あるがままに生きる日々とは!

老いに向かい美しく歳を重ねたいと思う!
何事にも意欲的に挑戦したい!老いに負けるものかーと叫びたい!

ボヤボヤしてはいられないよ!

2008-06-27 22:09:17 | 想い

 

初夏の気配を感じるようになってきた六月、少し憂鬱な

梅雨の季節のなか何となく忙しい日々を送っている間に

六月ももう終わり七月にカンダーは変わろうとしている。

木々をぬらす雨が降ればしっとりした風情をかもし出し

美しい景色を作り出す。 雨の日も考え方によればそれなりに

悪くも無いかな

一年も半分経過した。 

月日の流れの早さに一年なんてあっと過ぎ行く現実に

改めて驚いてしまう今日この頃だ

あくまでその人の生活環境の感覚的な問題でしょうが今の

私にはこれからの半年が人生にとって最大のイベントと向き合い

それと同じくして哀しみも深く乗り越えなければならない

事態が待っている

この様な生活環境の中で生きていけばこれからもますます

一年が短く感じる様になってしまう。

今夜も病床で何時命の灯が消えるか分からない母を想い

これからの人生を無駄に過ごすことなく平凡な中にもきっと

幸せがあったという事を感じたい 今は気持ちに余裕が無いが

母の命が明日に繋がることを今宵も祈る事しか出来ない


疲れた!

2008-06-26 22:44:32 | 独り言

今日は予報どおり雨降る中での通勤となった。

朝通勤途中の駅で何らかのトラブルがあり電車がストップ

八時前には動き出したが急行車両無く普通となった。

私の停車駅は普通しか止まらないのでそれは良いが前が支えて

徐行運転となり時々止まる。

慌てても仕方が無いのでたまたま込み合っていたが一空席を見つけ

すばやく座ることが出来た。

一応何時もより随分遅れての駅への到着だったので遅延証明を貰って

会社までの坂道をアップダウンして何とか定時に間に合った。

ここの所先まで電車は延長されて足の便は良くなったとはいえ

毎日のように電車が遅れる

朝からハラハラして仕事前に気分的に疲れた。

朝からアクシデントが起きると段々と歳とともに身体も心身も

順応しなくなったのは私だけかな


環境の変化に!

2008-06-25 20:02:45 | 想い

今日までは何とか天気もまずまずだった。

明日はお天気も崩れ気温もぐ~んと低く肌寒く感じると予報

明日の雨の中の通勤を考えると嫌になるがあと二日頑張れば

休日が待っている。

毎日決まった時間に家を出て同じ電車に乗りだいたい同じ時間に

会社のタイムカードを押す私の一日の始まりだ

昨日も今日も明日もこうして同じ事を繰る返す日々だ

同じ事を日々繰り返しながら月日が流れていく

職場環境もすっかりと変わりストレスが溜まる。

五月から新しい仕事が始まる予定が遅れ七月の後半から

その新しい仕事と取り組むことになりコンプライアンス重視の中での

仕事は神経をすり減らす「法令遵守」 「お客様第一主義」

「四つの礎」など経営理念を達成する為の心構えや社員の

心の有りようを掲げられそれに向かい努力を惜しまない。

上司や社員などこの四月から入れ替わりそれに新しいパートが入社

してきて仕事もまだまだスムーズに行かずにそれを見守るには

余程の忍耐と気力、体力を要する

明るく楽しい職場環境を望む私にはこの頃少し雰囲気が気分が

以前と違う事が気になる

上が変われば仕方の無い事と先輩からアドバイスを受ける

15年近くも同じ職場に勤めることが出来たのはやはり同僚や

上司に恵まれ居心地が良かったのでしょう

この頃は如何してか違和感を覚える

そろそろ体力的にも精神的にも仕事に対しての情熱も

薄れてきているのだろうか

自問自答しながら所詮マンネリな生活だ

 


お母さん!

