くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (1)

2006年05月19日 | Weblog
「靖国問題」の歴史は長い。何も小泉政権になって突如として現出した問題といわけではない。既に戦後独立を回復してまもない頃から、戦前は国の管理下にあり戦後は宗教法人となった靖国神社は、国内における論争の一テーマであり続けてきた。それが外交問題としての側面をも持つようになったのは、昭和60年の中曽根大勲位によるいわゆる「公式」参拝を契機としてである。

そうした歴史はさておき、靖国に関する問題の諸側面について雑感ならびに解決策について論じてみたいが、その前に改めて筆者の靖国問題に対する立場を述べておきたいと思う。筆者は、「靖国考 その一」の冒頭で述べたように、大いに不満とするところはあるものの、小泉首相による靖国参拝を支持し、できれば小泉退陣後の後継首相にも中曽根大勲位までの戦後の歴代総理がそうであったように、参拝を続けていただきたいと考える。更に欲を言うならば、実に恐れ多いことではあるが、天皇陛下には、昭和50年11月をもって途絶えて久しい御親拝を是非とも復活していただきたいと、祈念するしだいである。言うなれば、筆者は、天皇陛下ならびに内閣総理大臣による靖国参拝を”せめて”昭和50年以前の状態に戻すことができればと願っている。

靖国神社は、明治2年明治天皇の大御心をもって東京招魂社として建立され、同12年に同帝の御命名による「靖国」へと改称を経て今日に至る。今日までに幕末維新の動乱このかた我が国のために尊い生命を捧げられた方々246万余柱を英霊として合祀している。

天寿を全うせず人が命を落とすことは悲しいことである。しかし、死の悲しみをもってして、殉国という行為が全面否定されるべきではあるまい。また、たとえ武運拙く敗れた戦だとして、それによって英霊の英霊たる所以が否定されるべきでもあるまい。国民として、自らが属する国家への忠誠と義務の履行は当然のことであり、国の主権者の一人であれば、それは尚更のことであるはずだ。自国への忠責を果たせずして、何が国民か、主権者か。「日本国」という国家のためにはできぬというのであれば、現行憲法なり国籍法が個人の自由意志による国籍の離脱・変更を禁ずるものではない以上、日本国籍を捨て、他国の国民としてせいぜいその国に尽くせば良いではないか。「地球市民」というのであれば、それも自由だが、それは「地球市民」というアイデンティティーを法的に許容し居住を許可す国があればの話であろう。少なくとも、日本国はその類ではない。「地球市民」を標榜しながらも、好むと好まざるとに拘らず日本国籍を有し日本国の主権の一翼を担う立場に自らの身を置くのであれば、やはり所属する国家への忠責は果たしてもらわねば筋が通るまい。

国家への「忠誠」という言葉に抵抗感を感ずるとすれば、それこそまさに「戦後教育」の所産という他ない。さもなくば、「忠誠」という言葉の語義に疎いが故か、はたまた「国家」という存在自体を何らかの理由で否定的、拒絶的に見るが故ではあるまいか。さもなければ、「先の大戦」での敗戦のトラウマか。もしそうだとしたら、たかだか一回の敗戦なのに情けないことである。「忠誠」をなす二字、「忠」と「誠」ともに、まこと、あるいは真心という意味においてほぼ同義である。「忠」の字が必ずしも「君」の字を伴わなければならないというわけでもなく、真心を尽くす対象が、君主ではなく、それ以外の人、団体、集団でも良いのだ。すなわち、民主国家あるいは国民主権国家における国家への忠誠とは、そこで共に暮らし、共に主権者として国家を営んでいく同胞、ならびに同胞の集団によってなる社会、国家に対して、誠心誠意の姿勢で臨むということであるのだ。国民が相互に忠誠を誓い果たすことによって、国家はその統合と存続が保たれ、その更なる発展が期待できるというものではなかろうか。更に言えば、国家への忠誠とは、思いのうちに留まらず、それが何らかの責務の遂行という形で行為として発露されることが望ましい。

できれば回避すべき事態であり、そのためにも国家指導者は最大限の努力をすべきではあるが、国民は、祖国のためにやむを得ず自らの命を賭すという事態に立ち至る場合もあることを、「想定内」のこととして覚悟しておく必要があろう。そして、もし同胞が国家のために、すなわち我々のために、その尊い命を犠牲にした時、我々はその人にどのように報いるべきなのかという点について考えてみる必要がある。残された遺族への経済的なものも含めた支援・保護といった対応や心配りは勿論のこと、国家のために散華した同胞なり先人を追悼、顕彰し続けることは、場合によっては命を賭してまでも互いに守りあう、またそうすることでこれまで守られてきた「日本国」という共同体の構成員として当然のことではあるまいか。自己犠牲という究極のかたちでの国家への忠誠を貫いた先祖、同胞に対して敬意や感謝の意を表すことを拒否する国家があったとしたら、いや、拒否どころかそうした発想すらない国家があったとしたら、一体その国民の誰が祖国の存続と更なる繁栄ために誠心誠意に尽くそうとするだろうか。一旦緩急の事態となっても、自己防衛に我が身を呈する意思すら持たない国民からなる国家が、いかに恒久的な国際平和を希求すると高らかに宣言したところで、他国は眉に唾するか、一笑にふすのみであろう。自己犠牲という究極の国家への忠誠を想定できない国家とは、国家としての存続意識が希薄か、なにがしのおかしな理想論か観念論に思考を蝕まれ、自己防衛といものに対してリアリティーをもって発想することができない国家ではあるまいか。滅びることをレーゾン・デトールとして存在する個人や国家など、一般論として、この世に存在しないはずである。であればこそ、国家ならびに国民は、自らの血をもってする究極の手段による国家の存続維持を、好むと好まざるとに拘らず、現実世界において起こりうることとして想定、覚悟しておく必要があろう。

