くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

成田屋の舞台復帰

2006年05月02日 | Weblog
5月の歌舞伎座団菊祭で団十郎が舞台復帰した。

ちなみに、ニュースとはCNNとか三大ネットワークとかではなくて、NHKの「おはようにっぽん」。海外でもテレビ・ジャパンと言うNHKが関連事業として運営している海外放送を契約すればNHKの諸番組をはじめ、民放の番組もいくつか見ることができる。

学部生時代からの歌舞伎好きである。ほぼ毎月、歌舞伎座には昼夜の二回、国立劇場や浅草でもということになれな月に3、4度は劇場に足を運んだ。気に入った芝居があれば、歌舞伎座には幕見という懐に余裕のない学生にとっては有難いものがあるから、合計で一月のうちに4度、5度と足を運ぶことになった。

米国に暮らすようになってからは芝居を見に行くことができなくなった。年末に一時帰国でもすれば、大晦日に放映される京都の顔見世か、正月の2,3日の初芝居中継をテレビで見るくらいである。そうこうして月日が過ぎるうちに、かつて梅幸や歌右衛門、仁左衛門といったかつての「大幹部」たちは悉く鬼籍に入ってしまった。幸い、今年の正月は3日に、歌舞伎座で昼の部を見ることができた。藤十郎襲名に加え、贔屓の播磨屋の貞任で「袖萩祭文」。いつぞや国立では播磨屋が先代同様貞任、袖萩の二役を演じたそうだが、今回は福助の袖萩。福助といえば児太郎時代のキンキンしていた頃しか見ていないものだから、あまり期待していなかったのだが、思いのほかよろしく、筋書きの元々の良さも手伝って思わず目頭を熱くしてしまった。やはり、なんと言っても流石と思ったのは、播磨屋の貞任。その大きさといい、台詞回しといい、当代一の立役に疑いなし!(ちなみに、江戸の立役が播磨屋なら、上方はやはり松島屋であろう)。最後は、藤十郎のお初に、扇雀の徳兵衛で「曽根崎」。近松というのは大したものだと、改めて感じ入る。「ジャンキー」の元気の無さが気になったが、年も年だから仕方なしということか・・。

そういえば、今年は10月から国立で「元禄忠臣蔵」の通しだとか。今年も暮れに帰国するつもりだが、12月は高麗屋の大石とのこと・・・。高麗屋、台詞回しは爺さんの初代吉右衛門に似ていて、むしろ播磨屋は親父の先代幸四郎似だと思うが、いかんせん感情表現が過多になり過ぎ、人物の器が小さくなってしまう。一説によれば先代吉の存命中にもそうした批判があったとかで、そんなとこも当代吉より似ているのかもしれない。ただ、先代吉との違いは、高麗屋がバタ臭いこと。「ラマンチャ」でならならいざしらず、はっきり言って、歌舞伎の舞台にバタ臭さはいらない。ただ、古い演劇界か何かをよんでいたら、先々代の七代目幸四郎についてもそんな批評があったように記憶している。ということは、若い頃からのミュージカルのやり過ぎというだけではなく、隔世遺伝ということもあるのかしれない (ちなみに先代幸四郎や播磨屋にバタ臭さはない)。

成田屋のことを書くつもりが、のっけからすっかり話が反れた。ということで。閑話休題。

正直なところ筆者は、成田屋、すなわち12世団十郎の贔屓というのではない。華があり、舞台姿は実に立派だが、なにせ口跡がよろしくいし、決して巧い役者ではないのだ。この点については世評の一致するところと思う。筆者の贔屓と言えば、既述のとおり当代では播磨屋、中村吉右衛門。かつては、先代勘三郎など巧者、味のある役者。当代で言うと、当代勘三郎、三津五郎あたりはその類なのだろうが、両者とも大中村のような愛嬌というものはない。年の功なのか、それとも天性のものなのであろうか、巧者というのではないが(と言って決して不器用というわけでもない)、なんとも言えない雰囲気をかもし出して好きだったのは、亡くなった宗十郎に、14代目仁左衛門を追号された我童。確か宗十郎は15代目(羽左衛門)の薫陶を受けたことがあったはずで、あの良い意味での「あっけらかん」とした芝居こそ江戸歌舞伎の名残りだったのかもしれないと、思わなくもない(15代もセリフだけ聞くと、それは朗々として良いのだが、感情表現を重んずる近現代劇とは異質なものなのだ)。それにしても、プロの劇評家がどう評するかはいざ知らず、宗十郎の「引窓」のお早は良かった。ああいった役者がもうこの後現れることはあるまい、と思うといささか淋しいものである。

