ニュースで、四条河原町阪急がこの秋閉店になると言っていました。
学生時代とその後何年かを京都で過ごした私は、
驚きとともに一抹の淋しさを感じています。
携帯電話もなかったあの頃、友達との待ち合わせ場所というと
阪急デパートの前でした。
一番目立つわかりやすい場所、ということで。
週末の夕方や休日は、待ち合わせの人でごった返していましたよね。
で、「何か、食べよか~」ということになると、
そのままエスカレーターに乗って上の飲食店街へ。
当時めずらしいクレープの専門店もありました。
衣料品はブランド物中心で、とても一人暮らしの私には手が出なかったけれど、
バーゲンで買ったレモンイエローのVネックのセーター、
私にはめずらしく華やかな色で今でも覚えています。
あの頃の私は、髪はソバージュ、濃い口紅をきりっとひいて、
それなりにがんばってっていたのでしょう。
(今では考えられませんけど・笑)
四条河原町の角には阪急と高島屋があって、
それはずーっと当たり前のことだと思っていました。
でも、時代の流れとともに変わっていくことなのですね。
そういえば、反対側にあったカネボウの店舗も
いつのまにか違うお店に変わっていましたっけ。
本好きの長女が小学生のとき、「ここに住みたい」
と言ってた丸善河原町店も何年か前に無くなりました。
行く度に変わっていく京都の街。
それでも、まさか阪急デパートが無くなってしまうとは。
「ある」のが当たり前だと思っていたものが、
少しずつ、あるいはある日突然失われていく。
そんなふうに思えてしまうのも、自分が年をとったせいなのでしょう。
懐かしい、と感じるものがだんだんふえていくなあ・・・
学生時代とその後何年かを京都で過ごした私は、
驚きとともに一抹の淋しさを感じています。
携帯電話もなかったあの頃、友達との待ち合わせ場所というと
阪急デパートの前でした。
一番目立つわかりやすい場所、ということで。
週末の夕方や休日は、待ち合わせの人でごった返していましたよね。
で、「何か、食べよか~」ということになると、
そのままエスカレーターに乗って上の飲食店街へ。
当時めずらしいクレープの専門店もありました。
衣料品はブランド物中心で、とても一人暮らしの私には手が出なかったけれど、
バーゲンで買ったレモンイエローのVネックのセーター、
私にはめずらしく華やかな色で今でも覚えています。
あの頃の私は、髪はソバージュ、濃い口紅をきりっとひいて、
それなりにがんばってっていたのでしょう。
(今では考えられませんけど・笑)
四条河原町の角には阪急と高島屋があって、
それはずーっと当たり前のことだと思っていました。
でも、時代の流れとともに変わっていくことなのですね。
そういえば、反対側にあったカネボウの店舗も
いつのまにか違うお店に変わっていましたっけ。
本好きの長女が小学生のとき、「ここに住みたい」
と言ってた丸善河原町店も何年か前に無くなりました。
行く度に変わっていく京都の街。
それでも、まさか阪急デパートが無くなってしまうとは。
「ある」のが当たり前だと思っていたものが、
少しずつ、あるいはある日突然失われていく。
そんなふうに思えてしまうのも、自分が年をとったせいなのでしょう。
懐かしい、と感じるものがだんだんふえていくなあ・・・