今日はパラオという国のお話ですー
”パラオ”という国名を聞いて、皆さんが思いつくのはナンでしょうか?
「う~ん、国名はどっかで聞いた事あるかな?」
「ダイビングとかスノーケリングで有名な南の国?」
そう、今は確かにそうなんですが・・・
これはパラオの国旗です。⇒
この国旗、どこかの国の国旗に似ていると思いませんか?
上のパラオの国旗の画像をクリックしてみてください。国旗の説明が読めます。
読まれましたか?
実はこの国には、天照大神を祭った神社もあるし、
桜もないのに日本の桜を讃えた歌もあるんです。
では、なぜこのパラオと言う国は、これほど日本に礼をつくすのか?
別に、日本の国旗を参考にしたからではありませんよ。
それには、悲しい歴史があるのですー
こちらのサイト『ペリリュー島』はパラオのペリリュー島に行かれた方が、
その様子やパラオの歴史などかなり詳しく書かれていますので、読んでみてください。
コチラのサイトも詳しく書かれています。⇒ 『ペリリュー島のサクラと神社』
「な~んだ、戦争中の話しか。よくある話しジャン。」と思われますか?
確かに、ここで玉砕した日本人は単に自分の国の為に戦ったんでしょうし、
日本が占領していた事には変わりありません。
最後まで戦ったのは、日本軍にとってこの島をアメリカに取られるのは不利だったからでしょう。
でも、私はそれだけではないと思うのです。
日本軍の上層部は確かに日本の事だけを考えていたかもしれない。
でも実際現地にいた日本人は、それだけではなかったと思うのです。
そうでなければ、日本軍が負けた後、これ程パラオの国は日本を慕わなかったでしょう。
スペイン⇒ドイツ⇒日本⇒アメリカと、いろんな国にずっと占領され続けてきた国パラオー
でもその中でも日本に占領されていた時が最も良かったそうです。
今でも、パラオの国定教科書には、462ページのうち36ページも
「日の丸の旗のもとに」と題されて日本統治時代の事にさかれているそうです。
日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、
日本の行った学校教育、産業・経済活動等についても詳しく述べられています。
ネットで調べると、これにもいろんな説が言われています。
パラオが独立した時日本を讃えたのは、単に援助金が欲しかったからだとか、
日本が後から日本の都合のいいように話しを作ったとか、
ペリリュー神社にある日本軍を讃えた”C・Mミニッツの詩碑”は、
本当はミニッツ本人が言ったのではない。とか、
パラオの戦死者の遺骨を日本に返さないのは、パラオの観光目的の為だ、とかー
でも、私はそんな事はどうでもいい事だと思うのです。
その昔、確かに日本人がこの国にいて、この国に教育や産業をもたらし、
そしてこの国の人々を争いに巻き込まないように逃がした後、
「サクラ サクラ」の伝聞を残し亡くなったー
これは事実。
誰が詩碑の作者でも関係ない!
遺骨を返さないのは、パラオの人々の宗教観の問題と日本兵を惜しんでくれているのだとー
こうした日本の先人のおかげで、この国の人達は今でも日本が大好きでいてくれるー
それでいいと思いませんか?
☆ かつて確かに優しい日本人がいて、小さな島の人々の命を救った。
それだけは変えようのない事実ー
↓参考にしたサイト
Wikipedia(ペリリュー島の戦い)
パラオ旅行記 ペリリュー島歴史観 ペリリュー島玉砕
ペリリュー ペリリュー島 七色の珊瑚礁 のなかで
その他たくさんー
☆おまけ ペリリュー島民の強制疎開の話し
”パラオ”という国名を聞いて、皆さんが思いつくのはナンでしょうか?
「う~ん、国名はどっかで聞いた事あるかな?」
「ダイビングとかスノーケリングで有名な南の国?」
そう、今は確かにそうなんですが・・・
これはパラオの国旗です。⇒
この国旗、どこかの国の国旗に似ていると思いませんか?
上のパラオの国旗の画像をクリックしてみてください。国旗の説明が読めます。
読まれましたか?
実はこの国には、天照大神を祭った神社もあるし、
桜もないのに日本の桜を讃えた歌もあるんです。
では、なぜこのパラオと言う国は、これほど日本に礼をつくすのか?
別に、日本の国旗を参考にしたからではありませんよ。
それには、悲しい歴史があるのですー
こちらのサイト『ペリリュー島』はパラオのペリリュー島に行かれた方が、
その様子やパラオの歴史などかなり詳しく書かれていますので、読んでみてください。
コチラのサイトも詳しく書かれています。⇒ 『ペリリュー島のサクラと神社』
「な~んだ、戦争中の話しか。よくある話しジャン。」と思われますか?
確かに、ここで玉砕した日本人は単に自分の国の為に戦ったんでしょうし、
日本が占領していた事には変わりありません。
最後まで戦ったのは、日本軍にとってこの島をアメリカに取られるのは不利だったからでしょう。
でも、私はそれだけではないと思うのです。
日本軍の上層部は確かに日本の事だけを考えていたかもしれない。
でも実際現地にいた日本人は、それだけではなかったと思うのです。
そうでなければ、日本軍が負けた後、これ程パラオの国は日本を慕わなかったでしょう。
スペイン⇒ドイツ⇒日本⇒アメリカと、いろんな国にずっと占領され続けてきた国パラオー
でもその中でも日本に占領されていた時が最も良かったそうです。
今でも、パラオの国定教科書には、462ページのうち36ページも
「日の丸の旗のもとに」と題されて日本統治時代の事にさかれているそうです。
日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、
日本の行った学校教育、産業・経済活動等についても詳しく述べられています。
ネットで調べると、これにもいろんな説が言われています。
パラオが独立した時日本を讃えたのは、単に援助金が欲しかったからだとか、
日本が後から日本の都合のいいように話しを作ったとか、
ペリリュー神社にある日本軍を讃えた”C・Mミニッツの詩碑”は、
本当はミニッツ本人が言ったのではない。とか、
パラオの戦死者の遺骨を日本に返さないのは、パラオの観光目的の為だ、とかー
でも、私はそんな事はどうでもいい事だと思うのです。
その昔、確かに日本人がこの国にいて、この国に教育や産業をもたらし、
そしてこの国の人々を争いに巻き込まないように逃がした後、
「サクラ サクラ」の伝聞を残し亡くなったー
これは事実。
誰が詩碑の作者でも関係ない!
遺骨を返さないのは、パラオの人々の宗教観の問題と日本兵を惜しんでくれているのだとー
こうした日本の先人のおかげで、この国の人達は今でも日本が大好きでいてくれるー
それでいいと思いませんか?
☆ かつて確かに優しい日本人がいて、小さな島の人々の命を救った。
それだけは変えようのない事実ー
↓参考にしたサイト
Wikipedia(ペリリュー島の戦い)
パラオ旅行記 ペリリュー島歴史観 ペリリュー島玉砕
ペリリュー ペリリュー島 七色の珊瑚礁 のなかで
その他たくさんー
☆おまけ ペリリュー島民の強制疎開の話し
上層部なんかには、いろいろ思惑もあったと思うけど、
実際現地にいた人達には、そんなの関係なかったんじゃないかと思う。
島民の姿を見て、自分の故郷と重ね合わせたーなんて事も合ったのではないか?
なんて、私は想いをはせてしまうのですー