くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

16歳の祖父殺害に思うこと

2007年08月22日 | Weblog
私が高校一年の時、級友の一人が学校を去った。自主退学・転校ということだったが、事実上の退学である。その学校の校則に照らして、退学に値する行為をしてしまったのだ。

ある大きな病院の跡取り息子だった。将来は医者になるべく進学校であるその学校にやってきたのだが、実家からの通学はとても無理だったため、祖父母の家から通っていた。

退学後にわかったことだが、祖父とうまく行っていなかったらしい。そして道を踏み外してしまったというわけだ。祖父の立場からしてみれば孫を預かった以上、医学部に入れるべく気を張って頑張ろうとしたに違いない。祖父という立場を越えて、親代わりになって責任を果たそうとしたに違いない。

しかしながら、それが間違いのもとだったのだ。祖父母は両親の代わりにはなりえない。部分的になれたとして、完全には無理だ。孫はあくまでも、祖父母には祖父母の両親とは違ったしばしば無責任な程の愛情と甘えを求めてくる。両親の子育て方針を阻害するものでなければ、祖父母というのはそうであっていいのだと思う。
いや、むしろそうあるべきだったし、孫は祖父母に両親の代わりなど期待していなかったはずだ。そこを祖父は読み誤った。そしてその結果、孫も祖父も辛い思いをした。

その後、あの孫と祖父は関係を修復することはできたのであろうか。二人の関係だけではなく、家族関係はどうなったのだろうか。彼は医者になり家業を継ぐことができたのであろうか。他人事ながらいまでも時々思い出す。決して親しい間柄ではなかったが、学校を去って行った時、何だかとても気の毒に思えたものだ。

今回は、血を見る結果となってしまった。死者に鞭打つのは酷なこととあえて承知のうえで言うが、両親の離婚に心傷ついていたであろう少年に、祖父が口やかましい親代わりというのは、きつ過ぎた。少年が傷ついていればこそ、祖父なりの愛情で孫を包んでやるべきであった。祖父なりに孫を不憫と思えばこそ、あえて厳しくも接したのであろうが、結果は悲劇とあいなった。

一昔前「ガラスの十代」なんてローラースケートを履きながら口パクで歌う(というもっぱらの噂の)ジャニーズのグループの曲があったが、10代だからこそ、両親の離婚はきつかったのではないのか。そしてそれに追い打ちをかけるように厳しい祖父。救われる場を失ってしまったのだろう。かわいそうだ。人を、ましてや血を分けた肉親を手にかけるなど許されることではないが、それでも少年が哀れだ。

子供を手放した少年の両親は今何を思うのだろう。どのような事情があったのかは知らない。世の中にはやむを得ぬ事情というものもある。普通の親であれば、我が子をそこまで追い込んでしまったことに、我が身を責めずにはおれまいと思うのだが・・。

本当に悲しい事件だ。それ以上に言いようもない。
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小池ー守屋騒動、森元総理、もういい加減に黙れ!

2007年08月19日 | Weblog
小池ー守屋騒動、どっちもどっちだし、昨今の政治情勢の真っただ中で、このような醜態をさらした安部政権の体たらくにも呆れたものである。

小池氏の政治的な野心というか魂胆見え見えのやり様にも、反吐の出る思いをしたが、守屋氏も守屋氏だ。役人としての役人たるの分際をまったくわきまえていない。

この件をめぐって、産経新聞の報道によれば、森元総理、「『自分でもう切腹しようとしている人を、(小池百合子防衛相が)後ろから切りつけた感じがする。あまりいいことではない』と述べ、小池氏の一連の対応に不快感を示した。」とか。

森喜朗という人、自身が代議士と呼ばれる所以を当選回数10数回をへていまだ理解していないようだ。間接民主政治の下、主権者たる国民を代表すべくそのように呼ばれるのではないのか。一方、守屋氏のごとき、官僚は国民を代表すべきものではない。公僕であり、それを使いこなすのが政治家の役目のはずだ。