2008-06-24 20:01:26 | 想い

 

昨夜弟から母の病状の事で電話が有った。

「主治医の先生からおしっこの出が悪く800ccの数値が300ccしか

出なくなり腎不全の症状でむくみも有る。」と

今までは看護婦さんからの電話がじきじきに主治医の先生から

先週の丁度火曜日に遠路母の入院先の病院に見舞ったが

一目で母の病状が進行している事を悟った。

それまでにも先生から見舞いに行った折に弟は既に

退院出来て施設に戻る事など不可能なことは告げられていた。

私が見舞った時も昏睡状態で意識無くひたすら眠る母に語りかけても

何の反応も無く寄り添う事しか出来なかった。

先生から末期状態を言われ死別を予期したときから悲嘆は始まっている。

遠く離れて住み直ぐに駆けつけてあげる事も出来ない娘の私だが

出きることなら愛する母の亡くなる瞬間を見守っていてあげたいが

こればかりは如何する事も出来ない この先確実に起こり得る

母との永遠の別れを目前に死を自然な現象として受け止める事が

出きるであろうか

母親の死は父親の死より受容しにくいといわれているが

こうしている間も母は生きる事の大切さを身を持って示してくれている

母が命の終わりを迎えるのは今日とも知れず明日とも知れない

人の死の前後などはうかがい知る事など出来ない。

「寂しさ」や「人生の空しさ」が無常に過ぎていく

 


山の会なのに?

2008-06-23 19:53:33 | 独り言

 

「ユキザサ会」と名を付けた例会ハイキングの会がある

既に十数年になる。小学校、中学校の時の子供達のお母さんと

又その友人達から成りたっている。

現在は12名の仲間がいる。

毎月当番が決められておりメインの人とサブと二人で相談して

その月の行き先を決める。

7月は私がメインの当番である

ところが先月は義母の葬儀で欠席 今月は義母の35日で欠席

7月も行き先を決めかねていた。実母が現在も入院し意識無く昏睡状態

リーダーとしての責任を果たす事が出来なくなる可能性高くハイキングは

実母にもしもの事が有り時を同じくしたら仲間に迷惑が掛かる事になる

サブの人と相談して7月はお食事会をする事で私が欠席となっても

予約さえ済ませておけばサブの方にお願いして出かけられる

6月の例会でハイキングに出かけた折に私の事情を仲間は気持ちよく

ご理解下さり歩く会の趣旨に反するがたまには良いからと言ってくださったと。

数人からはホテルのランチが良いとの事だが6月のメニューまでは分かるが

7月のメニューはパソコンには出ていない。

食べられない食材がある人がいてホテルのランチは諦め和食にした。

ランドマークプラザにある京懐石「美濃吉」に決めた。

早速予約の人数確認もあり連絡網にて電話を回したら思っていたより

皆さん出席下さる様で当番の私はホットしている。

食事の後に桜木町からバスで本牧の三渓園の庭を散策する事に

しているがお天気次第だ

私達のような中高年が野山を楽しみハイキングを通して

生涯青春を満喫し限りない可能性をもたらす素晴らしい事だ

歩く事は全ての原点だ

7月はこの様な計画になったが8月の例会のハイキングに備え日常の心構えとして

なるべく階段を使いエレベーターやエスカレーターには乗らずに

足腰を鍛えておかなければと思いつつも買い物が重いとついついと

使ってしまう私です。  整骨院に通うようでは私にはもう歩く資格無しかな


雨の中を~!

2008-06-22 20:36:37 | 想い

 

