にも心うごかされることでしょう。
今、長崎では「平和市長会議」を開催しています。来年2月には国内外のNGOが集まり、「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」も開催します。来年の核不拡散条約再検討会議に向けて、市民とNGOと都市が結束を強めていこうとしています。
 長崎市民は、オバマ大統領に、被爆地・長崎の訪問を求める署名活動に取り組んでいます。歴史をつくる主役は、私たちひとりひとりです。指導者や政府だけに任せておいてはいけません。
 世界のみなさん、今こそ、それぞれの場所で、それぞれの暮らしの中で、プラハ演説への支持を表明する取り組みを始め、「核兵器のない世界」への道を共に歩んでいこうではありませんか。

 原子爆弾が投下されて64年の歳月が流れました。被爆者は高齢化しています。被爆者救済の立場から、実態に即した援護を急ぐように、あらためて日本政府に要望します。
 原子爆弾で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、核兵器廃絶のための努力を誓い、ここに宣言します。


2009年(平成21年)8月9日
                       長崎市長 田上 富久









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「核兵器廃絶実現への日本の具体的行動を呼びかけるアピール」

2009-08-09 | 平和
          

           「世界の子どもの平和像」
             東京大空襲・戦災資料センター   09.8.1





 8月は、戦争と平和を語る機会が多いですね。


 
 以下は、「世界平和アピール七人委員会」のアピールです。




核兵器廃絶実現への日本の具体的行動を呼びかけるアピール

                   2009年8月7日
                   世界平和アピール七人委員会
                    委員 武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野
                        井上ひさし 池田香代子 小沼通二 池内了


 今年1月に就任したオバマ米大統領は4月5日にチェコのプラハで行なった演説の中で、米国の歴代大統領の中ではじめて「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、行動する道義的責任」を認め、「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意」を表明した。これを受け、世界各地で核兵器廃絶の一日も早い実現への期待が高まっている。
 世界平和アピール七人委員会は、それにもかかわらず現実には逆行の動きが相次いでいることを憂慮し、被爆国日本が今こそ世界の政府と市民と手を携えて前向きに具体的行動を行なうべきだと考え、以下のとおり呼びかけます。

1 去る7月18日に外務省で開催された日米の外務・防衛当局の「日米安全保障高級事務レベル会合」において、米国が日本に提供している「核の傘」について定期協議を立ち上げる方向で一致したと、報じられている。
 また “日本が、米議会が設置した「戦略態勢委員会」に対し、米国が「トマホーク」などの戦術核の一方的な削減・廃棄を進めるべきではないと主張し、戦術核戦力の堅持を求めている”ことが、日本政府関係者によって明らかにされたと報道されている。
 さらに、日本政府は、“核兵器の先制不使用を米国が約束することは、日本の安全にとって望ましくない”と、反対しているとも伝えられている。
 もしこれらの動きが事実であれば、核兵器に依存し続ける政策であって、核兵器が役に立つという立場になり、世界の潮流に逆行することになる。

2 日本では、衆議院本会議(6月16日)と参議院本会議(6月17日)で、全会一致で可決された「核兵器廃絶に向けた取り組みの強化を求める決議」において、オバマ大統領の決意表明を受けて、「わが国は、・・・世界の核兵器廃絶に向けて先頭に立って行動する責務がある」、「政府は、・・・核廃絶・核軍縮・核不拡散に向けた努力を一層強化すべきである」と確認した。これを受けた麻生首相は、「政府としては、採択された決議の趣旨を体し、決意を新たに取り組む」と所信を述べた。
 これは、日本が核兵器と決別する決意の表明であり、核兵器の持ち込みも認められないことになる。日本は、核の傘に依存しない安全保障体制にただちに移行しなければならない。

3 私たち世界平和アピール七人委員会を含め、日本でも海外でも多くの団体と個人が、長年にわたり核兵器廃絶を求め続けてきた。それにもかかわらず、東西冷戦の終結後も核兵器廃絶が実現できなかったのは、既に述べたように、核兵器が役に立つという幻想を持つ人たちがいるためであった。
 オバマ大統領は、同じプラハ演説で、「私の生きているうちには、核廃絶が達成できないだろう」、「核兵器が存在する限り、米国は、同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持する」と述べている。
 日本を含む米国の同盟国は、これまでの核政策を根本的に転換し、核兵器との決別を宣言することによって、米国の核兵器依存の口実を断ち切らせ、米国の核兵器廃絶への歩みを促進させるべきである。