 森氏は、守屋氏を「日米の問題、沖縄の問題にすべて生涯をささげてきた人。何十年も防衛庁にいて、自分が辞めなくてはいけないのはよくわかっている」と指摘。小池氏が守屋氏に対し電話で更迭を言い渡そうとしたことについても、「ちゃんと会って言うべきことだ」と述べた。公僕たる守屋氏が個人的に退任の意向を持っていたか否かなど、今回の騒動には関係のない話だ。確かに池田氏のやり方に問題がないなどというつもりはないが、問題があったからと言って守屋側の問題がそれによって相殺されるべきものでもない。かりに公僕たる者の個人的な思惑が行政人事において尊重されるべきであるとするなら、一体国民主権とは何ぞやということになりはしないか?守屋氏が国民主権の下において公僕たるの自らの分際をわきまえていないことは今回はからずも露呈され、それのみをとっても、守屋という公僕は公僕にふさわしからず。こういうのはかの国でしばしば政治を壟断した宦官の類とさしてかわるまい。守屋=宦官だ。

言われているように守屋氏は防衛官僚としては余人に代えがたい実力の持ち主なのであろう。だからと言って、自らの進退について、公僕の分際を越えてとやかくいうのは、いただけない。朝青龍問題でもそうだが、力があれば、実績があれば何をしても許されるというようなことがまかり通る世の中であってはいけない。守屋さん、あなたも人の親だろうに?

ましてやそんなことも分からない人を総理総裁にしてはいけない。なってはいけない人が総理になったがために、あのような体たらくの短命政権だったのだが・・。
自らが総理総裁として出来損ないだった、ということを自覚して少し黙っていればいいものを…。あの人の存在は自民党にとっても百害あって一利なし。

ちなみに、訪米したばかりで交代させることもできまいなどという声もあるが、小池防衛大臣は、内閣改造で首を挿げ替えるべし。政治を私するような俗物に、国家の存亡を左右する国防の責を任せるわけにはいくまい。首を挿げ替えた方が、安部内閣の再出発にとってもプラスになるはずだ。

ついでに、塩崎氏も交代だね。行政上の筋論としては塩崎氏は正しかったのだろうが、政治的に余りにも稚拙な対応で、結果安部政権に傷を負わせただけに終わった。自ら官房長官の職を退いて責任を果たすべし。

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安部を取るか、小沢を取るか?

2007年08月18日 | Weblog
参院選の結果を見れば、少なくとも民意の多くが安部を取るという選択をしなかった、と解釈することは可能であろう。

しかしながら、だからといって、小沢を取った、と果たして言えるのか?マスコミや民主党のセンセイ方は、しきりに安部総理のこのあまりにもわきの甘い言葉を言質に取って、続投を批判するが、そのマスコミの行う世論調査は明らかにしている。民主党に投票したからと言って、小沢を支持しているわけではないということを。 ある調査によれば、小沢首相を望んでいるのは10%をかろうじて超える程度。実は安部続投支持よりもはるかに低い。

民主党のセンセイ方も、あまりこの安部発言を鬼の首でも取ったかのように利用しない方がよいのではないだろうか? 

加えて、最近同党の松原先生と簗瀬先生、よくTVに顔出しているけど、あの方たちはひっこめた方がいいのでは? ぜんぜん論客じゃないもん。特に、松原先生、あの人、あまりあちらもおよろしくないようで・・・。まあ、これは松下政経塾出身者をどういうわけだか生理的に嫌ってしまう私の偏見かもしれないけど。共通の雰囲気っていうか臭いがあるんだよなあ、政経塾出の政治家って。
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卑劣漢河野洋平は徹底的に糾弾されねばならない

2007年08月15日 | Weblog
両陛下をお迎えしての全国戦没者追悼式を自らの政治ショーの具に貶めた河野洋平は徹底的に糾弾されるべきではないのか!?

