あるがままに生きる日々とは!

老いに向かい美しく歳を重ねたいと思う!
何事にも意欲的に挑戦したい!老いに負けるものかーと叫びたい!

二人の母を見舞って!

2008-04-30 21:55:21 | 想い

 

 関西から二人の母を見舞い帰ってきました。

 姑と実母が4月の14日の同じ日に偶然入院した。

関西の自宅に先に帰っていた主人の元に私も仕事を休み合流した。

姑は骨折した左腕が石膏で強く固めて有るので痛むらしい

それ以外は病を抱えているようには見えず時折冗談も口にする

姑の身体に潜む悪い病気は何時どの様な形で現れ苦しめられるか

今の所素人の私には予想も付かない

姑の病院は自宅から車まで15分位の所に在る。

宝塚歌劇の前を横切り街はハナミズキをはじめ豊かな緑に恵まれた

ロケーション 四季折々の草花を楽しめる街を複雑な思いで

走りぬけ病院に向かう日々だった。

姑は今の所症状も小康状態

私達のほかに姉夫婦と妹が入れ替わり見舞いに訪れ姑も毎日

子供の誰かが見舞ってくれ安心している

そんな姑とは対照的な実母である

関西の自宅から母の入院する病院までは一時間半から二時間は

かかる所に病院がある

一人で雨降る花冷えの寒い日に始めて病院の在る駅に降り立った。

一人で地図を見ながら心細い思いで病院に着く

母の病室に着くなりベットに横たわる母の姿を見てこれは今までとは

病状が違う事を直ぐに察する

肺炎に罹っているのだが認知症の母は怖がってレントゲンを撮ろうと

するが暴れて取れないとの事

鼻からの酸素のチューブや点滴の管もはずすとの事で両手、両足を

ベットに紐でくくり付けられているではないか

こうしないと治療が出来ないので可哀想だが仕方なく申し訳ないと

病院側から云われた。

その様な母の姿を見て言葉無く話にはこの様な状況は聞いたことが

有るがまさか自分の母にこの様な光景を目にするとは考えても

いなかっただけに大きなショックを受けた。

ただひたすら深い眠りに入り初めての面会の日にはそっと母の顔を

眺めてるだけで病院を後にした。

とても切なく哀しく涙が溢れた

二回目のお見舞いに弟と母を訪ねたときは少し目を覚ましじ~っと私や

弟の顔を見ていた。

自分の子供だと分かったかは定かではないが

実母には遠くに住む私と仕事を持つ弟がたまにしか見舞って

やる事もままならずに可哀想に一人で病と闘っている。

人と人とが向き合っていく介護には正解は無いと感じる。

二人の母の尊厳を守ることは非常に重要な事で人生の締めくくりの

最期の大切な時間なんだと想う

姑は姉夫婦に介護をバトンタッチして主人と戻ってきた。

お互いに長期戦も覚悟して疲れない介護とは一人に集中する事ではなく

皆が協力して皆が少しずつ介護を負担すれば疲れもストレスも

溜まることなく病人に対して優しく接する事ができるのではと

私なりに解釈し納得させる日々だ。

姑は姉が付き添い毎日の状態が電話にて主人に報告されるが

実母は行かない限り何の音沙汰も無い

一人寂しくどの様な状況の中で今日もベットに横たわっているのかと

考える時この距離間が悔しい

やはり実母の容態が気がかりで度々お見舞い行ってやる事も

出来ない状況を申し訳なく心痛む

今日も明日も二人の母の無事を祈る事しか出来ない

 

 

 

 

 

 

 


姑を見舞い

2008-04-23 20:29:03 | 老母とのひと時!

 