また話がそれた・・・。それついでに、15代目の実父はフランス人だとか、アメリカ人とかいう話が交錯しているが、フランス生まれのアメリカ人というのが正解。近代史、特に明治初年の外交史に詳しい人ならご存知のはずのチャールズ・レジェンドル(ルジャンドル)、その人である。

さて(笑)、成田屋のことであるが、贔屓でははないが、決して「嫌い」な役者でもない。団十郎襲名とほぼ時を同じくして歌舞伎を見始めた筆者にとって、成田屋は「なくてはならない」というよりは、そこにいて「いて当たり前」の役者なのである。上を向けば空があるごとく、川を見れば水があるごとく。あの決してよろしくはない口籍も、それがあって当代の歌舞伎であり、良くも悪くも、そこに団十郎という名跡の大きさと、当代成田屋個人の役者としての存在観があるのだ。

今は亡き仲蔵が勘五郎だった時分お世話になったことがあったが、「(成田屋の)あの顔に、亨さんの声があったら、鬼に金棒なんだけどねえ」と仰っていたことを記憶している。たしかに「亨さん」こと先代辰之助の声(台詞回しではない)は、実父の先代松禄が陰ながら褒めたというほどのものであったが、それが成田屋にあれば、たとえ器用ではなくとも、播磨屋とても同じ舞台に立てば霞んでしまうやもしれぬ。ただ、それは無いものねだり、現実には無いのだ。成田屋には、姿、華はあっても、声がないのだ。

たとえそうであっても、成田屋には存在感がある。あの口跡も、「あれが(当代の)団十郎なのだ」、と納得してしまっている芝居ファンも少なくないのではないのか。

その成田屋が白血病の再発から舞台復帰した。演目は、十八番のうち「外郎売」。
テレビ画面で見ても、まだ本調子でない、病み上がりであることは明らかだ。闘病のせいか、抗がん剤のせいか、顔にむくみがあり、顔色も、目の勢いもかつての成田屋ではない。あの目で「睨んでごらんにいれまする」と言われても、有難味はあるまい。

NHKの取材カメラは成田屋の闘病中の様子をも画面に映しだしていたのであろう。「あろう」というのは、海外では著作権の都合とかで、そのほとんどが音声のみ。ただ時折写る闘病中の成田屋、復帰に向けて励む成田屋を見てて、何とも言えない気持ちになってしまった。生に執着して醜い姿もあれば、そうではなく美しい姿もある。成田屋のそれは、言うまでも無く後者だ。いや、美しいという言葉は適当ではあるまい。・・・、何と表現したら良いのか、凄みのようなものを感じてしまった。「頑張れ!」と思わず画面越しに声をかけたくなるような、そんな姿の成田屋であった。

そういえば、先代団十郎も50代後半に癌に倒れ、ついぞ病を克服することなく他界した。師匠でもある父を早くに失った当代(当時海老蔵)のその後の苦労は、伝え聞くところである。そして今当代が亡父と同じく癌(ただし先代は胃癌と記憶している)に苦しむ。これが因果といものなのだろうか・・。

「外郎売」、短い演目とはいえ、病み上がりの身で一月の舞台をまっとうすることは決して楽なことではあるまいが、是非是非、更なる回復を重ね、かつてのような大きな、華やかな舞台姿を見せて欲しいものである。

成田屋のいない歌舞伎界は、さみしい・・・。

コメント
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