阪神淡路大震災による大規模地震災害がおきて早20年になる。
年数が経過してもあの日の出来事は一生忘れることはない。
夫の母は一人であの地震に遭った。
さぞかし怖くて夜が明けるのをひたすら寒さと闘いながら待った。
家は半壊に近かった。
普段から気丈で冷静な性格のお姑さんだったがあの瞬間は
どの様な思いでいたのか~~。
私は子供と神奈川に夫は地震発生の時は岡山に単身赴任それも
地震の少し前の年明けと共に岡山に赴任して間もなくの出来事だった。
火の手が上がる被災現場がテレビに映し出されいてもたっても
いられない、無情に時間だけが経過したことを思いだす。
お姑さんの安否が確認された。
半壊だった家は再建されそのお姑さんも94歳で人生の
幕を閉じた。
当時大きな被害に見舞われた場所はすっかりと街並みを
一新しており今は面影を探すことが難しい。
20年の年月を物語る。
昨日は被災した各地では犠牲者を営む行事に遺族や被災者らは
祈りを捧げる一日だった。
大きな災害を経験したお姑さんは晩年は心穏やかに花々を愛おしみ
体が弱りながらも一生懸命に生きている姿を目にした私は
その時一緒にいてあげられ無かった事を悔やみお姑さんの
強い意志で生き抜くことの大切さを身を持って示してくれた
お姑さんを尊敬し少しでも近づける人生で有りたいと願っています。
天国のお姑さん何時までも見守って下さい。
夫は先週からその家の管理に行っています。
今は亡き母を想いつつ一人で20年の月日を
懐かしんでいることと思いますよ。
(夫は岡山から震災後数年して関西に転勤し母が亡くなるまで
二人で同居し庭先で四季折々の花を植えながら
綺麗な花を咲かせ喜ぶ母を最期まで看取った)
多くの犠牲された遺族、犠牲者に合掌