折角の休日もお昼前には本降りとなる

ここの所ゆっくりする間もなく日々が過ぎていた。

何時もよりゆっくりと朝寝坊したので体調も回復

家の中を片付けたいがこのお天気では洗濯物も乾くことなく

窓を開けることも出来ずに散らかった品々だけを整理して終わり

午後から以前パソコンで何時も一緒に駅で待ち合わせ教室に

通っていた友人と暫く振りに逢う事になり雨の中を出かけていった。

電車で数分の駅で待ち合わせランチを食べながら姑の入院から

亡くなるまでの事、それから35日の法要の間までをお喋りした

彼女も昨年実父を亡くしているのでお互いに哀しみは

共有する事が出来、姑の死に際してお悔やみのお言葉を

頂いた。

彼女の母も私の実母とは少し状況が違うが既に数年病院で

入院生活を余儀なくされ回復の見込み無くこれまた哀しみを共有できる。

毎週お母さんを見舞い弱る身体をいざ目の前に現実として突きつけられ

確実にその日が来る事を私と同じく彼女も覚悟している

我が家と同じくご主人様が定年を迎えこれから悠々自適な生活を送れる~

想うように計画通りには行かないのが現状である。

我が家も遠距離介護、老老介護と長い放浪の生活を終えてやっと

ついの住み家を得る日が今の私達夫婦には来るのだろうか

人間の面白さが見えてくると想っていた60代を迎え気楽に

生きて生きたいがこの先の不安が募る日々だ

彼女とのお喋りに花を咲かせ私もこの雨の中を出かけたが気分転換と

なり久しぶりに彼女と本音で何時もお喋りが出来て大切な友人の

お一人と改めて感じた休日の午後でした。

写真は彼女が箱根に行ったときに撮った写真です


祈って来ましたよ!

2008-06-21 22:33:39 | 想い

 

 小雨降る中、先月は義母の死に直面してして忙しくまた

喪が明けるまで神社、仏閣にはお参りはいけないと

聞かされていたので差し控えていた。

今日は何時もの友人と気持ちも新たに色々とご祈願したい事が

沢山有り出かけて来た。

関西からの疲れも少しはあったがやはりそれまでは毎月

決まったようにお参りに出かけていたので何となく気になり

この辺で哀しみから気持ちをチエンジして義母亡き後の

新たな人生の出発 義母の存在をなくしての家の存続

新たな問題を一杯抱えている状況が何事もスムーズに家族みんなが

健康でそれぞれの人生を「幸せと」感じ人の気持ちを大切に

人間としての心の原点に戻り前向きに生きていけることを祈った

実母の穏やかな最期を迎えられることも併せて祈った。

遠く離れた病床の母を想いながら明日に命を繋いで欲しい

 

 


お花は知っているのかな?

2008-06-20 20:24:00 | 独り言

 

 昨夜関西から戻った。

広々とした宝塚の自宅から高層マンションに戻り息が詰まるかと

思いきややはり狭いながらも住み慣れたこのマンションが好きだ。

庭は無く四季折々に咲き誇る花とは違い植木鉢のお花しかないが

宝塚の庭先にはこよなく草花を愛し暇を見ては手入れをしていた

義母の姿はもうこの世にはいない。

雨に濡れて一段と新緑が眩しく紫陽花が今を盛りとばかりに

主のいなくなった庭先に一段と鮮やかに咲き誇っていた

この先あれだけの庭の手入れは夫一人がやるには大変だ。

義母のお部屋だった縁側近くに金柑の木がある。

雨戸を閉めていて気が付いたら金柑の木に寂しげに

取り残されたかのように大きな黄色い実が三個残っていた。

夫は家族の元に帰省の折に金柑の実を沢山もって季節の味を

楽しませてくれる感性豊かな人なんです

義母に似てこよなく植物やお花を愛する自然体の夫です

義母が庭先の手入れが出来なくなり亡くなるまでの数年で

随分と庭先も様変わりしたように思った。

四季折々、庭先は何時も綺麗に手入れされ誇らしく綺麗に

咲く沢山の花々をこれからは夫の手にゆだねられるのか

嫁の私はお花を眺める事は好きだが自分から庭先のお手入れ

なんて出来ません。何故って虫が怖いよ

 

義母は何時もお部屋から眺めていたのでしょうね

懐かしく金柑の大きくなった実を三個私は取りに庭先に出た。

夫が「きっと大きく育ったから皮は硬いがきっと甘いよ」と。

私は義母の顔を懐かしく想いながら実にかじりついた。

とても甘く美味しかった。

この木も来年もきっと大きな実をつけるでしょうか

主がいなくとも義母が丹精込めて育てた自然は何時までも

道行く人々の心の中で時期が来れば咲き乱れる事と

私は信じている  草花を愛する人には悪い人は居ない

姑は心優しく物静かで心の綺麗なお人だった

がさっな嫁の私は亡き姑をこれからのお手本として学ぶ事が

一杯あることを悟っているがどうでしょうかね

 


無事に終わり!