まずは、

「海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して、今日まで歩んできた」との見解。毎日新聞が指摘するようにあえて「レジーム」という用語(これ自体安部総理の政治センスになさの産物でもあるが)を用いてするところに、安部氏の「『戦後レジームからの脱却』路線を意識した発言とみられ、追悼の辞で首相批判と取られかねない発言」とみなされても致し方あるまい。さもなくば、脳内肝硬変になったとしか思えない。

続いて、毎日の記事によれば、

「従軍慰安婦問題についても触れ、『日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい』と語った。同問題をめぐっては、河野議長は官房長官時代の93年、談話を発表し旧日本軍の関与を認め謝罪した。しかし、軍が強制した証拠はなかったとして河野談話の見直しを求める動きがあるこから、これをけん制する狙いがあるとみられる。」とのことだが、自らの談話が何ら実証史学の成果に基づくものではないことを認めたにもかかわらず、このような発言をするほどの、この男が破廉恥とは・・・。

このような男が三権の長であってよいのだろうか。いや、衆院議長であればこそ、その害悪も抑えられるという見方もあるかもしれない。ただ、衆院議長の座にありながら、過去にも立場上その妥当性が疑問視されても致し方ない発言や行動をとってきたし、今回は事実上追悼式の場を自らの政治見識の表明の場として利用した。

この「国賊」男の政治生命、いい加減に断たれるべきではないのか?

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天晴、小泉前総理!、さりながら・・・

2007年08月15日 | Weblog
首相就任の初年より15日参拝を通していたらねえ・・・。ま、安部ちゃんや大勲位よりははるかにましか。
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安部総理、森元総理の言うことなんか聞いちゃいけません

2007年08月14日 | Weblog
ロクなことことないから。

福田も、谷垣にも、古賀も起用だって? そりゃあ派閥横断的な人事をやれば、党内の不協和音は完全でなくとも収まるのかもしれないが、それで内閣持ちますか?

どこまでもつかか道のりは極めて厳しいと思うけど、その茨の道をあえて切り抜けんとするならば、派閥横断的とか、派閥均衡型人事ってのこそ、命取りになるのでは・・?

そんな組閣人事、世間は望んでいないのでは?

進むも地獄、退くも地獄ならば、いっそのこと、総理の心のままに人事をしてみては?そこで党内の反発が起これば、正面切って戦えばよろしい。その結果、倒閣、退陣となっても致し方なしくらいの覚悟がなければ、地獄は切り抜けられない。

もし、総理の人事で自民党内で揉め、あなたを退陣に追い込むようなことになれば、党にとっても、あなたを追い込んだ方々にとっても一利もなし。自民党は今以上に国民の支持を失うでしょう。

その先に見えてくるのは、政界再編。まわお若いにですから、そこに退陣後の活路を見出すのも手かと・・。

とにかく、今自民党の総理総裁として続投するのだと言うのであれば、政局の見通しという点では決して評判の宜しくないあの方の言うことだけには耳を傾けませんように。実のところ、昨年の組閣でもあの方の言うことに従うのではなかったと悔やんでいる部分もあるのでは、総理?

まあ、個人的には総理には何ら期待しておりませんが、敵の小沢民主党も向こうが望むほど今後の国会で暴れることはできませんから、ご安心を。駐米大使との公開会談なんてバカなパフォーマンスをするお方に政権は取れないし、担えませんよ。
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結果がすべてということか?: 朝青龍問題をめぐる中田英寿のブログ記事について

2007年08月11日 | Weblog
モンゴルで一緒にサッカーに参加したヒデこと中田英寿氏が、地震のブログで朝青龍を弁護している。

完全弁護ではないが、今回のマスコミの報道の在り方を朝青龍「いじめ」だとし、横綱の実績を見てもう一度考え直せという。

マスコミの報道姿勢に関しては、今回の件に限らず問題が無いとは決して言うまい。

ただ、実績の良し悪しで、朝青龍が今回しでかしたことが弁護できるとでもいうのか?結果オンリー、強い者は治外法権、何をしても許されるとでも言うのか?ルールにのっとってするスポーツで飯食ってきた人が、まさかそんな外道なこと言うまいよなあ・・・。

某スポーツジャーナロストがTVで再三コメントしているが、財団法人相撲協会で綱を張り飯を食っている以上、巡業はモンゴルでのサッカーに無条件に優先する。

横綱というものの宗教風俗上の意味合いからしても、巡業は決して軽視されるべきものでもない。

相撲を取れないような腕の状態であっても、歩けるのであれば、サッカーを出来るほどに走れるのであれば、巡業に同行するのが筋というものだ。

朝青龍と相撲協会やおまぬけ高砂との間にどのような経緯や確執があったかは知らないが、だからと言って巡業をキャンセルしてまでのモンゴル行きやサッカーが正当化できるものではない。

