(東京都墨田区堤通・荒川区南千住)
隅田川に架かる橋長169mの下路式(アーチ下桁)・ブレースドリブ(トラスアーチ)・タイド(引張部材)・式アーチ橋である。昭和6年(1931)に完成し、以来千住と向島を結んでいる。
(名古屋鉄道尾西線 愛知県中島郡祖父江町森上 2004年9月26日)
祖父江町の玄関口である森上駅は、明治32年(1899)尾西鉄道の駅として開業したことに始まる。尾西線の主要駅であり、半切妻の駅舎は昭和14年(1939)に建てられたものである。
(東京都墨田区東向島 国指定史跡・名勝)
文化元年(1804)仙台の商人である佐原鞠塢(きくう)が、凡そ2,600坪の旗本多賀氏の屋敷跡を民間の庭園として造成したのが始まりという。昭和13年(1938)東京市に寄贈され、途中第二次世界大戦によって被害を受けながらも現在に至っている。
(名古屋鉄道各務原線 岐阜県各務原市蘇原三柿野町 2005年5月10日)
大正15年(1926)各務原鉄道の終点補給部前駅として開業した三柿野駅は、今も同線主要駅、そして航空自衛隊岐阜基地最寄り駅として機能している。
(東京都墨田区向島)
江戸の中心から見て隅田川の向こうである向島(むこうじま)はかつて寺島と呼ばれた。新編武蔵風土記によると、「蓮花寺の縁起に彼寺は鎌倉の執権武蔵守経時鎌倉郡佐介谷に建立したりしを、息頼助弘長元年ここに引移し自ら中興開山となれり、これ村名の起れる所なり、又法泉寺の伝によれば、此寺は葛西三郎清重が開基にして村内大抵かの寺の境内なりし故この村名あり」とある。昭和7年(1932)東京市向島区(-1947)が設置され、昭和40年(1965)町名が寺島から向島に改められた。
(愛知県刈谷市城町 国登録有形文化財 2003年11月9日)
昭和3年(1928)に築造された、RC造2階建瓦葺、延床面積1,496m2の小学校校舎である。昭和55年(1980)からは刈谷市郷土資料館として活用されている。
(山梨県北巨摩郡高根町清里 2003年8月11日)
標高1,200mの高原に降り立ち、開拓の歴史と営みを学ぶ。かつてバブル時代に高原の原宿と呼ばれたこの地も、その後衰退し各所に遺産を残すが、訪れたこのときは盆の避暑によって俄かバブルを感じさせているようだった。
(名古屋市千種区星が丘元町 2003年3月23日)
名古屋の団地で星に最も近く、輝く星の美しい丘として名付けられた星ヶ丘に久し振りに訪れた。このときは星ヶ丘三越に隣接してオープンした星が丘テラスを訪れ、名古屋の山の手の賑わいを感じた。