チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

24時間の情事

2008年10月26日 18時22分33秒 | 映画
アラン・レネ『24時間の情事』(59)

 これは結局、「広島」は主題ではない、というかマクラでしかなんですね。つまり反戦映画の類ではないということです。たまたま広島で出遭った仏人の女優と日本人の建築家のアヴァンチュール(死語)。女優が帰国の飛行機に乗るまでの24時間、建築家のめめしく見苦しい恋着のストーキング(と私は思った)に対峙するうち、次第に女優の(ヌベールでの)過去が明らかになっていく。……

 冒頭、「私は広島をすべて見た」という女優に対して、男が「きみは何も見ていない」と返す有名なセリフは、つまるところいろいろ聞き出している当の男が、ついに女優に就いて何も理解していないことに対応しているわけです。すなわち「僕はヌベール(での事)がすべてわかった」「あなたは何もわかっていない」と。

 ラストの、女優が男を「ヒロシマ」と呼び、男が女優を「ヌベール」と呼ぶシーンがすべてを集約していて、まさにヒロシマはヌベール(の出来事)を理解しないし、ヌベールはヒロシマ(の出来事)を理解しない。マルグリット・デュラスの脚本は、畢竟人は他者を理解しない、分かり合えることはない、それは単に幻想、思い込みに過ぎないという断絶、共有の不能を表現しているのでしょうか。
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