こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

長~い勘違いの後

2014年12月23日 | 
世の中の基準に照らして、世間でよしとされている傾向と、
自分の傾向が一致するほど適応する困難は小さくてすむことでしょう。
生まれた時代の基準に一致するかしないかは時の運のようなもので、
自分ではどうすることもできない面があります。

でも問題は、一致するかしないかが人生を決めるわけではちっともなくて、
自分が自分の個性をどのように受けとめるか、それだけです。
自己否定で生きるのか、自己肯定で生きるのか。それだけです。

知らず知らず世間の基準に合わせようと(それが適応することであると勘違いして)、
自分を変えたいと思考していた時期が長かったように思います。
そんなつもりはなかったけれど、そういうことだったと、
勘違いして長きを過ごした後、ようやく思い至りました。

大事なコトは世間の基準から外れている(と自分で感じる)個性を受け容れること。
それは云ってしまえば、運命を受け容れるに等しい感じですが、
変えられないことを受け容れる、引き受ける、それを生き抜くことに同意する。
ここがパラドックスであり、人生のおもしろいとこでもあるのですが、
この受容が成ったときに、この世界に適応したことになるのです。

不適応を生きる人生に同意してはじめて適応を生きる土壌が整います。
世間の基準でなく自分が自分の個性を肯定的に捉えて自分の人生に同意するのです。

かなり長い間、私にはどうしても我慢ならない、言葉の限り理屈を並べ立てても、
どうしても嫌悪の感情がおさまらない対象がありました。
我ながらあまりに理不尽なので、それは投影であろうと察しをつけましたが、
あるとき印象的な夢を見ました。夢の中では嫌悪感のかけらもなく理性的に、
微かに友好感さえ漂わせながら交流しているのです。
変えることはできないし、また変えるべきでもない自分の個性。
それを受け容れ、生き始めた頃に見た夢でした。

自分が自分の個性に同意する…一番大事なこと。これができるのは自分だけなんですね。
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