関西から二人の母を見舞い帰ってきました。
姑と実母が4月の14日の同じ日に偶然入院した。
関西の自宅に先に帰っていた主人の元に私も仕事を休み合流した。
姑は骨折した左腕が石膏で強く固めて有るので痛むらしい
それ以外は病を抱えているようには見えず時折冗談も口にする
姑の身体に潜む悪い病気は何時どの様な形で現れ苦しめられるか
今の所素人の私には予想も付かない
姑の病院は自宅から車まで15分位の所に在る。
宝塚歌劇の前を横切り街はハナミズキをはじめ豊かな緑に恵まれた
ロケーション 四季折々の草花を楽しめる街を複雑な思いで
走りぬけ病院に向かう日々だった。
姑は今の所症状も小康状態
私達のほかに姉夫婦と妹が入れ替わり見舞いに訪れ姑も毎日
子供の誰かが見舞ってくれ安心している
そんな姑とは対照的な実母である
関西の自宅から母の入院する病院までは一時間半から二時間は
かかる所に病院がある
一人で雨降る花冷えの寒い日に始めて病院の在る駅に降り立った。
一人で地図を見ながら心細い思いで病院に着く
母の病室に着くなりベットに横たわる母の姿を見てこれは今までとは
病状が違う事を直ぐに察する
肺炎に罹っているのだが認知症の母は怖がってレントゲンを撮ろうと
するが暴れて取れないとの事
鼻からの酸素のチューブや点滴の管もはずすとの事で両手、両足を
ベットに紐でくくり付けられているではないか
こうしないと治療が出来ないので可哀想だが仕方なく申し訳ないと
病院側から云われた。
その様な母の姿を見て言葉無く話にはこの様な状況は聞いたことが
有るがまさか自分の母にこの様な光景を目にするとは考えても
いなかっただけに大きなショックを受けた。
ただひたすら深い眠りに入り初めての面会の日にはそっと母の顔を
眺めてるだけで病院を後にした。
とても切なく哀しく涙が溢れた
二回目のお見舞いに弟と母を訪ねたときは少し目を覚ましじ~っと私や
弟の顔を見ていた。
自分の子供だと分かったかは定かではないが
実母には遠くに住む私と仕事を持つ弟がたまにしか見舞って
やる事もままならずに可哀想に一人で病と闘っている。
人と人とが向き合っていく介護には正解は無いと感じる。
二人の母の尊厳を守ることは非常に重要な事で人生の締めくくりの
最期の大切な時間なんだと想う
姑は姉夫婦に介護をバトンタッチして主人と戻ってきた。
お互いに長期戦も覚悟して疲れない介護とは一人に集中する事ではなく
皆が協力して皆が少しずつ介護を負担すれば疲れもストレスも
溜まることなく病人に対して優しく接する事ができるのではと
私なりに解釈し納得させる日々だ。
姑は姉が付き添い毎日の状態が電話にて主人に報告されるが
実母は行かない限り何の音沙汰も無い
一人寂しくどの様な状況の中で今日もベットに横たわっているのかと
考える時この距離間が悔しい
やはり実母の容態が気がかりで度々お見舞い行ってやる事も
出来ない状況を申し訳なく心痛む
今日も明日も二人の母の無事を祈る事しか出来ない