小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二月十日

2016-03-26 | 嘉永四年 辛亥日記

 
朝、藤四郎も一緒に一盃吞む。
で、八時に出るところが十時になって学校へ出た。
栗山の願書を差し出すために湊御殿へも行く。昼頃に帰る。
藤輔、浅之助、江川なども来て、支度していわとの神社へ参る。
これは山本省太郎殿の病気平癒を祈るため。
札五枚御初穂とありあわせの菓子を一箱持参した。
木本やから蛸を一鉢持参し、酒を田中店へ取りに行く。
その時、北野が来合わせて一緒に酒を吞む。
夕方過ぎに帰った。
今日から七日祈祷するとのこと。
お礼は江川甚蔵が山本へ持参する。
真菜を引いて漬けたが塩は梅本で借りた。
夜は金比羅へ岩一郎も母君も参り、岩橋左内での会(勉強会)から了吉も同伴して十時過ぎに帰宅した。



湊御殿
http://wakayamacity-bunkazai.jp/minatogoten/

紀州徳川家の別邸です。
ご隠居の十代藩主の徳川治宝公がここで政治を行っていました。
この日記の嘉永四年当時の藩主は十三代の徳川慶福で五歳でした。菊千代様と書かれています。


十代藩主の治宝公と十三代藩主の慶福公(後の十四代将軍徳川家斉)については明日にでも書きます。



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