暑い夏の間中断していた片付けを、ぼちぼち再開しています。
というのも、去年まで住んでいた事務所兼住宅の建物の、外壁塗装や修理など、
ちょっと大がかりな工事をすることになり、その際にまだそのままになっている
私たちの荷物を義母宅に運び、ついでにいらない物を処分してすっきりしよう!
という計画なのですが・・・
これがもう、思った以上に大変で(泣)
もともと義父母が40年以上前に建てた建物です。
ほこりをかぶった古い物が、まだあっちにもこっちにもそのまま残ってるんですよね
そこに、25年間住んだ私たち家族のものがほとんど置いてあるわけです。
・・・どんな状態か想像つくと思います
去年同居するにあたって、普段の生活に必要最低限のものは運びました。
しかし、服は季節ごとに取りに行き、洗濯してはまた片付けに行く。
あれがない、これがいる、と両方の家を行ったり来たり。
このままではあまりに不便だし、もう少し居心地のいいようにしようと、
とりあえず私の嫁入り箪笥ごと持って来ることにしました。
しかし、箪笥に入りきらない服はどうする?
子どもたちのものは置いておくにしても、本は?家族のアルバムは?
今住んでいる義母の家も、同居するときかなり物を処分したとはいえ、
まだまだ物が溢れてます。
義母がいる間は、やはりそう簡単には捨てられない。
そこにまた私たちの物を持って来ようとしているわけだから、まるでパズルを
当てはめるようにあっちのものをこっちへ、ここのものをあっちへ・・・
とそう簡単にいくわけもなく。
もう、どないせえっちゅうねん
結局、物は捨てきれず、片付けられず、ただ途方にくれるばかり。トホホ・・・
最近あちこちで話題になっている親の家の片付け(略して親家片「おやかた」と
呼ぶんだそうです)。
数年前からこの問題に頭を抱えてきた私ですが、それほど多くの人がこの問題に直面し、
ひとつの社会現象として取り上げられるほどになっているとは驚きでした。
とにかく物を捨てたがらない親たち。
家の中はほとんど使うことのない物であふれ、どこに何があるかもわからず、
必要なものを探しても出てこない。
しかも、掃除も片付けもしてないからほこりだらけで不衛生。
こんな親の家を(つまりは親の生活の実態を)目の当たりにしてショックを受け、
親の老いを実感し、戸惑う子どもたち。
こういうときって、たいてい親のどちらかが亡くなって、相続とか形見分けとかで
これまで見て見ぬふりをしてきた親の家に深く関わらねばならない状況に陥ったときです。
そのとき残された方の親は、たいてい物を片付ける、処分するということが
できなくなってしまっている。
気力も体力も、そして何より片付けるという能力が衰えてしまってるんですね。
そのくせ、こちらが代わりにやろうとすると意固地になって物に執着し、
物をためこむことがいかに無駄かを説いても聞き入れようとしない。
せっかく片付けて処分しようとしたものが、また元に戻ってたときの苛立ち。
そんなことが延々続くのです。
こちらも時間のやりくりしてなんとか片付けようとしているのに、
結局時間の無駄のように思えてだんだん腹が立ってくる。
で、しまいには親と子の不毛なバトル勃発・・・
まあ、こんな感じではないでしょうか。
子どもたちには自分が経験したこんな苦労はさせたくない、元気な今のうちに
いらないもの、遺して困るものは処分しておこうと、悩みながら少しずつ仕分けしています。
先日は、出産のお祝いやおみやげでいただいたぬいぐるみ、娘たちが初めて履いた靴、
小さいときに使ってたリュックなどを写真に撮って処分しました。
その次に私の古い日記や独身時代の洋服(まだ置いてあります・汗)。
何も考えずにポイポイ捨てられたら気が楽なんだけど、独身時代に習ってた
油絵の道具などは、なかなか捨てきれるものではありません。
日記は捨てられても、描いた絵は下手でも未練が残る・・・
こんなものこそ、遺された家族は処分に困るだろうに。
そして、ふと考えてしまうのです。
働いて、欲しいものを手に入れて、でもいつかは捨てることになって。
結局、人生で必要なものって何なんだろうって。
最後に残るものは、自分の身ひとつ。
この世を去るときは、楽しい思い出がたくさんあったらそれで充分なのかも。
というのも、去年まで住んでいた事務所兼住宅の建物の、外壁塗装や修理など、
ちょっと大がかりな工事をすることになり、その際にまだそのままになっている
私たちの荷物を義母宅に運び、ついでにいらない物を処分してすっきりしよう!
