劇団オリゴ党『カーゴ・カルト』(作・演出/岩橋貞典、08/9/14於シアトリカル應典院)を観てきました。
舞台は、とある夫婦の会話から始まります。夫が妻に言います。「金を貸してくれないか」。
そして夫はそのまま失踪してしまう……。
探偵事務所に駆け込む妻。そこで妻は、夫がとある教団の教祖になっていることを知るのだった……(公演案内より)
なんとなく安部公房を連想させるシチュエーションですが、当然ながら安倍公房的な実存の探求には向かいません。むしろある種の人々がなぜ神を求めるのか、人々は様々なるそれぞれの個人的な理由により神(信仰)に救いを求めるわけですが、その神を(信仰を)求めないではいられない「心」の分析がテーマのようです。
この芝居においても、あるものは経営する工場がにっちもさっちも行かなくなってこの教団に参加していますし、あるものは現実の他者と繋がることができず唯テレビに向かって喋りかけるだけの生活から、教団に参加することで(教団内という限界はありますが)他者との交流を細々とではありますがもてるようになっている。いずれの例も、主体性の一部を神に預ける(秘密にする)ことで、何とか平衡を保っているのです。
だが、それがかりそめの平衡でしかないことを最もよく知っているのが、他ならぬ教祖なのです。教祖はそういう依存的な段階から、自己そのものが神になる(全的な主体性を回復する)という道を示しますが、信者は拒否します。実はそれは当然なのであって、神とは頼るべき存在、自分では処理しきれない責任の一端を預かってくれる存在だからこそ、神なのですから。
神は救わないと明言した教祖は、その結果教団幹部の女性信者によって殺害される。そして彼女は、信者が集まっていた教団本部の一室にガスを撒き、自らもそのガスで自殺するのだが、そのとき彼女は、自分が殺害したはずの教祖が目の前にいるのに気づく……
という風に、非常に台詞が抽象的で難解なストーリーが展開されます。一度見たくらいでは多分半分も理解できません。最低2回は見なければ了解できないのではないか。でもそれでいいのだと思います。むしろこれくらい濃くなければ小劇場の存在価値がありません。小劇場は出来合いのセンチメントを蒸し返すだけの大衆演劇ではないのですから。
その意味で、本劇は確かに難解ではありますが、何が何だか判らないところは判らないなりに、しかし観客に訴えてくる力はきわめて強く、私は最初から最後までほとんど身動きもせずに見入ってしまいました。で、実はこっちの方が大事なんであって、上記のような解釈はむしろどうでもよいのです。かかる結果としての訴求力、吸引力、迫力こそ、この芝居の最大の魅力なんですよね。
脚本も時系列的に一直線ではなく、360度客席という劇場に見合った構成になっていると思いました。いやその辺は素人の印象ですが。
ともあれ、イワハシ作品としても異色の一篇ではないでしょうか。オリゴ党といえばサブカルネタが必須なんですが、今回はそれが封印されており、その点でも異色な感じを持ちました。大変面白かったです。
舞台は、とある夫婦の会話から始まります。夫が妻に言います。「金を貸してくれないか」。
そして夫はそのまま失踪してしまう……。
探偵事務所に駆け込む妻。そこで妻は、夫がとある教団の教祖になっていることを知るのだった……(公演案内より)
なんとなく安部公房を連想させるシチュエーションですが、当然ながら安倍公房的な実存の探求には向かいません。むしろある種の人々がなぜ神を求めるのか、人々は様々なるそれぞれの個人的な理由により神(信仰)に救いを求めるわけですが、その神を(信仰を)求めないではいられない「心」の分析がテーマのようです。
この芝居においても、あるものは経営する工場がにっちもさっちも行かなくなってこの教団に参加していますし、あるものは現実の他者と繋がることができず唯テレビに向かって喋りかけるだけの生活から、教団に参加することで(教団内という限界はありますが)他者との交流を細々とではありますがもてるようになっている。いずれの例も、主体性の一部を神に預ける(秘密にする)ことで、何とか平衡を保っているのです。
だが、それがかりそめの平衡でしかないことを最もよく知っているのが、他ならぬ教祖なのです。教祖はそういう依存的な段階から、自己そのものが神になる(全的な主体性を回復する)という道を示しますが、信者は拒否します。実はそれは当然なのであって、神とは頼るべき存在、自分では処理しきれない責任の一端を預かってくれる存在だからこそ、神なのですから。
神は救わないと明言した教祖は、その結果教団幹部の女性信者によって殺害される。そして彼女は、信者が集まっていた教団本部の一室にガスを撒き、自らもそのガスで自殺するのだが、そのとき彼女は、自分が殺害したはずの教祖が目の前にいるのに気づく……
という風に、非常に台詞が抽象的で難解なストーリーが展開されます。一度見たくらいでは多分半分も理解できません。最低2回は見なければ了解できないのではないか。でもそれでいいのだと思います。むしろこれくらい濃くなければ小劇場の存在価値がありません。小劇場は出来合いのセンチメントを蒸し返すだけの大衆演劇ではないのですから。
その意味で、本劇は確かに難解ではありますが、何が何だか判らないところは判らないなりに、しかし観客に訴えてくる力はきわめて強く、私は最初から最後までほとんど身動きもせずに見入ってしまいました。で、実はこっちの方が大事なんであって、上記のような解釈はむしろどうでもよいのです。かかる結果としての訴求力、吸引力、迫力こそ、この芝居の最大の魅力なんですよね。
脚本も時系列的に一直線ではなく、360度客席という劇場に見合った構成になっていると思いました。いやその辺は素人の印象ですが。
ともあれ、イワハシ作品としても異色の一篇ではないでしょうか。オリゴ党といえばサブカルネタが必須なんですが、今回はそれが封印されており、その点でも異色な感じを持ちました。大変面白かったです。
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