2008-06-19 14:32:40 | 想い

 

 無事に昨日は姑の35日法要と納骨を済ませた。

昨日まで関西特有の蒸し暑い夏日であったが今日は時折小雨が

降ったり止んだりとすっきりしない。 でも蒸し暑いよ。

姑亡き後の法事に接していかにこのうちの嫁として人生十数年を

生きてきたか、この地域のしきたりの重さに戸惑うことが多く

このような祭祀がこの先も我々の代まで引き継がれていくことが

果たしてベストなのかとこの先の不安がよぎるのと文化的な考えの中で

暮らす私には疑問視さえ抱くがこの地域ではこの古いしきたりの

流れの中で生きていくことが優先されている限り避けてと

通れないことなんでしょうね?

嫁としての重責にこの先耐えられるかな?

夫もやはり現在社会の中でこの地域を離れ単身赴任が長く

いろいろの県にて生活してきたがやはり生まれ育った地域の中で

少しも改善されず前向きな考えが通らないしきたりには

不信感を抱いている事は分かる。

姑亡き後は長男としての立場もあり夫の苦悩も理解できる。

ひとまず色々と想うことが沢山あり今後この土地にて生きていくからには

まだまだ気持ちの上で自分を納得し葛藤の日々が続くことは

間違いない。  とにかく明日から仕事が待っている。

夕方の新幹線で神奈川の自宅に戻る。

帰り支度も終え夫のパソコンの前で取り止めの無い文字を打つ?


関西に帰省中です!

2008-06-17 22:03:35 | 想い

 

 昨日から関西に姑の35日法要と納骨のために帰省しています。

今日も関西は真夏のように蒸し暑く日差しも強い一日だった。

明日の35日の法要のための用意も夫が少しずつ済ませてくれて

いたお陰で今日は時間を貰い母の入院する病院まで早朝から

家を出て見舞いに出かけてきた。

母の病室に入るなり髪の毛をばっさりと刈り上げ男の人の病室と

間違えたかと思うほど頭は夏バージョンになっていた。

日曜日に弟が見舞ったときの母の様子を聞いていたので余りショック

では無かったが酸素マスクを付けこの暑いさなかに電気毛布を

掛けてもらい母に語りかけるが何の反応も無くただひたすら深い

眠りの中を寝息を立てている。

先日まで手足を縛られ自由を束縛されていたがそれもとかれたと

云うことはもうそれだけの体力が無く意識も薄れている事だと

認識した。

しばらくは何とか母に娘が来たことを知って欲しいとその様な行動を

起こしてもダメだと知りつつも母の額をなでたり無理に瞼を開いたり

してみたが何の反応も無くただじっと母の寝顔を見ることしか

出来なかった。  折角遠くから母に逢いに来たのにと

哀しみと空しさで胸が一杯になった

もう母の声すら聞けず娘の顔すら見てもらえない哀しみ

母はこの状態のまま最期を向かえるのかと思うと余りにも母が

いとおしく可愛そうで見ていられなくなった。

どうすることも出来ない現実を直視し受け入れることが私には余りにも

残酷に思えた。

そんな母を残して私は病院を後に明日の法要の段取りに頭を

チエンジして電車に乗り込んだ

家に着いたら姉夫婦が明日のためにお手伝いに来てくれて

田舎のしきたりを姉は自分の母のやってきた通りに私に伝授してくださり

私はその様に取り計らうことで明日のお客様を招く準備は万全に

整い明日を向かえるだけとなり何も知らない嫁の立場が明日

試されることになる

今日と云う日は自分にとって悲しみと向き合いまた明日からの

としての人生と向き合う大切な一日となったことは云うまでも無い

ちょっとした時間気分転換に夫のパソコンより書き込んでいる