くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

16歳の祖父殺害に思うこと

2007年08月22日 | Weblog
私が高校一年の時、級友の一人が学校を去った。自主退学・転校ということだったが、事実上の退学である。その学校の校則に照らして、退学に値する行為をしてしまったのだ。

ある大きな病院の跡取り息子だった。将来は医者になるべく進学校であるその学校にやってきたのだが、実家からの通学はとても無理だったため、祖父母の家から通っていた。

退学後にわかったことだが、祖父とうまく行っていなかったらしい。そして道を踏み外してしまったというわけだ。祖父の立場からしてみれば孫を預かった以上、医学部に入れるべく気を張って頑張ろうとしたに違いない。祖父という立場を越えて、親代わりになって責任を果たそうとしたに違いない。

しかしながら、それが間違いのもとだったのだ。祖父母は両親の代わりにはなりえない。部分的になれたとして、完全には無理だ。孫はあくまでも、祖父母には祖父母の両親とは違ったしばしば無責任な程の愛情と甘えを求めてくる。両親の子育て方針を阻害するものでなければ、祖父母というのはそうであっていいのだと思う。
いや、むしろそうあるべきだったし、孫は祖父母に両親の代わりなど期待していなかったはずだ。そこを祖父は読み誤った。そしてその結果、孫も祖父も辛い思いをした。

その後、あの孫と祖父は関係を修復することはできたのであろうか。二人の関係だけではなく、家族関係はどうなったのだろうか。彼は医者になり家業を継ぐことができたのであろうか。他人事ながらいまでも時々思い出す。決して親しい間柄ではなかったが、学校を去って行った時、何だかとても気の毒に思えたものだ。

今回は、血を見る結果となってしまった。死者に鞭打つのは酷なこととあえて承知のうえで言うが、両親の離婚に心傷ついていたであろう少年に、祖父が口やかましい親代わりというのは、きつ過ぎた。少年が傷ついていればこそ、祖父なりの愛情で孫を包んでやるべきであった。祖父なりに孫を不憫と思えばこそ、あえて厳しくも接したのであろうが、結果は悲劇とあいなった。

一昔前「ガラスの十代」なんてローラースケートを履きながら口パクで歌う(というもっぱらの噂の)ジャニーズのグループの曲があったが、10代だからこそ、両親の離婚はきつかったのではないのか。そしてそれに追い打ちをかけるように厳しい祖父。救われる場を失ってしまったのだろう。かわいそうだ。人を、ましてや血を分けた肉親を手にかけるなど許されることではないが、それでも少年が哀れだ。

子供を手放した少年の両親は今何を思うのだろう。どのような事情があったのかは知らない。世の中にはやむを得ぬ事情というものもある。普通の親であれば、我が子をそこまで追い込んでしまったことに、我が身を責めずにはおれまいと思うのだが・・。

本当に悲しい事件だ。それ以上に言いようもない。
コメント
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