 午前中10時前の新幹線で新大阪に向かう

ここの所、色々と心労もあり車中ではウトウトして時折車窓から

岐阜辺りを通過するときまだ遅咲きの桜が咲いてその辺りは

ピンク色に染まり気持ちを癒してくれる風景に少し気分がリラックス

新大阪から私鉄に乗り換え宝塚の夫の待つ自宅に急ぐ

昨日からお見舞いに来ていた夫の姉は病院に母の看病に出かけて

留守だった。

着くなりゆっくりすることなく夫の車に乗り込み宝塚の山手に在る

病院に向かう

夫に案内され姑の部屋の窓際から六甲の山並みがとても綺麗に見える

姑は点滴や、輸血の管を付けて痛々しく横たわっていた。

姉が嫁の私が来たことを母に告げた

眠っていた母が私が来たことを理解した様子で私を見た

骨折した左手はギビスで固定され痛々しくやせ細った腕にはギビスが

重く感じ胸の上にその手を乗せているので胸が痛むらしい

か細い声で少しだけ自分の意思を伝えるだけでお喋りも疲れるので

余り話はしないようにした

絶食中で食事をすると胃、腸に負担がかかり現在は点滴だけ

姑は口の渇きを訴え吸い飲みでお茶を飲む。

「口の中でとろ~っと溶ける冷たいものが食べたいと」云う

食べたいものは何でも食べさせてやりたいが後で本人が苦しむ

結果になることを先生から聞いているのでそれも出来ない。

骨折していることもありベットの中でも同じ姿勢をして寝ているので

身体中が痛いと訴える

私は姑の背中の下に手を入れて軽くなでるようにマッサージをしてやると

気持ちよく目を閉じてうつらうつらする

まだまだ気丈な母は弱音を吐くことなく前向きに病と向き合い

頑張ろうとする気持ちには心が痛む

自分の病名は知らされずになお一生懸命に生きようとする姿勢に

看病する子供たちも希望を持ち一日でも長く明日に命を

繋げて欲しいと祈る。

明日は実母のお見舞いに出かけるが関西は雨のようだ

高齢の母二人のお見舞いの帰省はこの先の自分たちの

姿としてしっかりと目を背けることなく向き合って今後の課題と

して受け止めることにしなければ


明日から帰省します!

2008-04-22 19:47:06 | 想い

 

 今日も非常に暖かい空気が流れ春のやわらかい日差しが眩かった

明日からやっと二人の母の元にお見舞いに行きます

実母は一体どの様な状況の中で病院のベットにいることか

とりあえず明日は姑のお見舞いを先に済ませ木曜日に尋ねる人も居ない

実母の元に夫と共にお見舞いに行きます

一人で闘病する実母を想い涙が頬を伝う 実母が無性に懐かしい

前回帰省の折は施設で我を忘れつつも元気で何を考え何を

想っているのかは理解できなかったがまさか病気入院するとは

思っても見なかった。

それだけにショックも大きくいつの日にかこの様な日を迎えるとは

思い覚悟は出来ていたが現実に直面して驚きを隠せない

木曜日に実母に逢うことを楽しみにしているがベットに横たわる

姿を見てきっと依然と様変わりしていることは間違いなく哀しい

姑は今日も夫からの報告では姉夫婦が見舞い症状は昨日とは

余り変わっていないが食事は出来なく点滴と輸血をしていると

海外旅行で留守中の間の母の入院で今日久しぶりで姉夫婦も母と逢い

どの様に今回の病気を受け止めた事か嫁の私と実の娘の姉、

同じ娘として母親に対する姉の気持ちが私には理解できる

明日から二人の母と向き合いいざ目の前に現実として突きつけられ

何をどの様にすべきかただオロオロするのではないか

この先のことを真剣に考える日々である

とにかく明日から二人の母に出きる範囲での看病をしてくる

哀しい旅である

 

 


オロオロするばかり!

2008-04-21 19:24:40 | 想い

 

 今日で姑も実母も入院して一週間が経つ

実母は土曜日に弟がお見舞いに出かけてくれた。

ただひたすら眠っていたと、

痛々しく点滴と酸素マスクを付けて

弟と私しか母を訪ねる者はなく神奈川県に住む私はまだ

母の元にお見舞いに行けずに遠くから一人で

母の回復を祈る事しか出来ない。

尋ねる人もなく可哀想にとこの距離感を埋める事が出来ない事が

悔しく涙溢れる

姑は日々身体の衰えと病魔が進行して症状が悪化

食事も摂れず点滴と輸血で対症療法しかなくただ妹と夫は

見守る事しか出来ない

夫は姑の新たな症状をその都度私に克明に知らせてくれる。

嫁としてこの様なときに何も出来ない事を申し訳なく思う

夫の姉も今日の午前中に海外から帰国して神戸に住むので明日

車で母の病院にお見舞いに行き出発前との母の変わりように驚き

掛ける言葉に詰まるかも

母とともに十数年暮らしてきた夫の気持ちを思うと心が痛む

現在の母の病を受け止めやがてその最期を看取る覚悟は

出来ているのか

元気で家で入院するまで過ごした日々を思い出し気丈で

弱音を吐くことなくどんな時も一人息子の夫を愛し慈しみ育ててくれた

大切な母、何をおいても守ってくれて頼れた母だったに違いない。

現在その母がベットに横たわり世話をしなくてはならない環境に

遭遇して最期という現実を受け入れて行かなければならない自分を

どの様に納得させている事か

携帯の電話が鳴るたびにびくびくして落ち着かない

同時して二人の母の最期に立ち会うことにはなりたくない

今夜も電話のベルがならに事を祈る

 


雨の中を!