一義的に朝青龍に完全に非がある。相撲協会が気に入らなければ、巡業が嫌ならば、どいうにもこうにも日本の相撲界のやり方が我慢できないのであれば、綱を外し、角界を去ればよいのだ。相撲協会に身を置く以上は、そこでの取り決めやしきたりに従容たるべし。それだけのことなのだ。

そこを見誤ってはいけないよ、中田さん。考え直すのはあなたの方だよ。世の中、いろんな世界や業界があるけれど、それぞれに流儀というものがあるのだよ。サッカー界だってそうでしょ? 有名だから、実力あるからといって、その流儀を無視してもいいということにはならんでしょ?
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やはり高砂はアホだ

2007年08月10日 | Weblog
アホにつける薬はない。

あんた親方だろうが? 弟子と「交渉」だあ? 名門高砂の名折れであり、それ以前に親方・師匠失格。

弟子ともども、角界から足を洗ってはどうか?

あの警備員みたいな相撲協会の制服、結構似合っていたから、もう少し減量して警備員で飯でも食っていけばいい。

なさけない親方だね、ホントに。
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みっともない人間たち その2: 朝青龍問題と相撲協会

2007年08月09日 | Weblog
説得に失敗した????

今更説得してどうするというのだ? 高砂という人は、真性の間抜けか?いや高砂だけでなかう、北の湖理事長はじめ相撲協会自体が間抜けなのか?

今回の問題で、親方の教育が悪いだの、相撲協会が朝青竜を増長させただだの諸論あるが、そもそも論でいえば、一義的に悪いのは朝青竜に他ならない。この点に異論があろうはずもなく、異論をはさむ輩がいるとすれば、それは高砂や相撲協会以上の間抜けどころか、破廉恥だ。

諸部内容の是非はさておき(私的には決して重すぎるとは思わないが)、朝青竜が処分されてしかるべき。いや、処分されなければならないのだ。

協会の規定に従い決定された処分が既に下ったにもかかわらず、その処分されてしかるべき人間を「説得」とは、これいかに?精神状態の問題があるからか?であるならば、尚更精神障害をもった人間に対して説得を試みたところで、どうなるというのだ? 高砂や相撲協会の言うこと、やることもこれまた支離滅裂、精神分裂状態だ。さもなくば、脳無しの所業だ。

それ以上にみっともないのが、朝青竜とその父親。特にあのオヤジ。まあ、日本人じゃあないからという弁護も成り立とうが、モンゴルに「郷に入らば」はないのか? あのオヤジの言いたい放題、ありゃほんとに「蒙古」というか無恥「蒙昧」だ。「啓蒙」にも値しないかも。親ばかならぬバカ親かもしれぬ。

それに比べておっかさんは偉いな。

某スポーツジャーナリストによれば、朝青竜の処分問題が一旦決したにもかかわらず揺れているのは、日蒙関係を危惧する政財界の圧力があるからとかだが、もしそれが本当ならば、こいつらもみっともない。まあ、政治の世界はみそもくそも一緒。財界はそろばん勘定あれば何でもあり。そいつらに筋を通せという方が無理だわな・・。

前述の蒙古人はさておき、本当に、今の日本人、みっともないやつらばっかりだな・・。

とにかく、説得なんか要らないから、処分に従えないのであれば、引退でいい。もとから素行悪いんだから。自殺の可能性なんてこと言ってる輩もいたが、死にたきゃそうさせておけ。某弁護士いわく、それが個人の尊厳、自己決定権というものだそうだから(笑)。

ところで、最後に、朝青竜の女房はどうしているのだ? 亭主の危機に来日しないのか、子ども連れて? まあ、夫婦仲がどうなのか知らないし、人種民族によって人情の機微というやつも違ったりするが、そうしたもんかねえ、夫婦というのは・・。
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安部総理、あなたは実にみっともない

