くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「ニュー小沢」のカビ臭さ

2006年05月27日 | Weblog
以前にもここで述べたが、筆者は基本的に、小沢一郎という政治家は既に「賞味期限切れ」かその寸前と見ている。小沢氏が小渕内閣との袂を分かち自自連立が瓦解した時が、その「期限」ではなかったのか。ただ、まだ腐ってしまったといわけではなく、「火」を加えれば賞味可能かもしれない。

「火」とは、今後の小沢民主党の”行方”如何を意味する。

しかしながら、筆者は改めて小沢という政治家の旧態然たる政治手法に「はやりダメか・・・」と思わずにはいられなくもなる。

というのは、報道によれば、来夏の参院選に向け郵政反対組みの無所属議員との連携、すなわち民主党からの出馬や共闘を模索するという。郵政造反派への対応をめぐりいまだ党論の一致を見ない自民への単なる揺さぶりなのかも知れない。しかし、もし小沢氏が文字通りの「連携」を模索しているのであれば、これを単なる数合わせと言わずして何と言おうや。議会制民主主義において数の持つ力を無視することはできない。数はそのよしあしにかかわらず「力」なのだ。しかし、である。青臭い書生論と言われればその通りとしか返しようがないのだが、政党政治における数は、政党間の政策論争に対する有権者の審判の結果であるべきではないのか。小沢氏が民主党を率いて政権奪取を目指すのであれば、自民と民主による政権交代のある議会制民主主義、政党政治を目指すのであれば、政策論争をもってする「対立軸」路線を追求すべきではないのか。小沢氏が政治の師でもあった故田中角栄同様「数の論理」というものに過度に固執すれば、「ニュー小沢」とは単なる有権者の目を誤魔化すための羊頭狗肉、「賞味期限切れ」についにカビが生えてきたことを意味するものとしか、筆者には思えぬ。

世論の小沢民主党への期待はかなり高い。そのことは、先日の衆院千葉7区での補選の結果にも現れた。といことは、世論はまだ小沢という政治家を見限ってはいないということでもあり、それは小沢氏の従来からの「改革派」としてのイメージがいまだ根強く残っているからであろう。加えて、世論が5年にならんとする小泉政権に倦んできているということに助けられている面もあろし、マスコミが煽る小泉政権下で広がったという「格差」への不安の表れであるのかもしれない。

しかしながら、世論は、「ニュー小沢」が代表になったことで民主党が「ニュー民主党」に生まれ変わったと、見ているわけではあるまい。それに、世論はいまだ偽メール事件で見せた民主党という政党の未熟さ、無様を忘れてはいまい。

来夏の参院選、普通に考えて、民主党にとっては小沢氏が代表でなくと勝てるはずの選挙だ。6年前の参院選と昨年の総選挙で自民が勝利したゆれ戻し現象で、民主党が議席を増やすことは容易に予想できる。

ただし、選挙は水物。政治の世界、一寸先は闇という。今年の9月に誰が自民党の新総裁に選ばれるかによっては、世論の「小沢民主党」への期待の波も上げ下げが起きよう。来年一月からの通常国会での自公連立与党との攻防の如何では、世論の小沢民主党への期待感は失望へと変わる可能性が無いとも言い切れまい。そのような展開にさせないためには、審議拒否なども使い古された国会戦術ではなく、対案をもって正面から論戦を挑んで欲しいものである。ただ、小沢氏が政策本位をもって与党に対する「対立軸」路線を取ろうとした場合、来年夏の参院選まで、小沢氏が党内をまとめ続けることができるかどうか予断を許すまい。民主党という政党が「寄り合い所帯」であることは既に周知のことであるが、そうした「御家事情」ゆえに、党内対立ばかりが表面化し与党に対して対案を示すことができなかったり、対案を示せたとしてもやはり「御家事情」ゆえに「小沢色」が薄く世論へのインパクトの弱いものであったりすれば、小沢氏の「対立軸」路線は失敗に帰すこととなろう。小沢氏のそうした党内事情への辛抱が限界に達した時、「壊し屋小沢」の本領発揮といことになるであろうし、たとえ氏の辛抱が続いたとしても、それはそれでその分だけ党内融和の結果「小沢色」が褪せるということになり、小沢民主党は世論の支持を失う。つまり、小沢氏にとっての正念場が、参院選よりも前にやってくる可能性も十分にあるわけで、そうなれば参院選が小沢氏のいうところの「天下分け目」にはならないかもしれないのだ。繰り返しになるが、普通に考えて民主に勝機のある選挙だ。現に、それを「天下分け目」と位置づける小沢氏は、50議席の獲得を目指すとしている。そのためには、ポスト小泉が誰になろうとも、来年の常会をできる限り世論を満足させるかたちで乗り気らねばなるまいし、郵政造反派との連携などという到底世論を支持を得られそうにも無いくだらない数合わせの小細工をペラペラと国民の目の前で口にせぬことだ。

小沢氏は「天下分け目」といい、中曽根大勲位は、日本の政治史上のポイントになる可能性があるという、来年の参院選。大勲位の言う「政治史上」が何を意味するのか筆者のうかがいしるところではないが、果たして小沢氏のいうところの「天下分け目」となるのだろうか。民主党にとって、また小沢氏にとっても、かりに50議席獲得の勝利をおさめたところで、「天下分け目」の「天下」が「政権取り」を意味するのであれば、そうそう簡単に政権への道筋が立つなどといことにはなるまい、と考えるのは筆者だけだろか。むしろ民主党の更なる凋落こそ更なる政界再編のために望ましいと考える筆者にとって、勝っても負けても小沢民主党が更なる苦難を抱え込むことを切に願うのである。堕ちよ民主党!

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