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母の病状!

2008-06-13 19:15:41 | 想い

 

 会社で昼食を摂る為に社員食堂に向かう途中で携帯の

メールをチェックした。

弟から「今母の病院に見舞いに来ています。主治医の先生と

面会しました。詳しい事は帰ってから電話しますと」

母の状態が日増しに悪くなってきている事を先週知らされていたので

やはり終末が近づいているのかと心がざわめいた。

来週早々に姑の35日法要のために帰省するがそのときには

母の元に見舞いに行く事にはしているがやはり母の事は

毎日の生活の中においても一番の気がかりだ

結婚して数年で夫の転勤によって関西を離れ三十数年が経つ

遠く離れて住み子育てに忙しく一年に二度帰省できれば良い方で

なかなか自分の生活に追われ親孝行する事も出来なかった。

その様な状況の中で父が硬膜化出血で倒れた。

日増しに弱る父の身体、完全に母の介護を受けないと全て生活できないと

云う状況ではなかったがその直後に母が思いもかけぬ大腸癌の手術、入院

となった。 父一人家に置いておく事は出来ないので今は亡き姉である

長女と次女の私で交代で父を看ていた。

私の遠距離介護が始まったのはその頃からである。

私も亡き姉も父の介護をする日がいざ目の前に現実として突きつけられた

時は母の病院と父の介護に何を如何すべきなのかと亡き姉とオロオロする

ばかりだったと記憶している

結局母は父を施設にも入れることなく一人で後にはヘルパーさんのお力も

借りて13年間最期までぼろぼろになっていく自分の身体を省みることなく

父を看てその間には最愛の長女の急死に直面

父母は最愛の娘の死をなかなか受容できずからっぽになった心を抱えて

哀しみにくれていた姿を今でもはっきりと脳裏に浮かぶ

月日を重ねるごとに身体が弱るのと同じく悲嘆はますばかりの日々だった

それから数年して父も亡くなり現在に至るまで母は不幸という言葉から

引き離される事無く生きてきた 気丈な母だが幸せとは縁遠かった。

弟に電話して母の病状を先生からお聞きした事を話してもらった。

「お母さんは大きな病気を抱えているわけではないがこの眠ったままで

病状の回復は見込めないと、身体の機能もしずつ悪くなって来ている

ので~」と云われたと

今では鼻からの酸素の管も点滴の管もはずすだけの

力も無くなり今は縛られていた手足もはずされ静かに眠りに入っている事を

聞かされた。手足をベットに縛られ自由を奪われた光景を見たときは

涙が溢れたがもう既に力さえ無くひたすら眠る母の姿を想像すると

又これも哀しく空しさが募るが手足が自由になっても動かす意識すらない状態

来週の火曜日に法要の前日だが少しの時間を作り母に面会に行って来ます。

悲嘆はますばかりだが母の寿命に掛けるしかない