2007年08月09日 | Weblog
政権に汲々とするあなたの姿は無様で仕方がない、人として、男として、国家指導者として。

政権にしがみつかんとするあまりの今月15日のご決断であるとすれば、それはあなたが政権に就くことを望んだ人たちへの裏切りでもある。

あなたでなくてもいいのです、総理総裁は。いや、あなたでない方がいいのかもしれない。

ご自分に使命を課すのはご自由だが、個人の思い込みのために国家、国民を巻き込むことはよしていただきたい。

お願いだから、政権から、政界から消えてください。これ以上、男の値打ちを下げないためにも。でも、長州人だからね、策を弄して粘るかな・・?

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不倫→妊娠→出産にエールを送るNHKに受信料を払いたくはないなあ・・・

2007年08月08日 | Weblog
再放送なんですけど、今日の午後、どなたかNHK教育の「ハートをつなごう」ごらんになられました。

非婚・未婚の出産がテーマでしたが、その中に不倫の末に妊娠して臨月っていう女性の話が出てましたけど、たったひとりの男性である石田衣良を含む出演者が揃ってその女性にエールを送っていたのには、驚きました。

できちまったもんは仕方がない、それも臨月ともなれば、今更堕ろせとも言えないし、そもそもそれもできないし、産んでから絞めろというわけにもいかない。


ただ、生まれてくる子供の問題と産んで母親になる不倫女の問題は別議のはずだ。出産そのものを肯定できたとして、その女の不倫行為までもが肯定されるべきではあるまい。しかも30過ぎた分別のつく大年増。避妊もせずにことをなぜばどういうことになる恐れがあるかくらいわかっていたはずだ。勢いで中田氏? 性衝動のさせるわざとしてそれもありえぬことではないが、それにしても相手は妻子持ち。相手も悪いが女も同罪。

そういう倫ならぬことを自覚的にしでかしておいて、産まれてくる子供が差別されはしないかだあ?子供は親を選べない。親の因果は子の因果。法律的に差別はあってはならない。ただ、現実問題、いかに法治国家といえども方がすべてではない。
差別されることも同然あるだろうし、そうなれば、それはそれで法的には差別する方が悪いが、社会通念上、そういう境遇に子供を置いた不倫女も悪い。そのことで今後苦悩することがあったとして、自業自得。死ぬまで悔やむしかない。まあ、そういう女に限って、自己完結の自己正当化はあっても、悔恨っていうことはないのかもなあ・・。

まあ、自分だったら、不倫女の産んだ子供と我が子が付き合うなんてことになったら、断固反対する。そんな家庭と親せき付き合いはできない。結婚は個人の近大ではない、それが現実だ。そんな恥さらしな血筋と縁を結ぶわけにはいかない。

それにしてもNHK・・・、もう受診料払いたくなくなった。

あと石田衣良、あいつ何・・・? 気味の悪いものの考え方する男だね。吐き気がする。
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憲法9条改正→戦争に巻き込まれる?

2007年08月05日 | Weblog
以下毎日新聞の記事より抜粋。

 「原爆はもう落ちないと思っているでしょ」。全国で被爆ピアノの演奏活動をす る被爆2世を取材した時、彼がふと問いかけた言葉を、私は忘れられない。「は い」と答えた私に、彼は「いずれ憲法が改正され、そのあとで戦争が起きます  よ。そうなると、いつ原爆が落ちてもおかしくない」と憂えた。

護憲派の方々でそういう物言いでもって9条改正に反対する人が結構いるようだが、その方々、本気でそう思っているのだろうか。

確かに9条の改正の仕方によっては、以前よりもより身軽に軍事行動に打って出ることもできようし、武力紛争に巻き込まれる可能性も高まるのかもしれない。だが、今多くの9条改正支持派が言うところの改正は自衛権と自衛力の保持を明記することであり、平和主義と自衛行為ではない戦争の放棄という方針を放棄することではないはずだ。もっとも、そういえば、自衛権の拡大解釈がなされるようになり・・・といった類の反論が聞こえてきそうだが、そんなことを言い出したらあらゆる仏事にあらゆる可能性が想定されるわけで、鉛筆一本で平和主義を否定する可能性を持つから危険だなどという議論が跋扈することになる。

