小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

11月15日2 31番、33番、34番

2016-12-18 | 四国遍路 土佐(高知...
11月15日2 31番、33番、34番
高知に戻ったのは「My遊バス」に乗るためだ。このバスは高知から桂浜経由で高知までの路面電車区間が乗り放題というもので、途中で足を伸ばせば二つの札所を廻ることが出来る。そのMy遊パスは1000円だ。コンビニでいなり寿司を買ってバス待つ間に食べた。
11時40分、My遊バスは桂浜に向かって出発。乗客は7人ほど。はりまや橋など繁華街からも数人乗ってきた。はりまや橋があんなに小さいとは驚いた。札幌の時計台に驚いた以来。チンチン電車が縦横に走っている。入り組んだ線路の複雑な美しさに感心した。竹林寺というバス停で降りた。





31番 五台山 竹林寺(ちくりんじ)
ご詠歌 南無文殊三世の佛の母ときく 我も子なれば乳こそほしけれ
本尊 文殊菩薩
学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から臨済宗の学僧、夢窓国師が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めたという。国の名勝にされている庭園も造った。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士の記念館と県立牧野植物園がある。







この寺は土佐の信仰や文化の中心地であり土佐随一の名刹ともいわれている。
縁起では中国の五台山に登って文殊菩薩に拝した夢を見た聖武天皇が行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。命ぜられた行基はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得し、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り山上に本堂を建てて安置したのが始まりだという。その後、大師がここで修行して荒廃した堂塔を修復し霊場に定めた。
名勝というだけに素晴らしい庭園だ。
ゆっくりと雰囲気に浸っていたかったがバスの時刻に支配された。
竹林寺バス停から乗って桂浜で乗り換えになる。次のバスまで時間があったので海岸を眺めに行った。高知はもうどこに行っても坂本竜馬ばかり。あまり好きじゃないけどとソフトクリームを舐めながら松林を歩いた。賑やかだ。ポケモンGOの聖地なのかな?自分もやってみるがバッテリーの残量が心配なのですぐにやめた。高知の海はなるほどあの先に行ってみたい感を抱かせる。竜馬も慎太郎も万次郎もそんな海が生み出したのかもなんて思う。
ここはやはり観光地。土産物屋や食堂が多い。また、バスに乗った。
長浜営業所バス停で降りた。ここから徒歩で15分の筈。タクシー会社の角を曲がると一直線だった。









33番 高福山 雪蹊寺(せっけいじ)
ご詠歌 旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月
本尊 薬師如来
短い参道の石段を上がると右手に大師堂。正面に本堂、その左手に納経所とこじんまりしたお寺。
運慶作の本尊薬師如来、脇士の月光菩薩、日光菩薩及び弟子の湛慶作の毘沙門天、吉祥天女、他に海覚作の十二神将十体などがあり鎌倉時代には仏像の宝庫といわれ、国の重要文化財となっている。
廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親で、月峰和尚を初代住職に招き中興の祖とした。その後、長宗我部家の菩提寺とし元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。








名称から想像を膨らませていたのだが寺名の由来を知って納得した。
街道沿いに建つ近所の氏神様のような札所だ。
若いお坊さんが何方かを案内して廻ってきた。所作が美しく礼儀正しい。しかもその読経の声の美しさに聞き惚れてしまった。修行の意味が体に沁みた。
長浜営業所バス停まで戻る。その名の通りとさでん交通の営業所がある。そこでバス便のことを聞くと春野町役場行きは今、出たばかりだという。自分の足のとろさを呪った。

強行軍だなと思いつつももう一札所を廻っておきたい。徒歩で7キロとあるが3時間はかかる。もう3時前だし。ということでタクシーで次の札所へ行った。

34番 本尾山 種間寺(たねまじ)
ご詠歌 世の中にまける五穀のたねまでら 深き如来の大悲なりけり
本尊 薬師如来
6世紀のころ敏達天皇の6年(577)に百済の皇子から多くの経論や、仏師、造寺工を贈る旨の勅書が届いた。彼らが渡来したのは用明天皇の時代で大阪の四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中に土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れた。彼らは、海上の安全を祈って約145cmの薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。
その後、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねその薬師如来像を本尊として、諸堂を建てて開創した。その折に唐から持ち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆にひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。







仁王門はない。効率良さそうに纏まって本堂、大師堂、鐘楼、納経所んどが配置されている。雪蹊寺で出会ったお坊さんと再会し会釈した。今度はその読経に合わせて声を出してみた。さて、高知市まで帰らなければならない。納経所で聞いてみた。地図を描いてくれてその道なりに春野庁舎前バス停まで歩くことに。車も人もいない農地と農家の道をテクテク。しかし、やっと着いたバス停では一ヶ月前に廃線となっていた。なんてこと!仕方がない。念のためにと聞いておいたネギ谷口というバス停を目指した。この道がまた長い。下校高校生達の自転車に次々と抜かれていく。車もふえた。やっと教えられた交差点に着いたときは夕陽が山端に落ち始めていた。それでも4時。40分しか歩いてないのに3時間くらい歩いた気分。交差点を渡って少し行くとバス停があった。やれやれ。しかし5時37分までバスはない。メイン道路なのか車の往来が激しい。バス停にベンチが置かれていた。夕陽が沈み寒くなってきて心細い。タクシー?
いやいや、それはあんまりだ。お大師様に叱られる。バスを待つことにした。




周囲を見回すとパン屋があった。入って行くと奥がレストランになっていた。
ラッキー!ハンバーグ定食と珈琲を頼んだ。
やっと来たバスははりまや橋まで1時間近くかかった。そこからチンチン電車に乗って高知駅まで戻った。ホテルを予約しておいてよかった。いや、予約してなければネギ谷口付近の宿屋に泊まれたのか?
いずれにしても長い一日だった。それにしてもネギ谷口からのバス代は1100円。タクシーに乗らなかった自分を褒めてやりたい。



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