くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

靖国考 その1: 米国と靖国 (3)

2006年05月18日 | Weblog
閑話休題。ハルピン氏の「反日」講演から話が、ICASに脱線してしまった。

さて、その「反日」講演であるが、原稿にして30頁に及ぶ。内容は文字通り「反日」歴史認識のオンパレードである。「反日」が曖昧で不適切な言葉であるというのであれば、東京裁判史観あるいは「日本悪玉論」そのものとでも言っておこうか。太平洋戦争(大東亜戦争)における日本軍の残虐行為はじめ「悪行」、「蛮行」の羅列である。加えて、戦場になったかあるいは日本軍の占領下に置かれたアジア諸国と米国が同じ歴史認識を共有しているかのような物言いなのである。

ハルピン氏の対日批判の矛先は、単に歴史認識問題にとどまらない。氏は、昨年国会で可決され来年から「みどりの日」にかわる「昭和の日」(4月29日)をも批判する。しかしながら、その論拠とするところは実にお粗末の限りといわざるを得ない。「昭和の日」制定に対してシカゴに暮らす氏の年配の親類がえらくご立腹だという。続けて、ドイツ下院がいまだかつて「カイザーヴィルヘルム2世の日」などというものを制定しようとしたことがあったか、と問いかける。歴史認識問題においてドイツとの比較をもち出すのは内外の対日批判派の常套手段であるが、ここで第二次ではなく第一次大戦のドイツ指導者を持ち出すことに何の意味があるのだろうか。どうやら氏は、第一次大戦勃発の戦争責任をドイツに帰したい御仁らしく、ヴィルヘルム2世と対比させることで同じく開戦ないしは戦争責任のある昭和天皇を顕彰する祝日が制定されたことを批判したいようなのだ。事実、氏は、その前段で、次のように述べている。

It seems clear that President Roosevelt assumed the Emperor had some culpability for the event at Pearl Harbor..

ところが、この文章が"It seems"で始まっているように、ここで氏は昭和天皇の「責任」というものを確たる史料ないし証拠をもって証明しているわけではない。せめてハーバート・ビックスの『昭和天皇』でも参照して欲しかったところだが、推論をあたかも実証したかのように断定系で論じ、史料の驚天動地的読み替えをやってのけたビックス氏に比べれば、おそらくプロの歴史家ではないハルピン氏の推論的昭和天皇の戦争責任論は、まだ許されるべきかもしれない。だが、いずれにせよ、お粗末な立論による「昭和の日」批判であることにかわりはない。(ちなみに、アメリカ人研究者による昭和天皇研究に関しては、筆者は、ビックス氏ではなくピーター・ウェッツラー氏の研究成果を押したいのだが、米国でも日本でもビックス氏の方が注目を集めるのには理解に苦しむ。ウェッツラー氏の史料への取り組み姿勢は、ビックス氏の「禁じ手」や『敗戦を抱きしめて』におけるジョン・ダワー氏の昭和天皇に関する論考の杜撰さに比べれば、実証史学の「王道」というべきものである。)

ICASによるハルピン氏の経歴を見る限りでは知る由もないが、氏が歴史学といものに関して素人であることはまず間違いあるまい。事実、上述の昭和天皇の責任論のみならず、氏の議論には論証という点で稚拙さが目立つ。より正確に言うならば、依拠すべき史料の選定に問題があるのだ。例えば、シンガポール攻略後の日本軍の占領について、リー・クワンユー氏の証言をもって、その過酷さを描いてみせようとしているが、はたしてそれが適当な史料と言えるのであろうか。筆者は、経験談ないしは証言というものの史料的価値を完全に否定するつもりなどない。ただ、リー氏は日本が満州事変以来敵対関係にあった中国に由来も持つ華僑であるだけでなく、危うく日本軍の「華僑狩り」の犠牲者になりそうになるという経験の持ち主でもあり(筆者の記憶では、日本軍のトラックから隙を見て飛び降りて難を逃れたはずである)、普通に考えて、日本軍または日本に対する良いイメージを持っていようはずもあるまい。事実、氏は首相時代に日本をしてアル中患者呼ばわりしている。一国の指導者が他国をして「アル中」呼ばわりするなどということは、尋常ではあるまい。こうした体験、対日観を持つ人物の証言である。そこにネガティブな感情によって歪められた事実以上の誇張なり脚色が、意図的ありは無意識に、織り込まれているとしても不思議ではあるまい。さらに重要なことは、過去に関する証言とは個人の記憶に100%依存したものであり、ここに、年月を経た結果記憶ちがいなどが生じるとい、当事者・目撃者証言の史料としての危うさがあるのだ。ハルピン氏もそのことを知らぬではあるまい。経験者が言っているのだから真実であるとか、被害者が言っているのだから疑う余地などないといった主張は所謂「従軍慰安婦」問題などでよく耳目にするところではあるが、そのような強弁がまかり通ってはたまったものではない。しかも、ハルピン氏の場合は、たった一人の華僑の証言のみをもって、である。リー・クワンユーという名前を持ち出すことで信憑性を持たせようとしたとすれば、それは邪道以外の何ものでもない。

