小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四月二十七日

2019-03-27 | 嘉永六年 癸丑日記

四月二十七日 

今日も雄輔が三浦へ勉強の断りに行く。為之助を連れて行った。
主人は、明日、同僚の松江灯籠堂あたりで集会があるらしい。
しかい、片頬の腫れが引かないので中止の相談だ学校まで行った。
昨日は学校当番だった。
浅之助に頼まれた四つ切りの書画を持って行く。松の詩と菊の画だ。
本人はお役者の某…名前を忘れた。
畑屋敷平七が何も食べないとのこと。
夕方に清吉の妻が来た。遅れて清吉も。
寿司をとり酒を出す。
松魯の詩集を幾冊も持参していた。
主人は大いに酔って帰ってきた。


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