チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

中間子(天堂編)

2006年11月15日 22時07分07秒 | 読書
 京フェスで購入した「中間子」天堂編(京大SF研、06)はラファティ特集号。初期の短篇を主に4篇が訳出されている(すべて坂名有司訳)。

「忌まわしい朝」は、民話の「三つの願い事」モチーフの変形譚。
 主人公は、毎朝を習慣に埋没した同じようなそれではなく、毎回違うものにしたいと考える。今朝は今朝とていつもと違う髭のそり方で、いつもと違うジュースを所望し、妻の左鎖骨にキスして出かける。で、車で事故を起こし通行人を轢き殺してしまう。場と空気を認識しない反抗的な態度が警官を硬化させ、主人公はにっちもさっちもいかなくなり、やけくそで出かける前のベッドの中に戻れますように、と念じる。と、ベッドに戻っている。
 そこで、さっき(?)とは違う儀式をして出発するも、エレベーターガールと悶着を起こし過って扼殺してしまい……また念ずればベッドの中。
 三度目の出発。エレベーターガールは喉が痛そうで声がしゃがれている。駐車場の車は(昨晩から乗ってない筈なのに)温かい。これはやばいとタクシーで出勤するのだが、またもやトラブル。しかし三度目で何となく分かっている主人公はちょっと高を括っている。で、もちろん戻れたのは戻れたのだが……

 ストーリーの型は星新一のショートショートにありそうな話で、星新一なら洒落たブラックユーモアになるだろうところが、そこはラファティである。というかラファティでしかありえない。
 ただ浅倉さんの訳(松崎さんも)がそうであるように、やはりナラティブはトールテール風に(誰かが語っているホラ話風に)訳したほうがラファティらしさが出たのではないか。

「夢路より」は、ごくすっきりとしたホラーで、これはラファティらしくないなあ。それでも結末近くまでは、というか主人公が「現象」を何とか理解しようとしている間は、これからの展開に期待がもてたんだけれども、「キミは死んだんだ」と叫んだ段階でホラーに変質してしまった。この結末はラファティらしくないなあ。デーモン・ナイトに改変されたのかも(^^;

「マクゴニガルムシ」は、本特集中とりわけラファティらしさが横溢したユーモア小説というか笑い話! 背景の設定は「脳波」とか「毒ガス帯」と同じだが、ラファティにかかると全然シリアスにならないのであった。地球最後の男と女(かもしれなかった)ミュシャ・イブン・スクミュエルとセシリア・クラットの顛末は涙なくしては読めません(^^ゞ

「片目のマネシツグミ」、極小宇宙の時間は我々の世界の時間よりも早く流れる。「ぼくらの8千年は、かれら(瞬間的永世国家)の2秒半とまったく等しくなる」はラファティの勘違い。正しくは「ぼくらの2秒半が、かれらの8千年と等しい」のだけどね。
 かくして極小宇宙をライフルにつめて主人公は木の枝のマネシツグミに照準を合わす。撃てば2秒半か3秒でマネシツグミを撃ち落とす。と同時にミクロ世界も潰れてしまう。しかし2秒半が8千年と等しいとしたら……
 神話的主人公が活躍する本篇もまた、ラファティらしさに溢れた快作。

 さて、特集作品は以上だが、それ以外にもう1篇、テッド・チャン「予定調和」が掲載されている(鳴庭真人訳)。これも面白かった。
 負のタイムディレイ機能を備えた「予言機」が図らずも明らかにしたのは、「自由意志は存在しない」、すべては「予め決定している」のだということ。この文章の筆者は警告するのだが、いくら警告したってそれはどうしようもない。ではなぜ警告するのか、といえば……
 ラストの一行が皮肉で笑える。

 ということで概して翻訳は生硬だが、大学SF研機関誌でこれだけのレベルを達成できていれば充分だろう。すばらしい。
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