kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

おニャン子クラブ#1

2007-01-31 22:49:34 | おニャン子クラブ
ブログを始めて約1ヶ月、始めたきっかけは、一応はWRC関係でいろんなファンの方と接したいという思いから始めたのですが、この間1ヶ月、いろんな人のブログにお邪魔し、コメントなどさせてもらううちに、自分の好きなことについて、とことん語って、それを読んでもらえて少しでも共感してもらえれば本望だと思いはじめて、コメントを通じてすでに頭を突っ込んだいろんな話題について、自分の思いを表明したいという気持ちが強くなってきました。
というわけで、今回は、おニャン子クラブについて。(多分、何回も書くので、#1としました。)
kosukeの人生約○十年で、最も熱くはまったものは何?と言えば、何の躊躇もなく、「おニャン子クラブ」と答えます。(ただし、お見合いの場では、こうは答えないかもしれませんが。)
ぼくのおニャン子暦のスタートは夕やけニャンニャン(以下夕ニャン)の放送開始からは約1年遅れの1985年の夏だったかと思います。当時、ぼくの住んでいた福岡では、夕ニャンはネットされておらず、当時浪人2年目のぼくはそんなにTVも見ておらず、おニャン子クラブの存在は、なんかエッチな歌(注:セーラー服を脱がさないで、のことです。)を歌うけったいな女の子集団、という感じでした。
それが、ファンへと傾いた事件=それはまさに事件でした=は、河合その子ちゃんが、ザ・ベストテンに初登場したシーンを見てしまったことでした。そのときのその子ちゃんは、まさに妖精でした。歌手として、レコード出していて、さらにはおニャン子クラブのメンバーとして活動していながら、なんとも、素人チックというか、うぶというか、ナチュラルというか、そういう雰囲気を出しまくりだったのです。で、おニャン子のメンバーをバックに、デビュー曲「涙の茉莉花LOVE」を歌ったわけですが、その声たるや、あるときは甘ったるく、あるときは透き通った、なんともいえない「色」を持った声だったわけです。しかも、唄がまた切ない唄でしたから、はっきり言って、ぼくはイチコロでやられました。後にぼくと同い年で生まれがちょうど1ヶ月違いと知って、さらにびっくり。これで20歳なの?と。その日から、ぼくはおニャン子ワールドにはまって行くことになるのです。
で、当然の流れとして、おニャン子のほかのメンバーにも興味を持ちはじめ、雑誌などで情報収集しながらも、夕ニャンを見れないジレンマを感じながら、浪人2年目の夏から秋を過ごしていたわけです。
ということで、今回はぼくがおニャン子ワールドにはまったきっかけ話というところで区切りまして、今後引き続きその後のぼくとおニャン子の関わりについて書いて行きたいと思います。(途中で、NFLスーパーボールと、WRCスウェディッシュ・ラリー、ノルウェー・ラリーという大イベントが入るため、飛び飛びとなることをご了承願います。)

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