ハルピン氏の論証の危うさは、所謂「南京事件」ないし「南京大虐殺」に関する参考文献によっても如実に示されている。氏は驚くべきことに、故アイリス・チャン氏のベストセラーであるThe Rape of Nankingを参考資料としても用いているのだ。この作品をめぐっては、日本国内において、虐殺肯定派、否定派の双方から、事実誤認など内容の杜撰さが指摘され、結局それに対する対応をめぐって出版社側(柏書房)とチャン氏が対立し、日本語版の出版が挫折したという経緯もある。アメリカの歴史学者一部からも批判の声が上がり、アメリカアジア学会(Association for Asian Stdies)でも、その評価をめぐり若干の論争があった。ハルピン氏がそうした事実を知っていてこの作品を参考資料に選んだかどうかは知る由もないが、プロの歴史家であれば普通二次資料として参照することに躊躇するであろう。素人ゆえに、プロによる批判や論争があったことをご存知ないのであろ。でなければ、氏自身が高校生の時に広島に関する著作を読んだように、日本の高校生たちもチャンの著作を読むべきだなどという「冗談」は言うまい。

更に驚くことは、ハルピン氏にとって、ナチスドイツのユダヤ人迫害に関する著作と同様、南京事件に関する著作への批判は、あるまじき行為であるらしい。チャン氏が生前に当時の斉藤邦彦駐米大使と行ったTV討論を北京で見たハリピン氏は、中国系アメリカ人の友人が怒りに震えながら口にした言葉を次のように引用する。

Would the German Ambssador to Washington ever dare to criticize a Jewish writer who published work on the Holocaust?

実に無意味な引用である。筆者は、ユダヤ人によるホロコーストに関する著作についてドイツ(駐イスラエル?)大使が批判したという事実の有無を知らないが、一体どしたらその有無が、斉藤氏のチャン氏への批判を不当なものとする論拠になりえるというのか。もしなりえるとすれば、それはホロコースト同様、南京大虐殺がチャン氏の主張する通りの史実であるという時のみであろう。ホロコーストであろうと、南京であろうと、何であろうと、著作の中に事実に反する記述があれば、批判されてしかるべきであるし、そうした批判は言論の自由として、当時ハルピン氏や友人がいた中国ならいざ知らず、彼らの祖国米国では保障されているはずの権利だ。それとも、ハルピン氏は、ホロコーストと南京事件への批判に関しては、そうした自由の埒外とでも考えているのであろうか。

これ以上ハルピン氏を批判することは、「水に落ちた犬叩く」に等しい所業とのそしりを覚悟で、もうあと二点しておきたい。

氏の認識では、日本の韓国併合は、”one of the world's most brutal colonial experiences”だそうだが、”most brutal”という他との相対比較を意味する言葉を使う以上、その根拠とするところを具体的に他国との比較で例示すべきではないのか。感じた、思ったの類の言い放ちなら小学生でもできる。

原爆投下に関するハルピン氏の認識に、特筆すべきものはない。トルーマンの決断は、沖縄戦で日米双方は出した多数の犠牲者数を前に、やむ終えない選択であり、その結果戦争は早期に終結し多くの日米両国民の命が救われたとする。そして、それもこれも、真珠湾への奇襲攻撃とそれを決断した東条をはじめとする指導者たちに責任があるのだ、という。だが、ハルピン氏はご存知ないのか、戦時国際法違反のパールハーバー奇襲が同じく戦時国際法違反の原爆投下を正当化するものではないことを。

ハルピン氏は、この講演の最後を再び頼まれたわけでもなかろうにアジア諸国の全国民を代弁した後で、次のようにしめくくっている。

I can say that venerating Tojo is offensive to Jack Lannan, 88, of Des Plaines, Illinois, a World War II veteran of the Pacific and my uncle; it is offensive to Tom Foley, 80, of Glenview, Illinois, a World War II veteran of the Pacific and my uncle; it is offensive to Ed Halpin, 95, of Park Ridge, Illinois, a World War II veteran of the Atlantic and my uncle; and it is offensive to Tom Halpin, 87, of Glenview, Illinois, another World War II veteran of the Atlantic and my father. Both Ed and Tom lost their brother, Nick, prematurely from a disease he contracted while fighting in the Pacific War. Thus, my father's and my uncles' message is simple and direct to anyone willing to listen in Tokyo: "Don't bow before the convicted war criminal Hideki Tojo. We will remember Pearl Harbor even if some Americans have historic amnesia." To conclude with a quote from the title of Senator Obama's autobiography, this paper, in reality, represents dreams from my father. Thank you.

