自分の成育史を肯定的に受け容れているかどうか。自己肯定は、こころの安定と健やかな感情生活に欠かせない要素ですが、難しいからこそ大事な要素になるわけで、人生体験を重ね一生かけて完成させるような、努力目標といえるかもしれません。
最初は成育史に対する否定感の存在すら気付かないこともあります。
私の場合もまったく存在に気付かないところからはじまって、意識に上ったかと思うと、慌てて押し込めたり、紆余曲折の長い時間を経て、漸くここまできました。
今の状況を一言でいうなら、“明るく否定している”というところでしょうか。部分的にあまり好きになれない自分の思考と感情の傾向を、“あの環境だもの、こうなるのはあたりまえ”と、屈託なく成育史のせいにできるようになりました。(“せいにする”といっても自己防衛の暗い責任転嫁とは、天と地ほど違う別物ですので、お間違えなく!)
事実は事実として認める。そして感情のレヴェルで、成育史を明るく肯定的に認められること、これが何より重要なのでしょう。
8月1日。実家では、年中行事の中でもとりわけ重要なお墓参りの日ですが、奇しくも教会のお掃除当番にあたりました。祖先と成育史に想いを致しながら、心してお花を活けてこようと思います。
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ありがとうございます
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私の場合もまったく存在に気付かないところからはじまって、意識に上ったかと思うと、慌てて押し込めたり、紆余曲折の長い時間を経て、漸くここまできました。
今の状況を一言でいうなら、“明るく否定している”というところでしょうか。部分的にあまり好きになれない自分の思考と感情の傾向を、“あの環境だもの、こうなるのはあたりまえ”と、屈託なく成育史のせいにできるようになりました。(“せいにする”といっても自己防衛の暗い責任転嫁とは、天と地ほど違う別物ですので、お間違えなく!)
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