4 現在、米国では2009年末に発表される予定の「核兵器態勢の見直し」(Nuclear Posture Review)の討議が進んでいる。
 2009年10月には広島で、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND、共同議長:川口順子元外相、ギャレス・エバンス元オーストラリア外相)が開催される。
 2010年5月には、オバマ政権発足後はじめての核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が行なわれる。
 これらの場面で、核兵器廃絶という成果を得るためには、核兵器廃絶を求める世界の世論をさらに強化し、各国が、自らの立場に立って
① 核兵器廃絶の実現を促進するための実効的措置 と、
③ 核兵器廃絶後の世界の秩序についての検討と、それに向けての行動
 を一層強化していかなければならない。

5 日本においては、政府と国民が協力して、
(1) 核兵器の持込み禁止を明確に含めた非核3原則の再確認
(2) 核の傘に依存しない安全保障政策の樹立
(3) 日本を含めた北東アジアの非核兵器地帯の樹立を目指す積極的行動、あるいはモンゴルに倣った1国非核兵器地帯宣言
(4) 非公然核兵器国を含めた全ての核兵器保有国に、核兵器の先制不使用と非核兵器国への核攻撃の否定の要求
(5) パン・ギムン(潘基文)国連事務総長も提案している核兵器禁止条約締結への呼びかけと貢献
などを速やかに実施していかなければならない。


連絡先:
小沼通二(委員・事務局長)
247-0014 横浜市栄区公田町200-9
ファクス:045-891-8386
メール: mkonuma254@m4.dion.ne.jp

URL:http://worldpeace7.jp
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「沈まぬ太陽を心に持って」

2009-08-03 | 
         

          Y保育園のひめりんご  09.7.31   



 7月17日付の「朝の風」に、『沈まぬ太陽』の映画化が進み仕上げに入った、とありました。


 山崎豊子さんのこの小説は、いまは新潮文庫版があるようですが、私は分厚くて5巻まであったものを夢中で読みました。


 日航機墜落事故を知った時もショックでしたが、労働組合委員長・「恩地元」さんの生きざま、そしてこれを小説に書き上げた山崎さんの強い想いにもまた、強い衝撃を受けたのでした。


 主人公のモデルになった方の講演も聴きに行きました。

 飄々とした、穏やかな印象の方で、ユーモアをまじえてのお話だったと記憶しています。

 その時はすでにご病気だったのだと、あとで思いました。
 それから1年も経たないうちに亡くなられたのではなかったでしょうか。


 この「朝の風」を読んですぐ思い出したのが、国公一般ブログ「すくらむ」でした。

 「『沈まぬ太陽』ついに映画化」(08.12.14付)とあり、その内容がとても心に訴えるものだったからです。


 「すくらむ」の主な書き手であるノックオンさんが企画・編集した山崎豊子さんへのインタビュー記事ですが、山崎さんご自身が、国公労連という労働組合を、“労働者のためにたたかっている組合”と信頼してのお話のようで、このことにもまた胸をうたれます。

 記事の最後に、山崎さんが座右の銘としているゲーテの言葉があります。

 山崎さんの生き方がよくわかるように思います。


 インタビュー記事中の小見出しをご紹介しましょう。


 ◆アフリカで巡り合った現代の「流刑の徒」

 ◆不条理を許さない人間としての誇り

 ◆泣きながら書いた場面

 ◆今でも夢でうなされる地をはうような取材

 ◆声なき声に支えられた『御巣鷹山篇』

 ◆なくしたい政官財癒着 不毛地帯の日本を警告したい

 ◆まともな労働組合に光あて、たたかう労働者を勇気づける

 ◆ただすべきことただし、国の行政をよくして



 きょうのこのブログのタイトルを、山崎さんの言葉からお借りしました。

     ── 沈まぬ太陽を心に持って ──



    
          国公一般ブログ 「すくらむ」

             http://ameblo.jp/kokkoippan/day-20081214.html 


 ぜひ、お読みくださることをお勧めします。
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