亡くなった者を悼むという行為は、人としての自然な感情および行為であるはずだ。それが血の繋がった家族や、血の繋がりは無くとも何かの縁で人生の幾許かを共にした相手であれば、尚更のことであろう。人によっては、国家に殉じた者への追悼は各個人が心のうちに行えばよいことであり、国家としておこなわなければならないというものではない、と考えるのかもしれない。これに対して、筆者は次のように考える。昨年数十万部売れたという高橋哲哉氏の『靖国問題』。いずれ具体的に触れたいと思うが、高橋氏と筆者では靖国問題への考え方は180度違う。しかしながら、家族という集団が存在する以上、追悼という行為が端から純粋に個人的な行為ではありえず、またそうした集団性を否定すべき理由もないとする氏の考えについては、筆者はこれを支持する。(高橋、p. 210)また、国民が国家のために尊い命を犠牲にするという事態は、通常国策遂行の過程において発生する。であるならば、国家として決定した国策において生じた犠牲を国家が追悼せずしてどうするというのか。国民の集合体たる国家がそのために殉じた者への追悼行為を放棄したすれば、同胞を人身御供にしても一顧だにせぬ「人でなし国家」のそしりは免れまいし、国民が主権者たる日本国が国民主権の下で決せられた国策の犠牲者への追悼行為を放棄したとすれば、「無責任者」の集団からなる「無責任国家」とのそしりもまた免れまい。

加えて、国家による殉国者への追悼行為は可視性を要する。人は、シンボルのように可視的なものを求める傾向にある。我が国における一般的な先祖供養のあり方など、まさにその好例ではないだろか。我が国の家庭の多くは、仏式により先祖・家族を弔い供養する。ただそれは家族各々の心の内にのみなされる行為ではなく、仏壇や墓、あるいは遺影といった可視的なものを以ってもなされる。少なくとも我が国の伝統的な追悼行為が可視性を伴い、それが今日も一般的に行われているのであれば、日本国という国家としての殉国者への追悼行為も、何らかの可視的なそれも墓のように(半)恒久的なものを設けることは、社会通念上からみても何らおかしなことではない。

更に筆者は考える。国家による殉国者の追悼は、総理大臣の手によるものだけではなく、やはり、天皇陛下に行っていただかなければなるまい。総理は国策の最高決定機関の長ではあるが、所詮三権の長の一人に過ぎない。それに対して、天皇陛下は、日本国憲法の規定することろの国家・国民の統合の象徴である。国家による追悼行為において陛下のお姿が無いというのは、それこそ奇異なことではあるまいか。同時に、追悼行為と同様に、忠誠の対象たる国家にも可視性が与えられるべきであり、それを体現されるのが象徴たる天皇陛下であるとしても、これまた何ら奇異とすべきことではないはずだ。

戦前の日本では、靖国神社が陸海軍省の管轄の下でその役割を担ってきたが、戦後の日本には、国家として殉国者を追悼する行為なり、施設が存在しない。確かに、昭和34年国によって建設された千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、埋葬されているのは太平洋戦戦争の戦没者約35万柱分の遺骨のみである。少なくとも近代以降において、我が国が経験した戦いは太平洋戦争だけではないのだから、千鳥が淵で事足りるということにはなるまい。これに対して靖国は奇術のように、広く幕末以来の殉国者246余万柱の英霊をまつり、それだけではなく今後何らかの形で国に殉じた人をも祀ることを想定している。

であれば、靖国こそ(だけとは筆者は言わない!)首相さらには国家・国民の統合の象徴たる天皇陛下に靖国に参拝していただくべき追悼施設として最も相応しいと、筆者は個人的に考えるのだ。昭和天皇や吉田茂に始まり中曽根にいたるほとんどの歴代首相(吉田以降では、鳩山、石橋、そして姑息極まりない「私人」参拝を行った「バルカン政治家」三木武夫を除く)も、そのような考えであったればこそ、靖国に参拝されたのではなかったのか。

しかしながら、靖国神社を国家追悼施設として認定するには、既に周知のことではあるが、大きな問題があるのだ。

続く。

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