『母のいる場所 シルバーヴィラ向山物語』
久田 恵
1月に近くに住む義父が脳梗塞で入院。退院したものの要介護4になりました。いつかはこんな日が来るとわかっていながら、ずっと目をそむけていた問題に直面し、正直とまどうことばかりです。
まだ独身のころ、祖母が当時のいわゆる痴呆症になり、短い期間でしたが母と介護をしたことがあります。そのころはもちろん介護保険もなく、何もかも母とふたり手探りで悪戦苦闘の日々でした。
そのとき、老人介護の本を何冊か読みましたが、どれも老人施設の悲惨な状況を書いたものばかりでした。今回も、介護サービスのことを知りたくて図書館で何冊か本を借りましたが、介護の現場の悲惨なレポートで、読むのもつらくなるようなものばかり・・・。
その中で、この『母のいる場所 シルバーヴィラ向山物語』は、父親と一緒に母親の介護をし続けてきた作者が、自分の心の葛藤や、母親が入居した有料老人ホームの個性的な入居者のことなどが温かい目で書かれていて、年をとるということ、自分の生き方、死に方まであれこれ考えさせられました。
作者の母親は脳血栓で倒れ、リハビリで歩けるようになったこともあるものの、年とともにだんだん寝たきりという状態になってしまわれたのでした。シングルマザーだった作者と、会社人間だった父親との10年にわたる在宅介護は、いろんな問題を抱え、けっしてスムーズだったわけではありません。父親が高齢になったことや、作者自身仕事と介護に追われる日々に限界を感じて、やむにやまれず母親を老人ホームに入居させる決心をされたのでした。
そこは、恋愛OK、お酒も外泊も自由の「高齢者専用長期滞在ホテル」。入居者のことを一番に考えてる経営者にヘルパーさんたち。まだ介護保険が導入される前の話ですが、こんな素敵な老人ホームがあったんだ、と驚きました。こんなところだったら年をとってひとりぼっちになっても安心だろうなあ、と思わずにはいられません。
入居者たちもそれぞれに個性的。もちろん「お分かりになる方」ばかりではなく、「お分かりにならない方」もロビーを徘徊されています。それぞれに、いろんな人生をくぐり抜けてきたお年寄りばかり。けれど、どんなお年寄りに対しても各自の自由を尊重し、お客様として接する経営者やヘルパーさんたちの態度に、ああプロなんだなあと感心させられました。
そんなヘルパーさんたちや、いろいろな入居者たちとの交流を描く中、まだ母親が動くことのできたころ、ひもを集めて自殺をはかろうとしたことがある、と書かれたところは、読んでショックを受けました。妻として母親として何一つできない自分、それどころか家族に世話されて、娘の人生さえ自分のせいで狂わそうとしている、そんな状況で生きることは、母親として耐えがたいことだったのでしょう。頭はしっかりしているのに、身体は自由に動かない、そんな状態は本人には地獄に違いないのです。
しかし、作者にとっても、父親にとっても、彼女は生きる支えでした。ふたりの介護からは、(それぞれにやり方は違って衝突することがあっても)彼女に対する愛情が滲み出ています。愛情をもって介護できるなんて、本当に羨ましいことです。いや、実際、愛情とか尊敬とか、そういうものが根底になければ、毎日毎日とてもできることではありません。けれど、実際は介護する方の心が疲れて、すりへって、心の余裕をなくしてしまうのです。
作者の場合、この老人ホームに母親を入居させたことによって、このホームに関わる人々にどれだけ救われたことでしょう。それはヘルパーさんたちによってだけではなく、様様な人生経験を経たお年寄りに寄り添うことで、作者もまた彼らに支えられてきたのでしょう。
母親が亡くなったとき、作者はこう書いています。
・・・母の死に方は私の死に方でもあったのだ。老いることも、死ぬことも生半可ではない。どれほど困難なことなのか。家族がいようといまいと、かたわらに誰がいようといまいと、結局は孤独な一人の戦いで、誰もがそれを自力で乗り切らねばならない。
だから、「人が死ぬということは、こういうことなのよ」と母はこの日、私にしかと教えてくれたのだ。
誰もが避けることのできない老い、そして死。それが個人的な問題だけではなく、超高齢化社会に突入していく中で、社会的な問題になっていこうとしています。
どんなふうに老いるのか、老いたらどうなるのか、そしてどんなふうに死んでいくのか、せめてまだ自分の頭で考えられるうちに、考えておかなければ、と思います。
私にも老いは年々重くのしかかってきてます。
双方の親が年を取ってきて現実にいろいろ問題が起きてきているのもあるし、自分自身も怖いです。
人間って年をとったら少しは悟って楽になるのかなと若い頃思っていたけれど、そんなことないのですね・・・(春は鬱なもんで暗くてすみません)
最近、私自身が子どもに心配されたり、いたわれたりすることがふえましたものね
元気だと思っていても、まだ若いつもりでいても、突然脳梗塞が起きることもあるし、自分だって安心していられません。
せめて、家族に負担のかからない、安心できる老後を送れる社会になってほしいものです(タメ息)。
去年私の母が認知症になった時、声をかけていただき、
お互い、いつ何が起きるかわからないと思っていたら
現実は過酷・・あっという間に大変なことになってしまい案じています。
お義父様、要介護4は本当に厳しいですね。
くっちゃ寝さん、くれぐれもご無理のありませんように。
このように恵まれたホームへ入居することが出来ない環境の人の方が多く、だから介護される側も、する側も修羅のようになってしまうのでしょうね。
本当は優しい気持を持っているはずなのに、介護する側の心が壊れてしまう・・どうしようもない現実もあります。
そして老いへの道は、必ず自分も近い将来通る訳で。。
子供達に介護の苦労をさせたくない・・長生きしたくないと切実に思います。
実際義父の世話をしているのは義母で、私はその義母のサポートにすぎません。
その義母が最近疲れ気味で、私としてもケアマネさんと相談し、ヘルパーさんを増やすとか考えているのですが、どうも義母はそれがいやなようなのです。
私ばかりが勝手に決めるわけにもいかず・・・、そのあたり難しいです。
ヘルパーさんが不足気味の現状にも不安を感じます。
私たちの老後はどうなっているのでしょうねえ。
ロボットに介護されるのかなあ。