15時に十楽寺に到着。
七番札所 光明山 十楽寺
ご詠歌 人間の八苦を早く離れなば 到らん方は九品十楽
朱塗りで白とのコントラストが美しい竜宮門をくぐった。
弘法大師は当地で阿弥陀如来を感じて阿弥陀如来座像を刻んで本尊とした。
阿弥陀如来が説く極楽には人の持つ八つの苦しみを解き十の光明に輝く楽しみが得られるというもの。
そこで寺の名前が十楽寺とつけられた。
また、本堂左前には眼病の治療に霊験あらたかといわれている「治眼疾救済地蔵尊」が祀られている。
ちょっと不具合があるのでしっかりとお詣りした。
中門(遍照殿)の上は愛染堂として愛染明王が安置されている。
バックには金色に輝く仏像が豪華に並んでいた。
じっくりと中門の上まで見ることができたのも今夜の宿がここの宿坊だったから。
宿坊はすぐ隣。納経所も宿坊の受付にある。
長野の善光寺の宿坊に泊まった時はいかにも宿坊という感じだったけれど、此処は全くホテルのようで事務的。
我々は広い和室だったが洋室もあるらしい。カードキーが一人一人に渡された。
お風呂から出ると出来かけのマメの手入れと湿布の貼りあいっこ。
食事は食堂。かなりの満席。
ここで長野さんと名古屋さん、玉川さんと再会。話が弾んだ。
長野さんは満室だからと大部屋だったのが名古屋さんの部屋がツインだったので変更してもらったとか。
そして、後からやってきた予約なしの玉川さんは大部屋に一人でのお泊まりとなってご機嫌だった。
ロビーで徳島駅へのバスで一緒だったので玉川さんと何度も会うのもご縁かなと話をしていた。
お遍路は七回目だという。達人です。しかし!玉川さんはこともなげに左足をカバーを取るように外したのだ。
やはり、一瞬息を呑む。膝までの足。後から思うとそういう反応を玉川さんは楽しんでいるのかもしれない。
玉川さんは初めてのお遍路の途中、高知の二十七番札所を過ぎたところで足が痛くて歩けなくなった。
人々に助けられて市内の病院に搬送されて即刻足を切断しないと命が危ないと手術されたという。
糖尿病が悪化していたのが足への負担となって腫れ上がっていたらしい。
初めての遍路での足の切断だったのに遍路に塡まったのは何故?
「金を儲けて飲む打つ買うとやりたい放題で多くの人を泣かせてきたもんで弘法大師が活を入れてくれたんだと思ってね、足は切られても命が残った。それで心を入れ替えて、ありがたいことに義足もいただいて、初回に回れなかった遍路に行くことにして‥‥それからはまったんだな」
時間はかかっても歩きに徹してできるだけテントで泊まることにしてるそうだ。
凄いなと思った。
そういえば、わたしたちが話す人たちの殆どが定年になって時間ができたからという人が多い。
中には定年退職したから奥さんと温泉に行ってなぎらってから一人やって来たという江戸川さんもいた。
ロビーでは安倍政権や集団権の話で盛り上がっていた。
長野さんは歩きに自信がないから明日は徳島に戻ってレンタカーを借りて回ることにしたという。
名古屋さんとは今夜でお別れだって。
自分の都合に合わせた多彩な巡拝方法があるのも古来から未来へ遍路する人が途切れない由縁の一つかもしれない。
「明日も早いよ」と早々に横になる。なかなか寝付かれない。
6時に勤行、6時半から朝食。7時半に出発の予定だ。
06:00 起床
07:00 朝食
07:20 出発
07:45 ②二極楽寺着
08:50 ③三金泉寺着
10:10 愛染院
10:30 接待所発
10:45 五百羅漢着
11:40 ④四大日寺着
12:50 ⑤地蔵寺着
13:14 羅漢バス停
13:30 ⑥安楽寺着
15:00 ⑦十楽寺着
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