チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

サンカと三角寛

2005年10月21日 20時47分49秒 | 読書
礫川全次『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎(平凡社新書、05)

 ある時期の柳田國男は、いわゆる「山人」を「神武東征以前から住んでいた蛮民」が「明治の今日」まで生き残り、「山中を漂泊して採取をもって生を営んでいる」先住民として認識していたが、これを「サンカ」と同一視した。

 一方で「サンカ」近代発生説があり、江戸末期~明治にかけての混乱期に困窮した百姓らが山中に逃れたその末裔であるとした(もっともかれらの大部分は江戸等の都市に流入し近代資本主義勃興の礎石となった)。

 文献中で一番古い「サンカ」の例はというと、1855年広島藩加茂郡役所の触書中にあり、それは「無宿者」「無籍者」を指示する言葉だった。
 明治になり警察と新聞メディアによって、広島の地方表現であった「サンカ」は全国区となり、籍の有無に関わらず漂泊生活をする多種多様な人々が含まれる可能性が出てき、やがて「無籍者」=「犯罪者」というイメージが強調されるに及び、蔑称となった。

 このような過程で、「箕直し」や「ポン」「オゲ」「カハラコジキ」などが「サンカ」という言葉で括られ、その一方言であるような仮象を生んだが、事実は列記したのと同格の一方言が格上げされたものに他ならない。

 このようにして「サンカ」とは実は実体のない「各種の漂泊民の集合」でしかない可能性が指摘される。それが証拠に、「サンカ」と自ら名乗るサンカは存在しない。

 ではいつ頃、誰が、日本の山中に隠れ住む民族といった実体のないイメージをもってサンカを捏造したのか?

 サンカ小説等で流行作家となり、サンカたちの代理人(実際は北関東の一部の漂泊民と関係を築いただけ)として活動した三角寛が、「ひとのみち」教団の有力者であったことはほとんど知られていない。その事実に注目した著者は、三角のえがくサンカ社会が、「ひとのみち」教団の理念(核家族における夫婦の平等)をある意味実現したものであることに気づく。

 では三角は、信奉するところの、官憲によって解体されてしまった「ひとのみち」教団の理念(ユートピア)を、いわば机上において再現しようとしたのか?
 著者はそうではないと考える。もっと凄まじいことを考える。

 (三角は)「ひとのみち」解体後、サンカの定住という戦時政策に協力するかにみせながら、一方で、「ひとのみち」の教義や組織論を使って、サンカ社会を再編成し、そこに「サンカ文化」を形成してゆく(217p)

 ――つまり日本官憲に解体された「ひとのみち」を、ひそかに、そして実にぬけぬけと、日本山中に「現実に」そのユートピア実現を目論んだのではないかと想像しているのだ。
 なんとわくわくさせられる仮説ではありませんか!

 以上、まことに興味深い論考なのだったが、一方で「サンカ」が仮構であるとし、他方で実在として捉えているのは、「サンカ」のシニフィエが前者と後者では異なっているのだと思うが、その辺の説明がいまいち明快ではないように感じた。その意味では「中間報告」的著作であり、著者の「サンカ論」の更なる進展を期待したい。
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