昨夜弟から母の病状の事で電話が有った。
「主治医の先生からおしっこの出が悪く800ccの数値が300ccしか
出なくなり腎不全の症状でむくみも有る。」と
今までは看護婦さんからの電話がじきじきに主治医の先生から
先週の丁度火曜日に遠路母の入院先の病院に見舞ったが
一目で母の病状が進行している事を悟った。
それまでにも先生から見舞いに行った折に弟は既に
退院出来て施設に戻る事など不可能なことは告げられていた。
私が見舞った時も昏睡状態で意識無くひたすら眠る母に語りかけても
何の反応も無く寄り添う事しか出来なかった。
先生から末期状態を言われ死別を予期したときから悲嘆は始まっている。
遠く離れて住み直ぐに駆けつけてあげる事も出来ない娘の私だが
出きることなら愛する母の亡くなる瞬間を見守っていてあげたいが
こればかりは如何する事も出来ない この先確実に起こり得る
母との永遠の別れを目前に死を自然な現象として受け止める事が
出きるであろうか
母親の死は父親の死より受容しにくいといわれているが
こうしている間も母は生きる事の大切さを身を持って示してくれている
母が命の終わりを迎えるのは今日とも知れず明日とも知れない
人の死の前後などはうかがい知る事など出来ない。
「寂しさ」や「人生の空しさ」が無常に過ぎていく
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