『源氏物語』を読んでて思うのは、
各巻の題名が趣深くていいなあ、ということです。
この「空蝉」という言葉もそう。
蝉のぬけがらという意味がありますが、
季節感があるし、いかにもはかなげで、
日本語の美しさというものを感じさせますね
話としては前の<帚木>の続きです。
伊予の介の後妻のつれない態度に、ひどい女だと恨むもののあきらめきれず、
源氏の君は小君にもう一度機会をつくってくれるよう頼みます。
その女の方はというと、源氏の君からの便りが途絶え、
怒ってあきらめてしまわれたのなら悲しいけれど、
こんな密か事は終わりにしなければ、と思っています。
しかし本心は、自分の仕向けたこととはいえ、
このまま忘れられてしまうなんて辛く悲しい・・・。
揺れ動く女心ですね。
ある夜、とうとう源氏の君は小君の手引きで再び女の下へ訪れます。
その夜は伊予の介の娘(つまり女にとって継娘)が来ていました。
なんと、源氏の君はふたりが碁を打っているところをこっそり覗くんです。
暑い夏の夜、着物もはだけてくつろいでいるところをですよ!
今のご時世だったら犯罪になりかねないこの覗き見も、
この時代はけっこう多かったようなんですね。
高貴な女性は顔を見られるのも恥かしかった時代。
見てはいけない、と思うと余計に男心をそそるのでしょう。
『源氏物語』の中では覗き見のシーンがたくさん出てきます。
(顔も性格もわからないのに、噂だけを信じてその女性の下へ通う、
というのも今では考えられない話ですが)
この時代、建物の構造から考えても、女性の姿が全く見れない
なんてことはないと思うのです。
あちこち開けっ放しで、風で御簾が揺れたら中が丸見えだし。
これって、女性のほうもわかってて、
ひょっとしたら見られることも意識してたのではないか、とすら思います。
(そしてチラ見した人が、誰それの姫は美しいと言いふらすとか)
覗き見のあと、夜も更けみんなが寝静まったころ、
源氏の君は女の閨に忍び込みます。
ところが女の方は気配に気づき、かけていた薄衣だけを残して
逃げ出してしまいます。
実はこのとき、例の継娘が一緒に寝てたんですね。
とばっちりを受けたのはこの継娘。
源氏の君はてっきりあのときの女だとカン違いして(!?)
あれ、この前とはなんか違うなあ~と思いつつ、
その娘と夜を過ごしてしまうんですよね。
あとで気がつき、まっ、しゃーないかってことで、
その継娘には適当にうまいこと言って取り繕うんです。
当時真っ暗闇とはいえ、なんといいかげんな!
覗き見したとき、ふたりの体格が違うことはわかっていたでしょうに。
それでも、またあの女に逃げられた、と未練たっぷり。
残されていた女の薄衣を持ち帰り、空蝉の歌を詠みます。
それでこの女のことを「空蝉」と呼ぶようになったわけですね。
もしもこの夜、源氏の君の想いに応えていたら、
身分も低い平凡な彼女が、彼にとってこれほど
忘れがたい女性とはなっていなかったことでしょう。
拒み続けたからこそ、思い出に残る女性となったわけですね。
『源氏物語』に出てくる女性の中で、
どの女性が好きか、自分はどのタイプだと思うか、
ということがよく話題になりますが、
私が一番親近感を抱いたのがこの空蝉です。
平凡な人妻が、雲の上の存在のような源氏の君と
一夜を過ごしたんですよ~
忘れられないけど、このままだと辛く惨めな思いをするのは
目に見えてる。
それではプライドが許さない。
辛いけどもうこんなことはすまい、と頑なに拒む空蝉。
そう決心しながらも、やはり心は思い乱れるわけです。
空蝉視点で見ると、この巻は揺れる女心を描いた
せつない物語となっています。
しかし、一方で源氏の君にしてみれば、
せっかく忍んで逢い行ったのに思い人には逃げられ、
カン違いして他の女性と一晩過ごしてしまったという
なんともさまにならない失敗談。
この巻は、意外にそういうドタバタの喜劇的要素もあるんですね。
ふたりのとばっちりを受けてかわいそうなのが空蝉の弟の小君。
姉の空蝉からは源氏の君の手引きなんかして、と叱られ、
源氏の君からは、これだから子どもは役に立たない、と八つ当たりされ、
良かれと思ってしたことなのにね
そうそう、もうひとりかわいそうな子(?)がいました。
カン違いで源氏の君と一晩過ごした継娘、軒端の荻。
後朝の文ももらえず、それっきり。
空蝉と対照的に軽そうな女性として描かれてはいましたが、
文も出さないとは、女性にまめな源氏の君の意外な一面でした。
各巻の題名が趣深くていいなあ、ということです。
この「空蝉」という言葉もそう。
蝉のぬけがらという意味がありますが、
季節感があるし、いかにもはかなげで、
日本語の美しさというものを感じさせますね

