ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

日本の国内編・・・阪神震災

2008年11月13日 08時57分25秒 | ちょっといいじゃん!日本♪
このニュースは、私も当時聞いた事があります。
これ聞いて、すっごく泣けたのと、
「神戸、頑張れえ~!」って思った事を今でも覚えています。

それではどうぞー

1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分52秒
淡路島北部(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として発生した
M7.3[1]の兵庫県南部地震は、
淡路島ならびに阪神間(神戸・芦屋・西宮・宝塚・尼崎・伊丹・豊中・川西・池田など)の
兵庫県を中心に大きな被害をもたらした。特に、神戸市市街地は壊滅状態に陥った。
  死者6433人、重軽傷者43792人。被害額約10兆円・・・



         ー 長い間 ー

「若者の代表としてひとつだけ言いたいことがあります・・・」
焼け野原に立つ避難所の一角で、その青年は拡声器を握り締めて話し始めた。
真っ赤に泣きはらした瞳から流れる涙をぬぐいながら、
搾り出すように、しかしハッキリと話を続ける。
「これから僕らがこの神戸を立て直していかなければなりません。
 その後ろを押してくれたのが自衛隊の人達です」
周りにいた大人達も涙を流し、
そして思わず、今日別れることになった陸自・災害派遣部隊の人々に駆け寄る。
「長い間、ありがとうございました!」
青年はそう叫ぶと、ひとりの自衛官の胸に飛び込み、
そして声を出して泣き出した。
自衛官も頼もしい腕で抱きしめ、共に泣いた。
”自衛隊さん、ありがとう”
そう書かれた横断幕が風で揺れる中、自衛隊最大の任務はここに幕を閉じた。


あ、ダメです・・・
この記事書きながら泣けてきちゃいました・・・。
あの時の驚きと絶望感は忘れられない・・・
あの頃は、毎日TVのニュースを見ては、被災地の人々の事を思って、
泣いてばかりでした。
まだ生まれて間もない子も含めて、小さな子供3人も抱えていた私は、
ボランティアに参加する事も出来なくて、
遠くから1人でも多く被災者の方が助かるように祈る事しか出来なかったー
そんな中、黙々と救助作業をする自衛隊の方々の姿はとっても心強かった。
地元の人達は、もっと だったでしょうね。
そして、みんなが少しずつこの震災を忘れていく中、ずっと支え続けてくれた自衛隊の方々・・・
それゆえに、なおさらこの青年の言葉は心に響きますー

                 参考サイト Wikipedia・阪神・淡路大震災


☆ あれからもう10年以上経って、当時の被害が想像つかない程、復活したと聞きます。
  でも決して忘れてはいけない事ー

☆ なのに、兵庫県知事がこんな事言ってちゃダメでしょ!
  コレ⇒ 兵庫県知事、不適切発言で反省「関東大震災はチャンス」 
  市民の気持ちをもっと考えようよ。
  例え関西経済が関東経済に負けていたとしても、
  関西の人達は、こんな事で関東に勝ちたいとは誰も思わないよ! 

9 コメント

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うん うん (夢想花)
2008-11-13 20:09:46
 私は大阪で震災にあってますが、そりゃーひどかった~。当時のことが、昨日のことのように思い出されます。
私が勤めていた事務員の息子さんが、被災され、震災翌日に安否確認のため、神戸に向かったことなど、思い出されます。沢山の涙を見ました。辛かったな~。思い出しました。
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無題 (ひばり吹雪)
2008-11-13 22:13:34
私が生まれる4日前にこの阪神淡路大震災が起こったんですよね。リアルタイムで知る・知らないの違いはぬぐえない感はありますが,でも何度テレビ画面で見ても信じられない光景ですよね。でも,これを教訓に神戸などを中心に復興活動・震災を伝えていく活動を続けてらっしゃるんですよね。
それにしても,あの知事は・・・。。。あきませんわ~~。
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そうだよね (あや)
2008-11-14 11:08:06
私は もうこちらにきていたけれど・・・
実家が阪神間でしたし 知人も被災したり・・・亡くなられたり・・・
恐ろしい哀しいことでした

兵庫県知事はテレビで拝見するのみですけれど どうも発言のせいで そう見ちゃうのか・・・
顔立ちに嫌悪感を拭えないなぁ・・・
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夢想花さんへ (kokiyu)
2008-11-14 11:51:35
大阪もかなり揺れたんですよね。
当時大阪のアパートに住んでいたいた友人は、
普段全く付き合いの無い隣の部屋の女の子んちに飛び込んで、
2人で抱き合って震えていたー と言っていました。
そして、「地震の時は、何より現金が絶対必要!」と言っていたなあ。
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ひばり吹雪さんへ (kokiyu)
2008-11-14 11:56:33
そっか~、ひばりさんは震災のスグ後に生まれたんだね。
ウチのコデブは、この時生後5ヶ月だったな。
ひばりさんのお母さん、きっとものすご~く怖かっただろうし、不安だっただろうね。

リアルタイムかあ~。
う~ん、年齢を感じるわあ~。
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あやさんへ (kokiyu)
2008-11-14 12:02:17
そうだった、あやさんも関西出身だもんね。
知り合いもおられたのでは・・・。
上のヘンコメにも書いた友人は、
「コンビニに品物が無くなるのを初めて見た!」って言ってた。

兵庫県知事は、震災の時どこにいたのかなあ~。
神戸でも、被害の酷い所とそれ程でもない所があったよね?
知事は被害の少ない所にいたのかしら?
それとも、喉元過ぎればー ってヤツなのかしらね。
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思い出します (ぴろりん)
2008-11-16 01:56:47
母の実家は堺で、いとこや叔父叔母は
大阪、神戸にたくさんいます。
日本での大きな地震の災害は初めてだったので
救助もパニックだった記憶があります。
いとこのマンションは、家事で焼けてしまった「長田町」のお隣の町。
観音開きのたんすが運良く開いて倒れて、下敷きにならずにすんだ奥さんと二人、歩いて大阪の実家まで逃げたようです。
途中振り向くと自分のマンションの方が真っ赤に燃えていて本当に怖かったと話していました。

そんな中スイスからの救助が真っ先に来てくれた時はホント他国の事なのに感謝の気持ちで一杯でした。
長い避難所生活、自衛隊の方々に声を大にしてお礼を述べた青年の気持ち・・町の人、離れている身内の者の声そのものだったでしょうね。

いつわが身に起こるかわからない天災だけに、
私たちも心しておきたいものです。
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おはずかしい・・・ (ぴろりん)
2008-11-16 01:58:09
「火事」が「家事」に変換ミスです・・
失礼しました・・・トホホ・・・
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ぴろりんさんへ (kokiyu)
2008-11-16 14:02:54
そっか~、ぴろりんさんの親戚の方も沢山みえたんですね。
私は当時妹が大阪にいたから、急いで電話したなあ~。
当時の長田町近辺は、まるで戦時中のようだったと記憶しています。
(TVでの映像を見てですがー)
その場にいた人達は、どれほど怖かったことでしょうか・・・

そうそうスイスからの救助が一番だったんですよね。
でも最初日本は他国からの救助を断っていた記憶があります。
私はTVのニュースを見ながら、
「日本政府は何バカな事言ってるのよ!」と、
怒りくるってましたからー
もっと早く、政府がスグに他国からの救助を受け入れていたら、
もっと沢山の人が助かったのではないか?とも思います。

>いつわが身に起こるかわからない天災
そう、東海大地震は目の前かもしれません。
その時は、世間体や見栄は捨てて、
ガンガン救助して欲しいですねえ~。
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