小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

恩山寺

2015-10-16 | 四国遍路
さて三日目です。
4時半に起きて身支度し、5時半にいろりの前で朝食。
ゆうべは行き違いだったイケメンの若い衆が二人。
丸坊主なので粋な鳶職?かと思いきやお坊さんでした。
千葉と埼玉のお寺を継ぐ身だとか。
京都のお寺で修行して得度したそうです。
今回は一気に88寺すべてを廻るとか、野宿する用意もあって大変な荷物の多さです。
黒い法衣を着て白い地下足袋、菅笠をかぶり大きなザックを背負って出発して行きました。
他には定年後の方や癌を告知された方とさまざまに出発です。
宿のご主人と崇徳上皇の話などしていて私の出発は遅れましたが、ご主人に送ってもらって6時40分には十八番札所の恩山寺に到着しました。荷物も置いてきたので足取りは軽やか?です。


十八番札所  母養山 恩山寺
ご詠歌  子を生めるその父母の恩山寺 訪らいがたきことはあらじな

縁起によれば聖武天皇の勅願によって、行基が刻んだ薬師如来像を本尊として開かれたと伝わっています。
当時は女人禁制の寺でしたが弘法大師によって解かれました。
大師がここで修行していると讃岐からはるばる母が身を案じてやってきました。
大師は滝に打たれ修行を重ね、母を迎え入れることができたということです。
母の玉依午前は髪を下ろして出家し、その髪を奉納して「母養山恩山寺」と寺名が改められました。

駐車場から門までの石段はすぐでした。
お掃除している方の他は誰も居ません。
本堂と大師堂、静寂の中で蝋燭に火をともしお線香を上げてむにゃむにゃとお経を唱えました。納め札も入れました。
納経も済ませ、次の立江寺に向かうことにしました。
この日はできたら鶴林寺の奥の院である星の岩屋にも足を伸ばしたいので頑張るつもりでした。
ところが、立江寺への道案内がみつかりません。駐車場でうろうろしていたらお掃除していたおじさんが声をかけてくれました。
あとは牛舎の横を山道に入ればという場所まで一緒に歩いてくれました。ありがとうございました。
でも、恩山寺さんは不親切だと思いました。歩き遍路のために道しるべをお願いします。
なんて思いながら歩いていると臭ってきました。牛舎の臭い。写真を撮ろうと一歩そちらに行くとボーダーコリーが激しく鳴きながら向かってきました。噛まれる~と一歩引くと犬も立ち止まって、でも吠えている。
おそるおそる遍路印のある山道に入ると鳴き声はピタリとやみました。
飼い主には賢いワンちゃんでしょうが、遍路さんの間では不評です。


山の中の細い道。両脇は竹林です。いままで見たことの亡いような竹、竹、竹…風のそよぎに呼応するざわめきもちょっと音楽的な感じがしました。
この道には親切に「へんろ道」のしるしがつけられていて安心しました。
ところどころに「義経ドリームロード」という道標もあります。
うん?義経がお遍路?いえいえ、壇ノ浦に向かう義経が通った道ということなんです。
豪勢な竹林をかなり歩いて里に出て人家の裏庭を通ってアスファルトの道に出ました。




コメント
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