はじめに
2010-02-09 | 環境
幕末・明治期に生きた紀州藩校督学川合梅所の妻である小梅。
その小梅が激動期の社会の姿や身辺の雑事を40年にわたって記した「小梅日記」が発見されて貴重な史料となっています。
曾孫の志賀裕春氏と学者の村田静子氏によって現代文に甦えさせられました。
それが平凡社から東洋文庫として三冊が出版されたのです。
現代文とはいえ漢文を書き下したようなもので、無数に関わる人物関係や当時のしきたり・言葉・紀州の土地柄など理解しづらい事項が多く、さらにメモ的に事実だけが書かれているために感情面を忖度できず、普通に本書を読む下すのは至難の技です。
そこで、これを普通の小説風に書き直してみることを決心しました。
結婚(婿を迎えた)した16才時から86才までの長い年月の中で発見されていない部分もあって郷土資料関係者はまだ探索中。それでも40年分は起稿されているのですからどんなにか大変な仕事だったかと偲ばれます。
どこまでやれるか根性と根気に自信がないまま取りあえず始めてみることにしました。
冒頭の「酉八朔」から躓いているのですから亀の歩みより遅く、前途多難で無茶な旅立ちではあるのですが。
その小梅が激動期の社会の姿や身辺の雑事を40年にわたって記した「小梅日記」が発見されて貴重な史料となっています。
曾孫の志賀裕春氏と学者の村田静子氏によって現代文に甦えさせられました。
それが平凡社から東洋文庫として三冊が出版されたのです。
現代文とはいえ漢文を書き下したようなもので、無数に関わる人物関係や当時のしきたり・言葉・紀州の土地柄など理解しづらい事項が多く、さらにメモ的に事実だけが書かれているために感情面を忖度できず、普通に本書を読む下すのは至難の技です。
そこで、これを普通の小説風に書き直してみることを決心しました。
結婚(婿を迎えた)した16才時から86才までの長い年月の中で発見されていない部分もあって郷土資料関係者はまだ探索中。それでも40年分は起稿されているのですからどんなにか大変な仕事だったかと偲ばれます。
どこまでやれるか根性と根気に自信がないまま取りあえず始めてみることにしました。
冒頭の「酉八朔」から躓いているのですから亀の歩みより遅く、前途多難で無茶な旅立ちではあるのですが。
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