9条改正即戦争と騒ぐ方々、本気でそう思っているのなら、ちょっと精神の病の毛があるに違いない。きっと、物事何もかもが持つネガティブな可能性ばかりが気になってしまい、おそらく家から一歩出ることすら怖いのではないのだろうか。

さもなくば、何らかの思惑あってための議論をしているとしか思えない。もっとたちの悪い護憲派の連中になると、戦争につながる9条改正反対、だから国民投票法案も反対だと平気の平左でほざく。護憲というのなら、国民投票を規定する96条にも忠実であろうとするべきではないのか。そしてそうあろうとするならば、96条に実質を与えるべく国民投票法に賛成すべきなのだ。この点を分かっている多少なりとも小利口な連中は、国民投票法そのものに反対とは言わず、与党の法案のテクニカルな部分がいけないから反対との論法を持ち出す。

おおよそ人は人生いつ何時何が起こるかわからないという不安と恐怖から逃れられない。実際にそうなのだから。であるからこそ、保険屋もメシを食うことができる。憲法の問題もまたしかり。いかなる状況にあろうとも戦争ゼロを保障するシステムなど存在してない、少なくとも現在ただ今の人智の限りでは。それゆえに改憲→戦争という「脅し」文句に、なびいてしまう人々が少なからずいるのだ。

こんなおまぬけな連中でも、一人一票が法律上保障されている民主主義国家日本では、無視することができないのが現実だ。これを民主主義のコストというならそう呼んでもいいが、そんな民主主義などと思ってしまってはいけないのだよな、今の日本では・・・。
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憲法9条改正→戦争に巻き込まれる?

2007年08月05日 | Weblog
以下毎日新聞の記事より抜粋。

 「原爆はもう落ちないと思っているでしょ」。全国で被爆ピアノの演奏活動をす る被爆2世を取材した時、彼がふと問いかけた言葉を、私は忘れられない。「は い」と答えた私に、彼は「いずれ憲法が改正され、そのあとで戦争が起きます  よ。そうなると、いつ原爆が落ちてもおかしくない」と憂えた。

護憲派の方々でそういう物言いでもって9条改正に反対する人が結構いるようだが、その方々、本気でそう思っているのだろうか。

確かに9条の改正の仕方によっては、以前よりもより身軽に軍事行動に打って出ることもできようし、武力紛争に巻き込まれる可能性も高まるのかもしれない。だが、今多くの9条改正支持派が言うところの改正は自衛権と自衛力の保持を明記することであり、平和主義と自衛行為ではない戦争の放棄という方針を放棄することではないはずだ。もっとも、そういえば、自衛権の拡大解釈がなされるようになり・・・といった類の反論が聞こえてきそうだが、そんなことを言い出したらあらゆる仏事にあらゆる可能性が想定されるわけで、鉛筆一本で平和主義を否定する可能性を持つから危険だなどという議論が跋扈することになる。

9条改正即戦争と騒ぐ方々、本気でそう思っているのなら、ちょっと精神の病の毛があるに違いない。きっと、物事何もかもが持つネガティブな可能性ばかりが気になってしまい、おそらく家から一歩出ることすら怖いのではないのだろうか。

さもなくば、何らかの思惑あってための議論をしているとしか思えない。もっとたちの悪い護憲派の連中になると、戦争につながる9条改正反対、だから国民投票法案も反対だと平気の平左でほざく。護憲というのなら、国民投票を規定する96条にも忠実であろうとするべきではないのか。そしてそうあろうとするならば、96条に実質を与えるべく国民投票法に賛成すべきなのだ。この点を分かっている多少なりとも小利口な連中は、国民投票法そのものに反対とは言わず、与党の法案のテクニカルな部分がいけないから反対との論法を持ち出す。

おおよそ人は人生いつ何時何が起こるかわからないという不安と恐怖から逃れられない。実際にそうなのだから。であるからこそ、保険屋もメシを食うことができる。憲法の問題もまたしかり。いかなる状況にあろうとも戦争ゼロを保障するシステムなど存在してない、少なくとも現在ただ今の人智の限りでは。それゆえに改憲→戦争という「脅し」文句に、なびいてしまう人々が少なからずいるのだ。