2008-04-19 16:10:52 | 想い

 

昨日は雨風強く夜になっても雨はやむことなくその中を出かける

会社の歓送迎会が執り行なわれた

春は別れと出会いの季節

ここの所気分は減退気味  少しは気分転換になろうと出かけた。

定年退職される男性は暫く残っている有給休暇を取っている間に

新しい代わりの人たちが入社 新旧交代に

去り行く人の寂しさを交えたお別れの挨拶と新人さんの今後の仕事に

対する心構えと抱負を述べられた

対照的に見てしまった。去る人は今までの仕事に対しての色々な

数年間の思い出を懐かしみ感傷的になる

長年同じ職場にて仕事をしてきた先輩に拍手を送る

待つたくお酒の飲めない私はここの所二人の母の事で

少しナイーブになっているので

この席で癒したいと思うがお酒の力を借りる事も出来ずひたすら

運ばれてくるお料理に手が出る。

そのお陰か今朝起きたら食べ過ぎたのか胃が痛む。

でも早起きして毎月参りの玉川大師に何時もの友人とご祈願に

出かけてきた。

途中息子から携帯に祖母を心配して電話をくれた。

姑の容態はいつ何が起こってもと云われているだけに

家族みんな落ち着かず心配している。

家族の絆の大切さを実感している

夫に電話したらこれから母を見舞いに出かけるところ

毎日欠かさず母の元に出かける夫

母の余命を読めない現在を母を取り巻く様々な変化に

夫の心が順応していかなくなるのではと新たな不安が私を

悩ますし心の犠牲を感じる

今日の玉川太師にお参りして少し心が落ち着き今日も家族の

無事な一日を祈る

 

 


心落ち着かずに!

2008-04-17 19:43:10 | 想い

 

 姑が検査入院して四日が過ぎる

全ての検査結果は出てないが一応最悪の宣告を受けている

貧血の為に輸血をする事を進められ本人が楽になるならと

夫は署名捺印をした。昨日から輸血をしている。

毎日夫は母の元に見舞いに通っている。

仕事が終わり駅に向かう道で夫の携帯に電話してその日の

母の状況、体調を聞くことにしている。

姑には本当の病名は隠している。現在は骨折した腕の

痛みがある様でベットで食事以外は寝ていると

骨折した腕を胸の上に置き同じ姿勢を保っているので

腕が痛いと言う 夫も如何してやる事も出来ない

たった四日の入院で高齢である上に痩せ肉が付いてないので

床ずれが出来始めていると

気丈な姑だがどんな思いでベットに横たわっている事か

自宅介護をしている時は姑も一番骨折には気を使い歩行器を使い

ゆっくりと部屋を移動していただけに今回の入院したその日に

看護婦さんのちょっとした事でもろくなった骨を骨折と最悪の

ケースになり姑はどんなにか悔しく思いでいることでしょう

足が駄目になってもせめて両腕が自由に使えば入院生活も

もっと前向きに病と向き合う事が出来たのに

今日、夫はベットで寝ている写真を写メールしてきてくれた。

写真を見て余計に複雑な気持ちになった。

一日も早く姑のお見舞いに駆けつけたいが仕事を持つ身

四月に入り新人パートさんも沢山入り新しい仕事も増え

飛んでは行けずに申し訳ないと少し気が引けている

23日から暫く帰省する。落ち込む私に追い討ちを掛ける様に

実家の母も姑の入院した同じ日に施設から病院に入院した。

風邪の菌がお腹に入り高熱、嘔吐、下痢と繰り返し入院となった。

実母の事も気がかりだが症状が落ち着き体調が回復すれば

また施設に戻りお世話になる。

実母も92歳と高齢の母を二人抱えて翻弄している日々が続く

今日も何事も変わることなく無事に一日が暮れ明日という日を

迎えられることに望みを繋ぐ


宣告されて!

