小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三日目1 51番~49番札所

2016-12-01 | 四国遍路 伊予(愛媛...
三日目1 51番~49番札所

目覚めると暗く重い空。降られるのかなあと心配になる。支度を調えて昨夜のホールでバイキングの朝食をいただく。このホテルはとにかく広く忘れ物などすると取りに戻るのも大変。アーケードのような商店街?がある。昨夜はウインドショッピングのみで何も買わなかった。今治タオルや砥部焼などが気になったが「あったら良いなあ」程度の物は買わないと決意している。でも藍と白の砥部焼には未練が残った。でも、高価。
バスは7時55分に出発した。

51番 熊野山 石手寺(いしてじ)
ご詠歌 西方をよそとは見まじ 安養の寺に詣りて受くる十楽
本尊 薬師如来
寺伝によると神亀5年に聖武天皇の勅願により、伊予の国守・越智玉純が鎮護国家の道場として伽藍を建立したことに始まる。
翌年、行基が開眼した薬師如来を本尊として安置し、安養寺と名付けた。その100年後に大師が訪れ真言宗にし霊場に定めた。




生後3年経っても左手が開かない男の子の手が安養寺の住職の加持によってやっと開いた。開いた左手から小石が転がり落ち、そこで寺名を石手寺に改められた。
境内は広く、仁王門は国宝、三重の塔、鐘楼、本堂、銅鍾はいずれも国指定の重要文化財になっている。ほかにも多くの寺宝がり宝物館もあった。
参道の両側には土産物屋などが並び
またここでは「おやき」(こしあんがたっぷり入った餅を、こんがりと焼き目を付けながら平たくやいたもの)が名物。8時過ぎだったのでまだ焼かれていなくて残念。集合写真を撮って注文を取られた。欲しくなかったが気の毒な気がして申し込んだ。1000円也。






50番 東山 繁多寺(はんたじ)
ご詠歌 よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なけれと望み祈れよ
本尊 薬師如来
松山市を見下ろす淡路山の中腹にあって山門からの展望が素晴らしいらしいがあいにくの降りそうな空では曇っているだけだった。



孝謙天皇の勅願により行基が開基し、孝謙天皇の勅願所となったという。その際行基が坐高三尺の如来像を彫り、後に大師が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称したという。時宗の開祖・一遍上人ゆかりの寺としても知られている。天井画は中国古来の孝子24人の伝承をもとにして、江戸時代に作られた「御伽草子」の挿絵24枚が描かれている。
緑深く紅葉の名所として地元でも人気のスポットだという。


49番 西林山 浄土寺(じょうどじ)
ご詠歌 十悪のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ
本尊 釈迦如来
天平勝宝年間(749年-757年)に孝謙天皇の勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗した。





平安時代中期の天台宗の僧空也が天徳年間(957年-960年)にこの寺に滞在し布教に努めた。本堂は国指定の重要文化財である。
正岡子規の「霜月の空也は骨に生きにける」の句碑が立つ。



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