話としては前の<帚木>の続きです。
伊予の介の後妻のつれない態度に、ひどい女だと恨むもののあきらめきれず、
源氏の君は小君にもう一度機会をつくってくれるよう頼みます。
その女の方はというと、源氏の君からの便りが途絶え、
怒ってあきらめてしまわれたのなら悲しいけれど、
こんな密か事は終わりにしなければ、と思っています。
しかし本心は、自分の仕向けたこととはいえ、
このまま忘れられてしまうなんて辛く悲しい・・・。
揺れ動く女心ですね。
ある夜、とうとう源氏の君は小君の手引きで再び女の下へ訪れます。
その夜は伊予の介の娘(つまり女にとって継娘)が来ていました。
なんと、源氏の君はふたりが碁を打っているところをこっそり覗くんです。
暑い夏の夜、着物もはだけてくつろいでいるところをですよ!
今のご時世だったら犯罪になりかねないこの覗き見も、
この時代はけっこう多かったようなんですね。
高貴な女性は顔を見られるのも恥かしかった時代。
見てはいけない、と思うと余計に男心をそそるのでしょう。
『源氏物語』の中では覗き見のシーンがたくさん出てきます。
(顔も性格もわからないのに、噂だけを信じてその女性の下へ通う、
というのも今では考えられない話ですが)
この時代、建物の構造から考えても、女性の姿が全く見れない
なんてことはないと思うのです。
あちこち開けっ放しで、風で御簾が揺れたら中が丸見えだし。
これって、女性のほうもわかってて、
ひょっとしたら見られることも意識してたのではないか、とすら思います。
(そしてチラ見した人が、誰それの姫は美しいと言いふらすとか)
覗き見のあと、夜も更けみんなが寝静まったころ、
源氏の君は女の閨に忍び込みます。
ところが女の方は気配に気づき、かけていた薄衣だけを残して
逃げ出してしまいます。
実はこのとき、例の継娘が一緒に寝てたんですね。
とばっちりを受けたのはこの継娘。
源氏の君はてっきりあのときの女だとカン違いして(!?)
あれ、この前とはなんか違うなあ~と思いつつ、
その娘と夜を過ごしてしまうんですよね。
あとで気がつき、まっ、しゃーないかってことで、
その継娘には適当にうまいこと言って取り繕うんです。
当時真っ暗闇とはいえ、なんといいかげんな!

覗き見したとき、ふたりの体格が違うことはわかっていたでしょうに。
それでも、またあの女に逃げられた、と未練たっぷり。
残されていた女の薄衣を持ち帰り、空蝉の歌を詠みます。
それでこの女のことを「空蝉」と呼ぶようになったわけですね。
もしもこの夜、源氏の君の想いに応えていたら、
身分も低い平凡な彼女が、彼にとってこれほど
忘れがたい女性とはなっていなかったことでしょう。
拒み続けたからこそ、思い出に残る女性となったわけですね。
『源氏物語』に出てくる女性の中で、
どの女性が好きか、自分はどのタイプだと思うか、
ということがよく話題になりますが、
私が一番親近感を抱いたのがこの空蝉です。
平凡な人妻が、雲の上の存在のような源氏の君と
一夜を過ごしたんですよ~

忘れられないけど、このままだと辛く惨めな思いをするのは
目に見えてる。
それではプライドが許さない。
辛いけどもうこんなことはすまい、と頑なに拒む空蝉。
そう決心しながらも、やはり心は思い乱れるわけです。
空蝉視点で見ると、この巻は揺れる女心を描いた
せつない物語となっています。
しかし、一方で源氏の君にしてみれば、
せっかく忍んで逢い行ったのに思い人には逃げられ、
カン違いして他の女性と一晩過ごしてしまったという
なんともさまにならない失敗談。
この巻は、意外にそういうドタバタの喜劇的要素もあるんですね。
ふたりのとばっちりを受けてかわいそうなのが空蝉の弟の小君。
姉の空蝉からは源氏の君の手引きなんかして、と叱られ、
源氏の君からは、これだから子どもは役に立たない、と八つ当たりされ、
良かれと思ってしたことなのにね

そうそう、もうひとりかわいそうな子(?)がいました。
カン違いで源氏の君と一晩過ごした継娘、軒端の荻。
後朝の文ももらえず、それっきり。
空蝉と対照的に軽そうな女性として描かれてはいましたが、
文も出さないとは、女性にまめな源氏の君の意外な一面でした。
ちょっと違うと思うのですけど
まあ光源氏はそう思っていたかもしれませんね。
それと、空蝉はすでに年老いた夫がいたわけで、
その夫について彼女も東国の任地に下っていたのが
任期が切れて上京する時に光源氏とばったり、ということみたいです。
もともと空蝉は光源氏に強く惹かれたからこそ、
このままずるずると会ってはいけないと身を引いたわけでしょう。
今をときめく光源氏一行を目にして、過去をせつなく
思い出したとしてもそれは過ぎた日のこと。
今の自分を顧みて涙を流すことはあっても、それは後悔ではないと思いますよ。
というか、肩透しを食らわせた時点でずっと後悔はしていたかも(笑)
昔も今も、女心は複雑ですよね~
空蝉って、光源氏に肩透しを食らわせた女性で別のじっちゃんと結婚して、久しぶりに逢坂の関で光源氏とばったり出会って懐かしい気持ちの歌を交換した時に、かつて肩透しを食らわせちゃったことを後悔する気持ちは起きなかったのでしょうかね。