2008-04-15 22:01:45 | 想い

 今日は気温も高く桜の花も散りこれからは新緑の季節を迎える

本来なら誰もがこの春爛漫の季節に心ウキウキのはず

でも私の心は空しさと寂しさで一杯だ

昨日検査入院した姑の一部検査結果が今日夫に宣告された。

予想はしていたがやはり悪性の腫瘍だった。

高齢でも有るので勿論手術は出来ずこれから出てくるであろう

あらゆる症状を和らげる治療しかできないであろう

私は仕事の帰りに夫に電話して病状の事実を知る事に

覚悟はしていたので電話に出た夫も入院前はすっかりと落ち込んで

何を如何すべきかとオロオロしていたが案外と冷静に現実を

受け止め先生からの説明を話してくれた。

夫にとっては慈しみ育ててくれた母が確実に年老いて日々の暮らしの

中で手助けが必要になり介護という切実な問題にぶつかりつつも

今日まで頑張ってきた。

日々弱る母を前にして毎日の生活に先を見ての不安感や恐怖心

はあったことでしょう

母との大切な時間の流れを感じつつ現実を受け入れてこれからの母と

病魔との闘いを暗く沈んだ空気を明るく悲しみを抱えながらも

夫は最期まで頑張るでしょう

自分の病名は知らずに前え進もうとする姑の強さとどんな状況に

置かれても希望を忘れずに最期まで生きていくことの大切さを

教えてくれる姑であることを確信している。

姉夫婦はこの様な事態は知らずに海外旅行を続けているが

帰国して事実を知りどの様に向き合うかと思うと心痛む

 


何が起こったの!

2008-04-14 22:43:47 | 独り言

 

 午前中に姑は介護タクシーで検査入院をした。

普段から元気な姑は白内障の手術の為に入院して以来の

出来事である。

どんな想いで家を後にしたのかと複雑な気持ちになる

勿論孝行息子の夫は荷物も有るので自分の車で病院に向かった。

午後には案外と病院より近くに住む妹夫婦が早速にお見舞いに

母親の顔を見に来たのでしょう

夫も入院の手続きなどで昼食も摂らずに母の用事に

忙しく動き回っていたのらしい

自宅に戻りやっと四時過ぎに昼食を摂ったらしい

その後、間もなくして入院先の院長から電話が有り「お母さんがトイレに

行きたいとの事で看護婦が介助したところよろけられ腕を掴んだら

偏な風に腕がよじれて整形外科でレントゲンを撮ったら骨折していました」

院長からの報告とお詫びの電話だった

唐突にその様な予想もしてない出来事に夫は帰るなり母が骨折

看護婦が付き添っていての事態に驚きと怒りが頂点に

直ぐに夫は病院に引き返し母親の姿を見てギビスをして

痛々しい姿に言葉を無くしたであろう

それで無くとも自宅から一歩も出ることなく日々過ごしていただけに

今回は病が隠されているかもとの事で検査入院も自分の本心から

入院ではなく周りから説得されての検査入院だっただけに

「こんなんなら家に居たほうが良かったと」

泣きさえしなかったが明日からの検査に備え96歳の母は不安と

孤独感で今夜は眠れないのではと気の毒に心痛む

また骨折した腕が痛まないと良いのにと私も夫も気がかりで

お互いに考えるとこの件においてはどの様に理解すれば

家族は良いのか

明日からの検査がこの様な事態にならないように無事に終わり

姑の身体が一日も早く回復することと脇の下のシコリと首のシコリが

悪い物で無かったと祈る事しか私には出来ない。

毎日何だか悪い事ばかり続き哀しくなるよ

 

 


現実に直面して!

