チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

「歌稿」拝受

2023年02月20日 22時25分04秒 | 日記
先日村上知子さんより、村上芳雄『歌稿 昭和二十六年以降 村上芳雄遺歌集』を頂戴しました。ありがとうございました。

村上芳雄は知子さんのお祖父さん――とはつまりいうまでもなく眉村さんのお父さんですね。
昭和49年の刊行で、眉村さんの「あとがき」によれば、実際は戦前から投稿していた歌誌「国民文学」に掲載された分だけでも相当の数があり、完璧な遺歌集をのぞめばいつまで経っても刊行できないので、昭和二十六年以降分は本人の芳雄が「歌稿」と題して一綴りに綴った草稿が残っていたのを幸い、7回忌をしおにそのまま歌集として上梓したとあります。B6版394頁。編集人・小山俊平。印刷製本・真生印刷。

先週頂戴していたのですが、雑事にかまけもらいっぱなしになってい気にかかっていたところ、ようやく机の前に座ることができ開いてみた次第。
年代順に並べられていまして、冒頭どアタマの歌がこっちで、一読ズドンと撃ち抜かれました。

  一年に一二度おくるわが歌稿生きておりてふ報せの如く

うーむ。
「生きておりてふ報せの如く」は、扉ページにも按配されており、芳雄が一綴りにした主題でありそうです。
「おくる」とは、「国民文学」への投稿のことでしょうか。
一読、これ、現代ならブログやな、と思いました。
というのは、近年、独居住まいで孤独死し、発見が遅れた話を(「宇宙気流」等で)つづけざまに目にし、そのとき、ブログやSNSの発信が滞ったら気をつけるべし、との意見があったのを思い出したからです。
と同時に思い出したことがあって、私が巡回する掲示板の一つが(ここですが)
去年の11月から書き込みがなく心配していたところ、やはり心配された方がいたようで、12月と2月に、別々の方が書き込みをされていました。
それでホッとしたのでした。
いやいや、掲示板に本人以外が書き込んでも安否の確認にはならんだろうと思われるかもしれませんが、さにあらず、当の掲示板は管理人が許可してはじめて画面に反映される形式で、投稿が載ったということは、御本人がその文面を確認したということを意味しており、それゆえ、ホッと安心することができたわけです(数日前に御本人が数か月ぶりに投稿されていて安心は確信となりました)。
しかし、それでも昭和26年頃は、いまよりはるかに通信手段は遅れていたわけで、現在ならば一か月も空白期間があれば、心配する人も出、確認の手段(たとえば上記のように掲示板への投稿)が行使されもしますが、当時はそんな即時性はのぞむべくもなく、「一年に一二度」がせいぜいだったということですねえ・・

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