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小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

西国七番 岡寺

2018-07-12 | 西国三十三所

西国七番 東光山 龍蓋寺 岡寺

ご本尊 如意輪観世音菩薩
開基  義淵僧正
ご詠歌 露岡寺の庭のこけ さながら瑠璃の光なりけり


明日香の岡の上に建つお寺。
近くには飛鳥寺、甘樫丘、板葺宮跡など古代史好きにはたまらない場所が散在している。
数年前にレンタサイクルで巡ったがどこも素晴らしかった。
この岡寺は草壁皇子が開祖の義淵と共に育てられた別荘だった。
草壁皇子は天智天皇と持統天皇の皇子で27才で亡くならなければ天皇になっただろうとされている。

別荘は仏教の指導者になった義淵に下賜され仏教道場となったのがこの寺のいわれ。
創建以来、1300年あまりの歴史と国宝や重要文化財など多数の宝物がある。
本尊の如意輪観音像は日本で最古の塑像(土で出来た仏像)として知られている。
日本で初の厄除けの寺でもある。
最寄りの駅はきんてつの橿原神宮前。





なだらかな坂道を登っていくと仁王門につく。
そのまま進むと本堂。豊かに線香の煙が流れ出していた。
大師堂は昭和の初めに建立されたそうだ。
平成13年に復興された三重宝塔の軒先には琴がぶらさげられていた。
この寺はシャクナゲの寺といわれるほど季節には美しく咲くらしいがもう終わっていた。
そのかわりに大きな水鉢にダリアが浮かべてある。たくさんの鉢が美しかった。







西国八番 長谷寺

2018-07-05 | 西国三十三所

西国第八番 豊山 長谷寺

ご詠歌  いくたびもまいる心ははつせでら 山も誓いもふかき谷川
ご本尊 十一面観世音菩薩
開基  徳道上人

朱鳥元年(686)に天武天皇の病気平癒を祈って道明上人が「銅板法華説相図」を初瀬山の西の岡に安置したことがはじまりとされている。
その後、神亀四年(727)に徳道上人が聖武天皇の勅願によって十一面観世音菩薩をお祀りした。
徳道上人は観音信仰に厚く西国三十三所霊場を開いた人でこの長谷寺はその根本道場とされている。
さらに天正六年(1588)に日本全国の関係寺院三千寺を有する真言宗豊山派の総本山となった。

11もの顔を持ち右足を少し前にみ出した観音菩薩像はいつでも助けに来て下さる頼もしい観音様だ。
番外の発起院を出ると門前町でお土産屋さんや食堂が賑やかに並んでいる。草餅や三輪そうめんなどにそそられる。
が、まずはお詣りと進んで行くと正面に仁王門が見えてくる。
この仁王門から長い登廊が本堂まで続いている。人生になぞらえて上中下の三つの廊下で構成されている。



399段の屋根付き階段廊下で長谷型灯籠が吊らされている。
廊下の両側は庭園で無数の牡丹が植えられていて長谷寺が花の寺と称される由縁。
何度か牡丹の時期にお詣りしたことがあるがその競い合うような華麗な美しさに見とれてなかなか先へ勧めなかった。
登廊の終わりを右折すると本堂。清水寺のような懸崖作りで大きな舞台になっている。そこから見える新緑は目に痛いほど瑞々しい。秋には映える紅葉の新芽がかわいい。



本堂の奥には勿論十一面観世音菩薩像が安置されている。
しばしお顔に眺め入った。



境内は広い。とても歩ききれるものじゃない。
定家塚、俊成塚、紀貫之の梅などがあり、万葉集にも詠われているこの寺は歴史の深さを感じさせられた。
昭和になって建立されたという五重塔が木の間隠れに美しい。
ちょっとお高いけどここでしか売ってないというお線香を買ってバスにもどった。







西国第五番 葛井寺(ふじいでら)

2018-07-04 | 西国三十三所

西国第五番 葛井寺(ふじいでら)
西国第五番 紫雲山葛井寺
ご詠歌  参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲
ご本尊 十一面千手千顔観世音菩薩


ご本尊は聖武天皇の命を受けて春日仏師親子が手がけた仏像で日本最古の千手観音像で国宝。
奈良時代から1300年以上も幾多の災害にも僧侶や信者たちが力を合わせて守ってきた。
神亀二年に天武天皇の勅願で大伽藍が建立された。
行基を導師として観世音菩薩の開眼法要がなされた。



葛井と書いてふじいと読む。
そう広くない境内だが立派な藤棚が半数を占めている。時期にはどれほどの房が垂れるのだろう。
祈願別の線香があり寝かせて一心にいのれば願いがかなうそうだ。






弘法大師の像もあって思わず懐かしくて合掌。
納経帳はガイドさんがまとめてしてくれるので楽だけどちょっと物足りない。