2008-04-13 12:33:24 | 想い

 

 悪い事が重なり心身ともにまいっています

姑が急に歩けなくなり夫は急遽関西に戻った。

足腰立たないだけと思っていたら月一度の内科の先生の訪問で

脇の下と首にしこりが有ると

帰るなり歩けなくなった母を直視した夫にさらに追い討ちを掛ける

出来事になった。

ヘルパーさんにお風呂にも入れて頂いていたのにしこりには

全く気が付かずにいた。

歩けなくてトイレも行け無い状況では自宅介護も限界を迎えたことを

認めないわけにはいかないと判断する夫

施設にお世話になる段取りを進めていた矢先、先生から検査を勧められる

病気を持っていては何処の施設にも入所出来ないのである

夫は三人姉妹の真ん中 長男として96歳の母の介護を毎月関西と神奈川県を

往復するライフスタイルを既に10年近く続けている

今回の母の急な体調変化に戸惑いを隠しきれづに悩む夫

長女は現在海外旅行中の出来事でしっかり者の姉が留守となり余計に

姉の意見も聞けずに妹と話し合うが結論が出ないらしい

嫁の私は姑のお世話を仕事を持つ身で出来ずに嫁として失格の存在である

どの様な状況においても余計な口出しは差し控え

肩身の狭い思いをしている嫁の私を認めてくれて愚痴も嫌味も口には出さずに

夫は姑を看ない事に関しては何事につけても責める事は無い

時代が変わり長男だけが親を看る時代では無いと言いつつもやはり田舎の事、

世間体を気にしつつも夫は頑張り自分が犠牲になってくれている事に

私は感謝の気持ちを忘れることなく出来る範囲でサポートしている

でもでも親戚や姉妹からは愚痴が出ている わがままで駄目な嫁

月一度の帰省も実家の施設にお世話になる母の面会を兼ねての帰省である

姑は結局14日の明日検査の為に一週間入院する事に落ち着いた。

一生懸命に自宅で明日を考え明日に備えて生きてきた。

昔の人だから少々の事では弱音を吐かずに頑張ってきた姑

嫁として至らなかった事が申し訳なく心が痛む

波のような心の揺らめきが繰り返される

無事に検査が終わり何事も無い事を祈る事しか今の私には出来ない

今は夫の心身共の健康が気がかりだ

検査の出る頃には姑のお見舞いを兼ねて帰省する積りでいる。

 

 

 

 


親孝行の夫!

2008-04-11 19:23:26 | 想い

 

 満開だった桜が風雨で散り乱れ歩道に

今年も通勤途中で色々の思いを込めて満開の桜を見つめてきた。

朝の通勤時に一人感傷的になっていた私  昨日の事だが

仕事を終え我が家に帰り着くや夫の母が急に歩けなくなりお手洗い

にもいけない状況に

仕事がオフの娘が駆け寄り話す。夫は関西の自宅にいるヘルパーさんと

電話にて母の身体の状態を聞いていた。

夫が朝に母に電話した時は母は何時もは弱音を吐く人では

無いのが「早く帰ってきて欲しいと、体調が余り良くないと」

四時半ごろに夫の妹から「母が歩けないと~」電話有り

連絡が入った直前に私が帰宅し疲れた身体も何処吹く風の状態に

親孝行の夫は落ち着きさえ失うような状況でスーツケースを開き

帰り支度を始め衣服などを片付け始めている。一先ず妹が車で10分足らずのところに住んでいるがお料理店を開業

閉店に合わせてなのか直ぐに行く事は出来ないらしい様子

夜には母の元に行き今夜は泊まってくれるとの事らしい

夫も今夜は行くのは無理と判断して明日母の元に

私も何が起こったのか状況も読めないまま夫の新幹線の

チケットの手配に電車に乗り出かけた

96歳になる夫の母、いつの日にかこの様な緊急事態が発生すると

予想はしていた。

いざ目の前に現実として突きつけられて何を如何すべきなのか

ただオロオロするばかりだ

夫も頭では分かっていても現実を受け入れて行かなければならない

自分との葛藤もあったでしょう

今朝出勤前に夫に「気を付けて」と一言残して家を出た。

残業をして我が家に戻った時には既に夫は関西に到着した頃でしょう

今の時点では夫からは何の連絡も無いが家に帰るなり

母のことでケアーマネージャーさんと逢い今後の母の事で話を

するとの事だったので私は夫からの電話を待っている

日増しに弱る母の身体が完全に家族の介護を受けないと

駄目と云う状態であろうか

確実にその日が来ていることを私は悲しいが実感せざるを

得ない状況のように把握する。

私の実母は施設にて92歳で我を忘れ子供のようになり桜咲く

春爛漫の陽気も感じることは出来ない状況

これまた哀しく寂しく空しい現実を私なりに受けとめやがて

最期を看取る悲しみは覚悟できている。

私には老いてもなお一生懸命に生きようとする二人の母を

抱えている。夫の母の容態が気がかりだ