こんなおまぬけな連中でも、一人一票が法律上保障されている民主主義国家日本では、無視することができないのが現実だ。これを民主主義のコストというならそう呼んでもいいが、そんな民主主義などと思ってしまってはいけないのだよな、今の日本では・・・。
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舛添先生、安部批判の前にHPの写真削除したら?(笑)

2007年08月04日 | Weblog
舛添先生の安部総理続投批判はまかなかやみませんな。

自民党内で安部ちゃんを引きづりおろしたところで、党のプラスになるんでしょうか?安部退陣と相成って即挙党体制とは思えぬし・・。

それに舛添先生、数日前には次の内閣は老壮青のバランス云々っておっしゃっていませんでしたか?今の世論、自民党にそんなバランスを求めているとは思えないんですけど?先生以外にも挙党体制をなんておっしゃる先生方いらっしゃるようですが、挙党体制ってあくまでも自民党自身の都合の問題ですよね?与党体制即支持率アップとなるなんて思っていらっしゃるとしたら、甘いなあ・・。しかもこの後に及んで、いまだに老壮青のバランスなんて発想してること自体、ずれまくり。世論はそんなバランスを自民党に期待していませんから。安部総理が世論を読めていないなんて批判ありますけど、舛添先生、あなたも総理を叩いている場合ではない。

それはそうと、安部続投に反対なら、HPのツーショット写真を早速削除すべきでは? あのがっちり握手ツーショットを掲載したまま、安部退陣要求って、一寸筋が通りませんよ、舛添先生。

時間がない? 政治家に言い訳は御無用ですぞ、舛添先生。筋は通しなさい。

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今更ながらの自民党内の安部批判

2007年08月02日 | Weblog
それをやる人間と、やり様によっては、男を下げるというものだ。

赤城問題をめぐる、赤城氏のこれまた東大卒エリート官僚出身にも関わらず政治"低"脳ぶりとともに、安部ちゃんの既に定番化してしまった「後手」をとやかく言ったところで今更である。

そうした声が自民党内で上がれば、尚更「今更身内でうだうだ言うな、政治家としての値打ちが下がる」と言いたくもなる。

特に、すっかり男を下げた山拓や加藤紘一、それにあの茶番にもならない三文芝居「加藤の乱」とやらで情けない泣き姿を全国に晒しても尚総理総裁候補に名乗りを上げた谷垣(政治家のレベルとしては「垣」よりも「ガキ」であろうが)がガタガタ言ったところで男の下げついでの類で一々相手にするのも馬鹿らしくなる。

福田氏のメディアへの露出がまったくと言っていいほど無いが、もし見えないところで批判しているのであれば、これまた、個人的にはその類の「陰性」人間は好きではない。それが国政を担う類の人間であれば尚更だ。あの手の「陰」の類は、「陽」の物を無くした宦○とやらと同じで、政治の表の顔にしてはいけない。

それともう一人、舛添氏、選挙以来、メディアで安部批判をする姿をよく目にするが、いささか露出が過ぎはしないか。元「電波芸人学者」舛添氏がどうなろうと、日本国にとって差ほどの損失とは思えない。あの方自身は他人が馬鹿に見えて仕方無いタイプだろうが、まあ閣僚を一二度やって「上がり」で丁度良い政治家かと。その「上がり」に無事届くためにも、あまり一気呵成なことはせぬ方が無難かと。やり過ぎると後の反動が怖いかと・・。

まあ、賢いはずのお方だけに、何らかの計算あってのこととは思うが・・。

更にもう一人。政権末期に支持率一桁を記録した体格の良いお方、誰かあの年寄りをいい加減に黙らせんか?あの一応の首相経験者、自民党にとって百害あって一利なし。一か月以内に20キロ減量できなきゃ引退しろ!、それくらい強く出てはいかがか、安部総理?まあ、100%ありえないけど。

今の時期に、内ゲバみたいなことやると、世論は余計に自民にう愛想を尽かしはしないだろうか?
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