モンゴル式調教記録
貴重な写真を写させてくれた若旦那に感謝
モンゴル競馬のメッカに出場している馬主の種馬を
調教する場面を最初から最後まで撮影させてくれた
男の顔
私は写真の加工技術が出来ないので写したまま縮小して掲載した
加工技術が出来れば牧童の表情や種馬の表情がもっと
リアルに掲載できるのだが貴重な写真である
高校生ぐらいの少年だが乗りこなす前の顔は
まさに戦場へ出かける侍の顔である
日本の若者にこんな顔をさせる機会と時代が無くさせている
真剣勝負
裸馬に跨るのに一苦労する、馬は乗せたくないから回りだす
相方が引綱を引っ張り騎乗した時に暴れないように調整する
彼は乗るまでに何度か機会を伺う真剣勝負
種馬を捕まえる
一昨日のひょうきん姉妹の旦那さんがカウボーイ宜しく投げ縄で
種馬を一発で捕まえる
種馬は雌馬を10頭から20頭前後したがえハーレムを作る
この牧場には4頭から5頭の種馬がいる
落とされるか
馬を普段から扱っている方は騎乗した馬の姿で
馬がどんな状況か理解できる
素人の方に説明します
馬は騎乗されて最高に緊張状態(前足を突っ張っている)
この引き綱を緩めると馬は如何なるか!
乗りこなすか
裸馬に跨っている若者を振り落とそうと暴れまくる
加工技術が有ればもっと迫力ある写真を提供できたのだが
種馬対
暴れまくる馬をコントロールしながら調教しているのである
途中で落とされると最初からやり直しである
草原を闇雲に走り回る種馬・・跨っている少年はちゃんと調教している
真剣勝負!
彼が鼻に手を当てているのは緊張と興奮で鼻血を出していた
この後、もう一度、鞭当てして再度調教する
モンゴル荒武者
日本も昔の武士時代の若侍達はこのように荒武者ぶりをして馬術を磨いたのだろう
弓や刀を振り回しながら乗馬するわけだから簡単じゃない
荒武者勝ち
12世紀に中央アジアからヨーロッパまで暴れまくり世界制覇したモンゴル民族
歴史書には5・6歳の子供を親が引き連れて遠征に同行させ故郷へ戻ってきた時には
堂々の若武者になって母親の元へ凱旋したと記録されている
爺さんは上の写真を見てケビンコスナーのダンスウイズウルブスの一場面を思い出した
モンゴルの若者には脈々と草原の荒武者の血が受け継がれている
大人しくなった種馬
時間にして30分ぐらいだろうか牧場の周りを3km程、激走させて戻ってきた(二周ほど走らせ)
若者も乗りこなした達成感と安堵だろう・・元の若者の顔に戻っていた
裸馬に跨り荒馬を乗りこなす度胸と技術は流石である
彼らは昔から馬を引き連れて移動しながら片っ端から乗馬馬に仕立て上げ
遠征していたと記録にある(食料として羊も連れて行ったとある)
勝負あり
鞍なしでモンゴル人は乗用馬に仕立て上げる
それもものの30分ぐらいで乗馬馬にする
これを二三度行うと大人しい乗用馬になる(ホント?)( ´艸`)ホント
これが12世紀に世界を支配したモンゴル民族の末裔たち
こんばんは!
私は表の一部分で輝く人たちよりその輝きを陰で毎日演出している人たちの方が基本的に好きなんです
モンゴルの場合も馬が優勝すれば調教師の親分や騎手・馬主が栄誉を受けます
しかし、現実は太陽が昇る前から深夜まで働きずくめの牧童が優勝できる馬を育てているんです
調教師の親分も子供時代は先代から扱使われ実力で優秀な馬を作り出さなければ誰も相手にしてくれない
仔馬(2歳)で走る素質を見つけ出し騎乗できるように仕上げ食べ物から筋肉の仕上げまで調教助手が全て行う(親分の指示で)
日本もそうです調教助手なる人たちが厩舎には沢山いて早朝から深夜まで寝るのも惜しんで馬の管理をしています
G-1騎手など最後の仕上げを行うだけ
普段の調教は調教助手が行っています
モンゴルでも乗馬できない男性もいますしまして乗馬馬を作るなんて簡単にはできません
これができると一人前の牧童として自慢できます
全国競馬で騎手として騎乗できるのは6歳から13歳までと決められています
優勝できる馬を抱えている調教師や馬主は全国に情報網を持ち地方や首都圏で優勝した騎手を奪い合いが起きているくらいです
騎手も持って生まれた才能があるようです
ナーダム祭で優秀すると永久に国の公文書に記録されます(馬主・調教師・騎手・馬の名前が年代別に)
英雄になれるんです
首都で優勝した馬は高値で取引され馬主は現金が入りホクホク顔
調教師が優勝馬を出せば馬主から高額な契約金で馬主の馬を預かり高額な現金が入る
騎手はドラフトです年間契約され毎月高額な給与を受け取り優雅な生活ができる(本人と家族が)
だから牧場主も調教師も調教助手も馬を育てるのに必死なんです
主な競馬は夏のナーダム祭・冬のチャガンサルナーダム祭・三年に一度の全国大会等が有名な競馬です