以上が、「歴史認識問題」を扱いながら、かえってハルピン氏の歴史学への疎さと歴史認識のつたなさを存分に露呈した講演である。

ハルピン氏の歴史素人ぶりもさることながら、靖国に”spiritual tablets”があるなどとのたまう御仁に、そもそも靖国をとやかく言う資格があるのだろうか。

こうした内容を含んだ報告書が提出された後に、ハイド氏の一連の行動が続いている。これは偶然なのだろか。実は、ハイド氏とハルピン氏の靖国をめぐる言動には類似性がある。ハルピン氏は決して靖国神社というものを全面的に否定しているわけではない。しかし、首相をはじめとする政府関係者により繰り返される靖国神社参拝を批判し、もし靖国がアーリントン墓地のような戦没者のための国家追悼施設であらんとするのであれば、「A級戦犯」の”spiritual tablets (位牌?)”を、排除(remove)すべきであることを主張した後、次のように続ける。

Otherwise, such acts of veneration will continue to disturb the tranquility of the Chinese people, the Korean people, the Philippine people, the Singaporean people, the people of Hong Kong, and the Indonesian people. (www.icasinc.org/2005/2005s/2005sdph.html )

前述したようにあたかも上記抜粋に見えるの国々の全国民が「A級戦犯」を合祀する靖国神社への、首相らの参拝に反発してるかのようなものいいなのだが、これは、昨年10月にハイド氏が加藤良三駐米大使に宛てた書簡にも共通して見られるのだ。

また筆者は、ハルピン氏の上述「反日」講演が行われた場所が、下院議員のオフィスが入るRayburn House Office Building(連邦議会議事堂のすぐそばに位置する)であったことにも注目したい。そこにはハイド氏のオフィスもある。これはあくまでも憶測の粋を出るものではないが、その場所が選ばれたのは、ハルピン氏に影響を受けたハイド氏が、あるいはハイド氏がハルピン氏を使って、議会・政府関係者の前で日本の「過去」への対応を批判することで、彼らに靖国問題に関する小泉政権への圧力を促そうとの思惑があってのことではなかったのだろうか。

米国内において「歴史認識問題」や「靖国問題」をめぐり日本に批判的な考えを持つのがハイド氏やハルピン氏だけとゆめゆめ誤解してはけない。というのは、ハルピン氏の歴史認識が米国内において決して特異なものではないという事実があるからだ。太平洋戦争をめぐっては、「米国=善玉」、「日本=悪玉」の図式はいまだ根づよく、学校教育の場においてそれが再生産され続けているのがおおよその現状である。日米関係史などの分野での研究の蓄積により解釈の多様化が進んでいるとはいうものの、その影響力は限定的である。日本を含めたアジア史の分野では、例えば南京事件などになると、既に固定観念のようなものが出来上がってしまっていて、修正主義的な解釈に対しては、特にそれが日本人研究者によるものであれば、「右翼」、「国粋主義」のレッテルを問答無用に貼る傾向すらあるのだ。

ただ、忘れてはならないことがある。まず、米国の一部が日中韓に摩擦を懸念しその原因を靖国問題と考えるのは、ただ単に彼らの歴史認識や対日感情ゆえというだけではなく、それらの東アジア国家が互いに対立しあうことが、米国の国益に反すると考えているからでもある、ということである。加えて、靖国や歴史問題で、日米間に不協和音が生じるような事態になった時、ほくそえむのは、日米いずれでもないということである。このことは、ハイド氏の加藤大使への書簡にも示唆されているように思われる。

我が国のそれとは必ずしも相容れない歴史認識をもつ米国が、あるいは既に靖国問題をめぐって険悪化する日中、日韓関係に対して懸念を示している米国政府が、靖国問題に介入してきた場合、我が国はどう対応するつもりなのだろうか。小泉政権は、米国に対しても、中韓と同様の姿勢で臨むののであろうか、それとも・・・。
来月に予定されている小泉首相の訪米が、一つの焦点になるのかもしれない。



追記
筆者にとっては、ハルビン氏とICASとの関係、ICASと韓国国内とのつながりの有無も気になるところではある。







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