という計画なのですが・・・
これがもう、思った以上に大変で(泣)
もともと義父母が40年以上前に建てた建物です。
ほこりをかぶった古い物が、まだあっちにもこっちにもそのまま残ってるんですよね
そこに、25年間住んだ私たち家族のものがほとんど置いてあるわけです。
・・・どんな状態か想像つくと思います
去年同居するにあたって、普段の生活に必要最低限のものは運びました。
しかし、服は季節ごとに取りに行き、洗濯してはまた片付けに行く。
あれがない、これがいる、と両方の家を行ったり来たり。
このままではあまりに不便だし、もう少し居心地のいいようにしようと、
とりあえず私の嫁入り箪笥ごと持って来ることにしました。
しかし、箪笥に入りきらない服はどうする?
子どもたちのものは置いておくにしても、本は?家族のアルバムは?
今住んでいる義母の家も、同居するときかなり物を処分したとはいえ、
まだまだ物が溢れてます。
義母がいる間は、やはりそう簡単には捨てられない。
そこにまた私たちの物を持って来ようとしているわけだから、まるでパズルを
当てはめるようにあっちのものをこっちへ、ここのものをあっちへ・・・
とそう簡単にいくわけもなく。
もう、どないせえっちゅうねん
結局、物は捨てきれず、片付けられず、ただ途方にくれるばかり。トホホ・・・
最近あちこちで話題になっている親の家の片付け(略して親家片「おやかた」と
呼ぶんだそうです)。
数年前からこの問題に頭を抱えてきた私ですが、それほど多くの人がこの問題に直面し、
ひとつの社会現象として取り上げられるほどになっているとは驚きでした。
とにかく物を捨てたがらない親たち。
家の中はほとんど使うことのない物であふれ、どこに何があるかもわからず、
必要なものを探しても出てこない。
しかも、掃除も片付けもしてないからほこりだらけで不衛生。
こんな親の家を(つまりは親の生活の実態を)目の当たりにしてショックを受け、
親の老いを実感し、戸惑う子どもたち。
こういうときって、たいてい親のどちらかが亡くなって、相続とか形見分けとかで
これまで見て見ぬふりをしてきた親の家に深く関わらねばならない状況に陥ったときです。
そのとき残された方の親は、たいてい物を片付ける、処分するということが
できなくなってしまっている。
気力も体力も、そして何より片付けるという能力が衰えてしまってるんですね。
そのくせ、こちらが代わりにやろうとすると意固地になって物に執着し、
物をためこむことがいかに無駄かを説いても聞き入れようとしない。
せっかく片付けて処分しようとしたものが、また元に戻ってたときの苛立ち。
そんなことが延々続くのです。
こちらも時間のやりくりしてなんとか片付けようとしているのに、
結局時間の無駄のように思えてだんだん腹が立ってくる。
で、しまいには親と子の不毛なバトル勃発・・・
まあ、こんな感じではないでしょうか。
子どもたちには自分が経験したこんな苦労はさせたくない、元気な今のうちに
いらないもの、遺して困るものは処分しておこうと、悩みながら少しずつ仕分けしています。
先日は、出産のお祝いやおみやげでいただいたぬいぐるみ、娘たちが初めて履いた靴、
小さいときに使ってたリュックなどを写真に撮って処分しました。
その次に私の古い日記や独身時代の洋服(まだ置いてあります・汗)。
何も考えずにポイポイ捨てられたら気が楽なんだけど、独身時代に習ってた
油絵の道具などは、なかなか捨てきれるものではありません。
日記は捨てられても、描いた絵は下手でも未練が残る・・・
こんなものこそ、遺された家族は処分に困るだろうに。
そして、ふと考えてしまうのです。
働いて、欲しいものを手に入れて、でもいつかは捨てることになって。
結局、人生で必要なものって何なんだろうって。
最後に残るものは、自分の身ひとつ。
この世を去るときは、楽しい思い出がたくさんあったらそれで充分なのかも。