くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

憲法9条改正→戦争に巻き込まれる?

2007年08月05日 | Weblog
以下毎日新聞の記事より抜粋。

 「原爆はもう落ちないと思っているでしょ」。全国で被爆ピアノの演奏活動をす る被爆2世を取材した時、彼がふと問いかけた言葉を、私は忘れられない。「は い」と答えた私に、彼は「いずれ憲法が改正され、そのあとで戦争が起きます  よ。そうなると、いつ原爆が落ちてもおかしくない」と憂えた。

護憲派の方々でそういう物言いでもって9条改正に反対する人が結構いるようだが、その方々、本気でそう思っているのだろうか。

確かに9条の改正の仕方によっては、以前よりもより身軽に軍事行動に打って出ることもできようし、武力紛争に巻き込まれる可能性も高まるのかもしれない。だが、今多くの9条改正支持派が言うところの改正は自衛権と自衛力の保持を明記することであり、平和主義と自衛行為ではない戦争の放棄という方針を放棄することではないはずだ。もっとも、そういえば、自衛権の拡大解釈がなされるようになり・・・といった類の反論が聞こえてきそうだが、そんなことを言い出したらあらゆる仏事にあらゆる可能性が想定されるわけで、鉛筆一本で平和主義を否定する可能性を持つから危険だなどという議論が跋扈することになる。

9条改正即戦争と騒ぐ方々、本気でそう思っているのなら、ちょっと精神の病の毛があるに違いない。きっと、物事何もかもが持つネガティブな可能性ばかりが気になってしまい、おそらく家から一歩出ることすら怖いのではないのだろうか。

さもなくば、何らかの思惑あってための議論をしているとしか思えない。もっとたちの悪い護憲派の連中になると、戦争につながる9条改正反対、だから国民投票法案も反対だと平気の平左でほざく。護憲というのなら、国民投票を規定する96条にも忠実であろうとするべきではないのか。そしてそうあろうとするならば、96条に実質を与えるべく国民投票法に賛成すべきなのだ。この点を分かっている多少なりとも小利口な連中は、国民投票法そのものに反対とは言わず、与党の法案のテクニカルな部分がいけないから反対との論法を持ち出す。

おおよそ人は人生いつ何時何が起こるかわからないという不安と恐怖から逃れられない。実際にそうなのだから。であるからこそ、保険屋もメシを食うことができる。憲法の問題もまたしかり。いかなる状況にあろうとも戦争ゼロを保障するシステムなど存在してない、少なくとも現在ただ今の人智の限りでは。それゆえに改憲→戦争という「脅し」文句に、なびいてしまう人々が少なからずいるのだ。

こんなおまぬけな連中でも、一人一票が法律上保障されている民主主義国家日本では、無視することができないのが現実だ。これを民主主義のコストというならそう呼んでもいいが、そんな民主主義などと思ってしまってはいけないのだよな、今の日本では・・・。
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